第4回です(第1回第2回第3回)。この辺から室谷氏は「批判」から「中傷」に走り始めます。

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第4章「短期退職者が溢れる国に匠はいない」では、室谷氏は韓国では1年未満で辞めてしまう「超短期退職者」が大勢いるとか、サムスンのオーナーが脱税と横領で有罪判決を受けたとかの話をまず紹介します。それでもサムスン電子が韓国の大学生の中で「就職したい企業」と「最も尊敬できる企業」で1位に選ばれたという点から、韓国の倫理観は「勝てばいいのだ」というものだと述べます。
 「独断と偏見」との批判を浴びるだろうが、韓国人にとって重要なのは、どんな汚い術(て)を使おうと勝ち上がることだ。そして、絶対の王者として君臨してしまえば「尊敬」の対象になり、その下に馳せ参じようとする人々で溢れるのだ。 (88頁) 
室谷氏は前書きで「『私の独断ではない』ことを示すために、韓国の公式統計や韓国の『権威ある』マスコミ報道を、主たる典拠にした」(7頁)と言っていたのに、「『独断と偏見』との批判を浴びるだろうが」と自覚しているというのがよくわからないところですが、まあ、ここまでなら室谷氏の言うこともまだ理解できます(肯定しようとは思いませんが)。ところが、この直後に室谷氏はこう続けます。
 わかりやすい例を挙げれば、すっ転んでも金メダルの金妍児だ。外国のアイスショーからはお呼びがかからないが、たちまち百億ウォン長者になった。(88頁)
つまり、室谷氏が金妍児は汚い術(て)を使って勝ち上がったと言っているのです。一体何を根拠に行っているのでしょう? 確かに金妍児の点数が高すぎるのではないかというのは、日本のフィギュアスケートファンの中でもずっと言われてきたことです。しかし、金妍児が何か汚い手を使ったという証拠は何一つありません。また、フィギュアスケートファンなら覚えている人も多いでしょうが、2008年の世界選手権のフリーでは日本の浅田真央選手も冒頭に派手に転倒しながらも金メダルを獲得しています(正直、「転倒」というより本当に「すっ転」んでいます)。



また、外国のアイスショーに金妍児が本当に呼ばれていないのか、その理由は何か、そもそも現役のフィギュアスケーターがどのくらい外国のアイスショーに呼ばれるものなのかはネットで引いても調べられませんでしたが、仮に金妍児が外国のアイスショーに呼ばれていなくても、それが金妍児が何か「汚い術(て)」を用いたという証拠になど全くなりません。金妍児が努力家であり、実際にレベルが高いフィギュアスケーターであることは否定のしようがありませんし、金メダルを取ったバンクーバー五輪ではノーミスの演技を見せています。


サムスン電子についてならまだしも、「どんな汚い術(て)を使おうと、絶対王者になれば尊敬の対象になる」という「わかりやすい例」として金妍児を出すのは、ただの口汚い中傷としか言いようがありません。もちろん、金妍児がどんな「汚い術(て)」を使ったというのか、室谷氏は何の説明もしていません。


もはやこうなると「悪韓『論』」でも何でもなく、ネットの根拠なき中傷と変わりません。室谷氏の行為は、金妍児のみならず、コーチのブライアン・オーサー氏を始め、金妍児にかかわった人たち、さらにはフィギュアスケート全体を中傷する極めて卑劣な行為です。これだけでも室谷氏の論理性の無さや差別意識が浮き彫りになっています


この後室谷氏は、韓国ではすぐ辞めるからノウハウが蓄積されない、財閥オーナーはワンマン、職場ストレスが酷い、労働者の10%強が職場で暴力を体験している、力仕事や手作業は韓国人にとっては奴婢の仕事で忌避される、などのことを述べます。これらが事実なのかはわかりませんが、室谷氏はここで「日本が誇りとすべき『世界一のピンセット製造企業』を取材した時」の話をします。
 取材を終えて帰る際、作業場の傍らを通り過ぎると、もう就業時間は過ぎているのに、茶髪の若者が必死に折り曲げ工具を動かしていた。
 社長「何をしているの」
 社員「こうすると、靭性が強くなるのではないかと思い…」
 社長「よし、やってみてくれ」
 社員は小声で私に「あれではダメです。でも、ああして一人前になっていくのです」とささやいた。社長がマイカーで私鉄の駅まで私を送ってくれた。 (97頁)
日本企業や日本の町工場に立派な社長や真面目な社員が大勢いることは事実だと思いますし、それを紹介して称賛することには何の異論もありません。しかし、室谷氏はこう続けます。
 韓国の同業種のメーカーだったなら、社長は実験をしていた若者に向かって「この野郎、材料を無駄にしやがって」と恐ろしい顔をして怒鳴りつける。ついでに、鉄拳制裁かもしれない。しかし、記者にはにっこり笑って、「これでよろしく書いてください」と、懐から封筒(現金)を取り出す。(97頁)
これには呆れてしまいました。これは室谷氏の実体験でさえなく、ただの想像なのです。それをあたかも韓国一般に通じる事実かのように書いているわけで、これを「偏見」と言わずになんと呼べばよいでしょう。室谷氏が前書きで述べた「『私の独断ではない』ことを示すために、韓国の公式統計や韓国の『権威ある』マスコミ報道を、主たる典拠にした」というスタンスは完全に崩れています。


そして室谷氏は、韓国人にとって手作業は「現代の奴婢のするような仕事であり、当事者たちもそこで『一人前になろう』『熟練工になろう』とは考えてもいない」(98頁)と述べます。
 こんなことを言うと、すぐに出てくるのは「技能五輪で韓国のメダル数は……」との反論だが、技能五輪に出てくる韓国人は、報奨金を目の前にぶら下げられて特別育成された人材だ(スポーツの五輪も同様だ)。
 現に韓国がどれだけ技能五輪でメダルを取ろうと、汎用部品や日用品に、その成果が反映されていないではないか。(98頁) 
技能五輪とは正式には「国際技能競技大会」と言って、過去の成績を見ると1973年以降韓国はほぼ毎回3位以内に入賞していて、直近20大会中16大会で1位というかなり驚きの成績を獲得しています。

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過去の大会成績

韓国の汎用部品や日用品にその成果が反映されているのかどうかは判断のしようがありませんが、技能五輪に出てくる韓国人が「報奨金を目の前にぶら下げられて特別育成された人物」であるという根拠は何にも示されていません。室谷氏はこういうところでちょくちょく何の引用もない根拠のない意見をぶち込んできます。それに、報奨金目当てに特別育成されているのが仮に事実だとして、それに何か問題でもあるんでしょうか? というより、大会に出るのであれば大会に向けて特別育成が行われるのはむしろ当たり前ではないでしょうか。また、それでメダルを獲得することに意味がなくて実際の技能と関係がないのであれば、問題があるのは大会そのものと言うことになってしまうと思うのですが。


また、「スポーツ五輪も同様だ」とも書いていますが、室谷氏は何が言いたいのでしょう? 韓国の五輪成績は報奨金目当てに特別育成されたものだから真の実力ではないとでも言いたいのでしょうか? つい最近日本でもマラソンの日本記録を出したら1億円の報奨金を出すとの発表がありましたが(参照)、何か問題でもあるでしょうか? 日本やアメリカの野球が強いのだって、ヨーロッパのサッカーが強いのだって、プロで活躍すれば多額の報奨金が出るからですが、それが何か問題でもあるでしょうか? 室谷氏は韓国を非難するために、別に非難するような事でもないことまで非難対象にしたり、「だから何?」という話を持ち出して来たり、全く根拠を示さないままのただの中傷をしたりしています。


さらに言えば、技能五輪は22歳以下の人が参加する若手のための大会です。匠だ熟練工だというような年齢では全くありません。室谷氏は恐らくそんな事実も知らないのでしょう。


公式統計や新聞発表などを典拠にしていることを売りにしていたはずが、結局は金妍児や技能五輪など、何の典拠も示さない中傷レベルに堕してしまっています。


第5章「長時間労働大国の怠慢」では、韓国の労働時間は長いがそれはだらだら残業代を稼いでいるだけだということが書かれています。それで、「韓国人は勤勉だというが事実ではない」というために、室谷氏はこんな論理展開をします。
 「韓国人と勤勉さ」に関しては、中央日報の日本語サイトで「勤勉」を検索してみた。(略)「勤勉」という言葉を含む記事はたった81件だった。(略)
 「自画自賛大国」にして、純粋な韓国人(韓国系米国人などを含まない)、あるいは執筆した記者自身が、今日の韓国人全般について述べている事例は5つしかなかった。(略)
 どうやら、「韓国人は勤勉だ」とは、韓国事情に疎い外国人に向けてだけ話すPR文句になったのだろう。 (108-109頁)
韓国人が実際に勤勉かどうかはともかく、この論理展開には恐れ入りました。とてもジャーナリストとは思えません。中央日報日本語サイトで「勤勉」を含む記事がほとんどないから、それが何だというんでしょう。それで韓国人が勤勉ではない、または韓国人自身が韓国人のことを「勤勉」と思っていないことの証明でもできたつもりになっているのでしょうか?


試しに読売新聞のサイトで「勤勉」を検索してみたら、2015年4月4日現在、たったの15件しかヒットしませんでした(参照)。そのうち今日の日本人全般について述べているのは5件しかありませんでした。じゃあ、それで日本人は勤勉じゃないとか、日本人自身が日本人のことを「勤勉」と思っていないことを意味するでしょうか? とてもジャーナリストとは思えない実に稚拙な論理展開です。


また、現在の韓国では自分の名字も漢字で書けない人が大勢いるという記事を引用し、
 漢字もほとんど書けない、読めない国民が、「わが国は儒教の国だ」などと言えるのだろうか。(110頁)
と述べています。何度も言いますが、れが本当に時事通信のジャーナリストを務めていた人物の論理展開なのでしょうか? じゃあ、アラビア語を読めないインドネシアはイスラム教国ではないのでしょうか? ヘブライ語やギリシャ語がほとんどどころか全く読めない書けない西ヨーロッパ諸国の人間はキリスト教徒ではないのでしょうか? サンスクリットが読めないタイは仏教国ではないのでしょうか? 論理性の欠片もないです。


そして室谷氏はこの章をこんな文章で締めくくります。
 古代史書まで振り返れば、日本の特産品に勾玉があった。鉄より硬いメノウを、どうして磨き上げ、どうやって穴を開けたのか。
 隋書・倭国伝には、「倭国には立派な品物が多いので、新羅も百済も倭国を大国として敬仰し……」とある。
 日本には、モノづくりに関する様々なノウハウと、文献的に体系化されてきたわけではないが基礎知識があった。何よりも物づくりに打ち込む精神、打ち込める文化的な環境があった。
 半島には、物づくりをする人間を蔑視し、生産現場を卑しむ文化があった。それが今も続いている。
 異様なまでの学歴崇拝と、職種に対する強烈な貴賤意識が形づくる現代韓国の事実上の身分制度は、それ自体が「差別の文化」と言える。
 額に汗する仕事そのものを蔑視し、そうした仕事をする人を露骨に軽蔑し、そして、そうした仕事に携わる人自身も、自分の職業に何らの誇りも持っていない―。
 これが、朝鮮半島の歴史が作り上げた産業文化の底流だ。彼らが作る半製品、部品が制度に欠けるのは、当然の帰結なのだ。(115-116頁) 
室谷氏は韓国を「自画自賛」と「差別」の文化だと非難しますが、これを読むと室谷氏自信が、日本を自画自賛し、韓国に対する激しい差別意識を持っているとしか思えません。日本のモノづくりが誇るべき立派なものだというのはそうだと思いますが、勾玉を作っていた古代まで遡るとは呆れてしまいます。それならば、朝鮮には日本でも称賛された焼き物文化がありますし、仏国寺のように世界遺産になっている建築物もあります。


また、室谷氏は韓国人が嫌がるという油で汚れるような手作業工程を「3K仕事の1つ」(98頁)と呼んでいます。もしくは「3K」なんて言葉が存在する日本や、そんな言葉を用いる室谷氏にも職業貴賤意識があるように私には思えるのですが。また、韓国人がそうした仕事を露骨に軽蔑し、そういう仕事に携わる人たち自身も「自分の職業に何らの誇りも持っていない」というのは室谷氏の印象以外のものではありません。韓国で作られる製品や部品が「精度に欠ける」というのもただの室谷氏の偏見に過ぎません。


日本製品もかつては「悪かろう安かろう」の代名詞だった時代がありましたが、それを長い時間かけて現在のレベルまで持ってきました。じゃあかつて「悪かろう安かろう」の時代の日本では物づくりを蔑むような文化があったかといったらそんなわけではありませんし、一方現在の韓国製の半製品や部品が、室谷氏の言うような精度に欠けるものなら、アップル製品の部品に使われるとは思えません。日本製に比べて精度が低いというだけなら、世界中のほとんどの国がそうでしょう。


古代の勾玉まで持ち出してくるところを見ても、室谷氏の論理展開は、どう見ても韓国を貶めるために都合よく情報を持ってきているとしか思えません。そして日本と比べ、日本より見劣りすれば「これでもか」という感じに韓国を非難する。金妍児や五輪技能などで結果を出すと、何の根拠もなく「汚い術(て)を使って勝った」「報奨金を目当てに特別育成されている」などと貶める。


ここまでで第5章まで見てきましたが、この後ももうこんな感じの論法ばかりなのです。第9章「お笑い原発大国、だから原発が恐ろしい」では韓国の原発が杜撰だという話をしたのち、こんな話をしていています。
 関連してみなくてはならないのが、日本で展開されている「原発ゼロ」運動だ。この運動の目標が実現したら、日本は高コスト国になり製品は輸出競争力を失う。そして、日本の原発専門家・技術者は、韓国、もしかしたら北朝鮮にも流れるだろう。
 「原発ゼロ」運動に在日韓国・朝鮮人グループが介在していることの傍証は、既に様々と挙げられている。
 「原発ゼロ」運動そのものが、実は日本の原発専門家・技術者を半島に招き入れる目的を、伏流にしているのではあるまいか。(175頁) 
なんと室谷氏は日本の「原発ゼロ」運動を、韓国の陰謀にしてしまいました。もう何の証拠もないただの妄想以外の何物でもありません。


あれだけの事故があれば、「原発ゼロ」運動が起こるのはごく自然なことでしょう。あの小泉純一郎も脱原発派になったくらいです。しかし、室谷氏は福島の原発事故には一切触れず、原発ゼロ運動が韓国の陰謀にしていまいました。


「原発ゼロ」運動に在日韓国・朝鮮人グループが介在していることの傍証が既に様々と挙げられているのならば、ちょっとぐらい引用してもよさそうなものですが、その引用はありません。おそらく2ちゃんねるまとめサイトのようなものしか存在しないから引用できなかったのでしょう。


また、仮に日本の「原発ゼロ」運動に在日韓国朝鮮人が加わっているとしても、何かおかしいでしょうか? 日本に永住しているのですから、日本の原発事故を懸念して何が悪いのでしょうか。これは、室谷氏が持つ在日韓国朝鮮人に対する偏見と原発ゼロ運動に対する偏見とを恣意的に自分に都合のいいように結び付けただけでしょう。


もうこれ以上詳しくこの本を検証しても、同じことばかり言うことになるので、一端ここまでにしておきます。室谷氏の論法は、これまっで見てきたように、自分の結論に合うように自分に都合のいい情報を持ってきて、最終的には妄想と中傷になるということの繰り返しです。このような本が売れているという状況に強い不安を覚えます。室谷氏も、読者も、自分に都合がよければどんな論法でも妄想でも構わないという事なのでしょう。私は少しでもこのような論法には抗っていきたいと思います。

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