百田尚樹の作家としての実力は知りませんが、人間の人格としては最低だと私は考えています。


これまでにも百田尚樹の発言は目に余るものがありましたが、ついにこんなことまで言い出しました。



千葉大で起きた集団レイプ事件の犯人を、何の根拠もなく
「私は在日外国人たちではないかという気がする」と発言!!



ここまで来たか、百田尚樹!

(スポンサードリンク)

よくもまあ、ここまで何の根拠もなく、特定のカテゴリーに対する中傷ができるものです。呆れて開いた口がふさがりません。先日、元・日本の心を大切にする党の和田政宗議員が、「よく調べないで中傷する左翼系ネットユーザーと違い、保守系のネットユーザーは徹底的に調べ上げてから批判する」などと言っていましたが、こんなに何にも調べずに妄想だけで発言している保守系ユーザー百田君のことを、和田議員はどう考えてるんですかね?



そもそも、在日外国人だから警察が名前を公表しない、などということがこれまでにあったんでしょうか? 在日外国人の犯罪でも、氏名を公表している犯罪はいくらでもあります。この事件に限って、犯人が在日外国人だから名前を公表しない、というのはおかしな推論です。


警察が公表しない実際の理由は、被害者の特定につながるから、ということのようです。性犯罪の場合、報道により被害者が特定され、さらに被害者が苦しむことがないよう、被害者特定に繋がる情報は公表しない、ということがあるようですね(全ての場合に報道されないわけじゃないようですが)

2016y11m25d_003108429
ZAKZAK参照

2016y11m25d_005135105
日刊ゲンダイデジタル


もちろん、この県警の説明が方便でないという証拠もないわけですが、なんにせよ、何の根拠もなく、特定のカテゴリーの人間に対する憎悪を煽るような発言をするのは、人間としてやってはならないことです。こういうところからデマが生まれ、関東大震災の際の「朝鮮人が井戸に毒を入れた」なんて噂が流れたり、特定マイノリティーへの差別が生まれたりするんでしょうね。百田氏ら本人には全くその自覚がないようですが。


百田氏は以前、「小説家に大切なのは作品だけだから、暴言などどうでもいいんだ」という趣旨のことを言っていました。



小説家にとって大事なのが作品だからといって、暴言を吐いていいことにはならないんですよ、百田先生


意図的か意図的じゃないか知りませんが、小説家としての評価の話と人間としての人格評価の話とをごちゃまぜにして話をそらしてますね。百田先生、あなたの暴言で傷がついているのは、あなたの作品への評価じゃなくて、百田尚樹という人間に対しての評価なんですが、そこんところわかりませんかね?


百田氏は相変わらずなのですが、さらに信じがたいのは、これが数百件もリツイートされ、この百田妄想を支持するコメントが多数寄せられていること。中にはこんな勘違いしたツイートも。



そもそもマスコミのスポンサーが「在日・特亜」という時点で大ウソなのですが、「マスコミが本名を報道していない」んじゃなくて、「警察が発表していない」という話なんですが、わかってないんですかね?


近畿大学で起きた強姦事件も、犯人が在日だという話がネット上で広がっているようです。



アホか…。この写真が本当に犯人の写真なのか知りませんが、仮にそうだとして、搭乗券に隠れているものがパスポートなのかどうかさえ分かりませんし、パスポートだとしても、この写真で緑か黒かを判断するなんてできないでしょう…。本当に、和田議員が言う通り、保守系の人たちは「事実を徹底的に調べ上げて」発言しますね(嫌味)。


実に卑劣極まりない人たちがこんなにも大勢いるかと思うと悲しくなりますが、同時に百田氏に対する批判コメントも多く寄せられているのがせめてもの救いです。


誤解がないように言っておきますが、私は犯人が在日外国人ではない、と言っているのではありません。外国人である可能性もありますし、日本人である可能性もあります。情報が不十分なので、何も言えない状態です。こういうとき、基本的な姿勢として、「わからないことは判断を保留する」というのが正しいと私は思います。


専門用語で「エポケー」と言いますが、事実を判断するには多くの証拠が必要ですし、証拠がいくらあっても単純に「○○は××だ」と決めつけられないものもいくらでもあります。


なにも「愛国カルト」に限った特徴ではありませんが、複雑でよく理解できないことを、自分が理解できるレベルに単純化、矮小化しようとして、「○○は××だ」と決めつける人は大勢います。「在日は反日だ」とか「日本人ならこう考えるはずだ」とか、そういうのが典型例ですね。実際にはそんなに単純じゃなく、いくらでも反例があるのに、自分のレベルまで落とさないと物事が理解できないのです。(これを私は「1ビット脳」とも呼んでいる)


(この「エポケー」という態度は、異文化接触の際には特に重要です。異文化には、自国文化では理解できない、判断できないことがいくらでもあります。それを自国文化の判断基準で善悪や是非を決めたりせず、本当に理解できるようになるまで、評価したり是非の判断をしたりすることを取りあえずやめておく。これが「エポケー」です。具体的には、インドでは手づかみでカレーを食べますが、日本文化の基準で「汚い」とか「行儀が悪い」とか判断しないで、とりあえず判断を保留して、実際に自分も手づかみでカレーを食べてみるようなことです。やってみると現地の人との距離が縮まっていいかもしれません)


わからないこと、決められないことは、とりあえず判断を保留する、ということは、偏見や妄想に陥らないためにとても大切なことです。「○○は××だ」というような単純化によって誰かを傷つけることも、今回の百田氏のように、何の情報もないのに「犯人は在日外国人じゃないか」などと妄想することも、わからないことは、わかるまで取りあえず置いておく、判断保留する、ということで避けることができます。


エポケー(判断保留)は、愛国カルトにならないため、偏見によって人を傷つけないための、大切なキーワードです。


===愛国カルトにならないために===

わからないことは軽率に結論を出さず、

取りあえず判断を保留すること(エポケー)が

大切である。


========================== 

にほんブログ村 政治ブログへ 
にほんブログ村 政治 ブログランキング

(スポンサードリンク)