本日2月11日は「建国記念の日」で祝日です。おそらく多くの人にはただの祝日で、私も特別な祝日とも破棄すべき祝日とも考えていないのですが、中には特別な祝日と考える人も、破棄すべき祝日と考える人もいます。それは、この「建国記念の日」が、神武天皇の即位の日という、神話に基づいているからです。天皇を日本の中心と考える人には、天皇制の始まりの日ですので特別な日ですし、政教分離の原則に反すると考えてこの記念日事態に反対する人もいます。

毎年各地で祝う式典、反対する集会が開かれましたが、明治神宮で開かれた祝う式典で、國學院大學名誉教授の大原康男氏が、以下のようなことを述べていたそうです。

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(↑『NHKニュース7』2月11日)

>>世界を見回せば明らかだが
>>どの国も建国の日を
>>最大の祝日と祝っている

>>政府みずからこの日の奉祝式典を
>>主催・挙行すべきであるのは当然のこと


はっきり言って、
です。

より正確には、意図的な卑怯なミスリードが行われていると言うべきでしょうか。 
 
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大原名誉教授は、「どの国も建国の日を最大の祝日と祝っている」のは、「世界を見回せば明らか」と言っていますが、実際には、ほとんどのどの国で祝われているのは旧宗主国からの独立を祝う「独立記念日」か(アメリカ等大多数)、革命やクーデター成功を祝う「革命記念日」か(フランス、キューバなど)、現体制になった憲法を祝う「憲法記念日」であり(ノルウェー、デンマーク)、日本のような神話に基づいた「建国記念日」ではありません。根本的に性質が異なります。

Wikipedia日本語版には「建国記念日」というページがありますが、そのページに載っている限りでは、宗教的・神話的建国記念日を祝日にしているのは、日本と韓国だけです。

大原名誉教授の言う通り「世界を見回」して考えるならば、日本で相当するのは5月3日の憲法記念日か、日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約締結の日(9月8日)発効の日(4月28日)です。

大学名誉教授がこんなことをわかっていないはずはなく、意図的に日本の宗教的な「建国記念日」と、他国の「独立記念日」を混合して、「建国記念日を国主導で祝うのは当然」という持論を正当化しているとしか思えません。こんなのは「嘘」と言っても差し支えありませんし、卑怯なミスリードだと言えます。

政教分離に抵触するかどうかは別問題として、「建国記念日を祝え」というだけならば、一つの主張として問題ありません。「他国がどうあれ、日本は日本の道を行く。建国記念の日が日本最大の祝日だ」という主張なら、言論の自由で保証された自由な主張の一つです。

ところが、「世界中どの国でも建国記念の日を最大の祝日として祝っているから、(日本もそれに倣って)政府が式典を行え」という主張は、完全に意図的で卑怯なミスリードです。そんなのなら、最初から比較しなければいいのです。独自の道をいく、ということだってあり、他国がこうだからこうしなければいけない、なんてルールはないのですから。

もちろん、他国との相対化はとても大切なことです。他国と比べることで、自国の理解が深まるのは間違いありません。そして、「他の国はこうだ」というのは、保守系の主張でもリベラル系の主張でも用いられます。

例えば、安保法案や9条改正の話では、保守系の人が「ほとんどの国は軍隊を持っていて、集団的自衛権行使を容認している」と主張する一方で、夫婦別姓の話の時には逆にリベラル系の人が「ほとんどの先進国では、夫婦別姓が認められている」と主張しました。

そのような相対化はとても大切なことですが、今回のように、ちょっと見方を変えただけで、「ほとんどの国」の傾向が変わることもあるわけです。今回の場合、独立記念日を「建国の日」と呼ぶと、「ほとんどの国で建国の日が最大の祝日」と言うことになりますし、独立記念日と宗教的な建国記念日を分けると、「ほとんどの国に建国記念の日はなく、あるのは独立記念日である」ということになります。しかし、いずれにしろ、独立記念日を「建国の日」と呼んだうえで、「ほとんどの国で建国の日が最大の祝日だから、日本も『建国記念日』を政府主導で祝え」と言う主張は、「建国の日」の性質の違いを無視した卑怯技であることに、疑いを挟む余地はありません。

「他の国ではこうだ」という相対化をすることは大切です。ですが、今回見たように、しっかりその内容を見てみないと、恣意的解釈によって都合のいいように歪めて自説を展開する人に騙されることになりますので、注意が必要です。

早い話が、いつも言っている通り、他人の主張を鵜呑みにすることなく、多角的に色々な主張をよく調べて、自分の頭で考えよう、という話でした。

==愛国カルトに騙されないために== 
・比較は大事。でも表面的な比較だけでなく
 内容をよく調べよう。


・そもそも比較に意味があるかも考えよう。
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==追記==

報道によれば、この式典の決議で、伊勢志摩サミットを世界に向け「日本の素晴らしい精神性」を発信する機会とすることとしたそうです。
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しかし、「日本の精神性」って何なんでしょう? これを聞いて、私はつい先日このブログに書き込まれたコメントを思い出しました。

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参照

>>あなたは、あなたがたは、この国を愛していますか?
>>この国の【精神】を持てることを、心から感謝できていますか?


「この国の【精神】」って何なんでしょう?

私は「日本を愛していますか?」という質問には、はっきりと「はい」と答えますが(政権与党は大嫌いですが)、「この国の【精神】を持てることを、心から感謝できていますか?」という質問に対しては、「この国の【精神】って何?」と聞き返す他はありません。

夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に、こういう一節があります。
 
>>大和魂はどんなものかと聞いたら、
>>大和魂さと答へて行き過ぎた。(中略)
>>三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。
>>大和魂は名前の示す如く魂である。
>>魂であるから常にふらふらして居る。(中略)
>>誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。
>>誰も聞いた事はあるが、誰も遇つた者がない。
>>大和魂はそれ天狗の類か。

私個人は、「この国の【精神】」なんてものは、大和魂と同じで「天狗の類」の過ぎないと思っています。そんなものを持ったこともなければ、誰かに勝手に「この国の【精神】とはこういうものだ」などと押し付けられたらたまったもんじゃありません。それをやったのが、戦時中の日本であると私は考えています。だから「日本の素晴らしい精神性」だの「この国の【精神】を持てることに感謝」だの言われると、非常に抵抗を覚えます。

それでも、敢えて、私個人が考える「日本の精神」とは何かということを述べるなら、「民主主義」「平和主義」「基本的人権の尊重」です。これならば、この「日本の精神」を持てることを大変誇りに思いますし、嬉しく思いますし、それを守ってきた人たちに感謝しています。これがあるからこそ、私は自信を持って「日本を愛している」と言えるのであり、これを破壊しようとする人たちを許せないからこそ、このブログをやっているのです。