ここしばらく、産経の頭の悪さが特に目立ちます。安倍自民の言動が破綻しまくっているのに、それをなんとか擁護しようとせんが為に、しっちゃかめっちゃかな破綻した記事にならざるを得ないのでしょう。しかし、産経がバカなのはいつものことなのだが、バカとか賢いとか以前に、どうにも新聞社としてのプライドさえないのではないかと思える記事が目に付きます。


先日の辻元疑惑も、「3つの疑惑」とやらを報道するまでは理解できますが、民進党に抗議された後の反論記事は、とてもではないですが、新聞社としての矜持が感じられない、驚くべき情けないものでした。詳しくはこちらを読んでもらいたいですが、根拠と言えるものが全く見当たらない状況で報道し、そのうえで「十分取材した」と述べているのです。「十分取材した」上でデマを報道したのなら、余計に恥ずかしい話です。


さて、そんな産経新聞ですが、またもや新聞社としての矜持が感じられないアホな記事を書いていました。


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 (産経新聞4月6日
 
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先日今村復興大臣が記者会見で激高したことについてです。


まず、産経は、至極真っ当な指摘から始めます。

 福島原発事故に伴う自主避難者に「自己責任」と述べた今村雅弘復興相の“暴言”は弁解の余地がない。明らかに言いすぎであり、質問したフリーの男性記者に激高したことも閣僚の資質を疑わせる対応だ。


「『自己責任』と述べた暴言は弁解の余地がない」「激高したことも閣僚の資質を疑わせる」というのは、その通りだと思います。この点、激高したことを称賛した百田尚樹あたりとはさすがに異なります。



しかし、ここから先、産経は「記者の質問が悪い」「今村大臣は被害者」という論調になります。

 ただ、記者は今村氏の逆上を狙ったかのように挑発的な質問を繰り返した。テレビのニュースは今村氏が声を荒らげる場面を中心に伝えたが、会見全体をみると記者の「引っかけ」にはまった様子がうかがえる。

「記者は今村氏の逆上を狙ったかのような挑発的な質問を繰り返した」
「会見全体を見ると、(今村大臣は)記者の『引っかけ』にはまった様子がうかがえる」


おいおい、たった今「弁解の余地がない」と言ったのに、その直後に弁解するのかよ(笑)



さすが産経としか言いようがありません。

 まず記者は3月31日に自主避難者の住宅無償提供が終了したことを挙げ「国の責任放棄ではないか」と尋ねた。今村氏は「一番被災者に近い福島県に窓口をお願いしている。国としてもしっかりサポートしていく」と応じた。その後、別の記者との質疑に移り、事務方は会見終了を告げた。

 ところが、フリーの記者は再び質問を始め、「国が率先して責任をとる対応がなければ福島県に押しつけるのは絶対無理だと思う」とただした。終盤の約4分半の間に22往復した質疑の末、記者はさらにたたみかけた。

 「なぜ帰れないか、実情を知らないのではないか。人のせいにするのは…」

 「責任持って回答してください」

 冷静だった今村氏も次第に感情的になった。

 「人のせいなんかしてないじゃないか」

 「責任持ってやってるじゃないか。何て無礼なこと言うんだ。撤回しなさい」

 そして「出ていきなさい」「うるさい」との発言につながった。まさに術中にはまったわけだ。

 今村氏が答える前に最初に「自己責任か」と問うたのも記者だった。今村氏が「避難者を困らせている」と断定調に主張し、質疑というよりは論争となった。

(略)

政権を追及するのは結構だが、「ためにする質疑」は生産的ではない。

つまり、記者の質問が、最初から今村大臣を貶めるために行われた非生産的なものであり、今村大臣はその術中にはまってしまった被害者である、と擁護しているわけです。


たしかに、記者の質問は、質問というよりも詰問という感じで、自分の意見をぶつけて今村大臣を非難するものでした。


しかし、産経自身が最初に述べた通り、記者会見の場で激高したことは大臣の資質を疑わせるには十分です。産経は「質疑というよりは論争となった」と述べていますが、つまり論争になれば大臣は激昂するわけです。これで国会での論争に耐えられるとは思えませんね。


次に、「質疑というよりは論争となった」とのことですが、単に質問してそれに答えるだけであれば、ペーパーでも済んでしまいます。記者会見であれば、「こんなこと聞いたら怒らせちゃうかな?」なんて考えずに質問するという姿勢は重要であると思われます。


そして何より、産経の新聞社としての矜持を疑わせるのが、「『引っかけ』にはまった」「術中にはまった」と、今村大臣を被害者として擁護している点です。


この会見で最も重要なのは、今村大臣が記者会見で激高するような、自分をコントロールできない幼稚なアホという点ではありません。今村大臣が自主避難者のことを「自己責任」と述べたという点です


産経は「自己責任」という言葉を先に使ったのは記者の方だったと言って、「自己責任」という言葉も記者の術中にはまって言ってしまったかのように書いていますが、これは新聞であれば、「術中にはまった」などと今村大臣を擁護せず、「本音を引き出した」と記者を称賛してもよいのないでしょうか。称賛しないまでも、メディアが政権側に立って質問者を批判して、この記事は何が言いたいんですかね? 記事というものは何かを伝えるために書くものですが、産経はこの記事で何を伝えたいんですかね?


通り一遍のことを聞いて答えてもらっても、それでは単に政権の主張をそのまま流す国営メディアと変わりありません。相手が言いたくないようなことを引き出してこそ、メディアの価値というものはあるものです。


ところが、産経新聞は、今村大臣の本音を引き出した記者の方を非難し、記者が原発や米軍や憲法などの問題で安倍政権に批判的であることを指摘します。こんな会見自体と関係ないところに言及して「安倍政権に批判的」と紹介しるのは、安倍支持者である産経新聞読者に、この記者が政権を貶めることを目的とした「パヨク」であるという印象を与えるためでしょう。事実、「政権を追及するのは結構だが、『ためにする質疑』は生産的ではない」と、記者の質問態度を批判しました。


しかし、産経は最初に今村大臣の激高について「閣僚の資質が疑われる」と述べ、「自己責任」という発言については「暴言」であり「弁解の余地がない」と言っているではないですか。「弁解の余地がない」とまで言っておきながら、その暴言は記者の引っ掛けにはまってしまったのだと弁解しているのは滑稽でなりません。


記者の質問により、今村大臣が「閣僚の資質が疑われる」ような人物であり、弁解の余地がないほどの暴言である「自主避難者は自己責任」という考えを持っている人間だということが分かったのですから、この記者の質問は非常に生産的であったと思います。このような「閣僚の資質が疑われる」性質を持った人間が、その本性を隠したまま大臣を続けられては大変です。今村大臣の本性を暴き出したという点で、この記者の質問は十二分に意義のあるものでした。


にもかかわらず、これを「非生産的な質問」と批判する産経新聞には、新聞社としての矜持がまるで感じられません。


自分は辻元の根拠のない「疑惑」を報じ、さらに「蓮舫の二重国籍疑惑も追及する」と宣言しておきながら、「政権を追及するのは結構だが、『ためにする質疑』は生産的ではない」と述べるとは、産経の言っていることは本当に滑稽でなりません。


結局のところ、安倍自民党応援団である産経新聞にとっては、「安倍しかない」のであり、「安倍総理を応援することは生産的な行為」であり、「安倍総理の足を引っ張ることはことは非生産的な行為」という考えなのでしょう。だから、安倍の足を引っ張る質問を「非生産的」と言っているにすぎません。逆に蓮舫の二重国籍のような追求する意味がことは産経にとっては「生産的」なことなのでしょう。


今村大臣の本性を暴き出した質問を「非生産的」と非難。


「弁解の余地がない」と言いながら、その直後に「記者の質問が悪い」と弁解。


「政権を追求するのは結構だが」と言いながら、自身は政権を追求する気などなく、政権を擁護し政権を批判する野党やこの記者については追及をする。


産経新聞からは、新聞社としての矜持というものが微塵も感じられません。もうこの会社は新聞社を名乗るのをやめ、個人ブログにでも書き込んでるのが身の丈に合っていると思えてなりません。

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