<ざっくり言うと>
  • 八幡和郎、サッカーの試合を憲法9条と北朝鮮の核開発に結び付けるというアクロバティック主張を展開する。
  • 八幡和郎、9条がなければ中国や北朝鮮の核武装を思いとどまらせられたかも知れないと、日本の影響力を過信して自意識過剰理論を言い出す。
  • 八幡和郎、無抵抗主義だった日本の試合を称賛し、「やはり無抵抗主義はいかん」という結論を導く。
  • そもそも、サッカーの試合を国際政治や憲法問題と結び付けてる時点でおかしい。
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「9条のせいで北朝鮮が核武装した」という意味不明論理


前回、フェアプレイポイントで上位進出した日本を称賛しながら「やはりフェアプレイよりも国益だ」という結論を導いたご都合主義マン、八幡和郎。ホントなんでこんなのが大学教授できてるんでしょうね。論理性でいったら小学生並みだと思うんですが。


さて、そんな八幡和郎の論理展開は、この後もめちゃくちゃで、かなり理解不能なことになります。サッカーと9条を無理やり結びつけるという、ギャグマンガみたいなアクロバティックな論理展開をナチュラルに行った後、このように続けます。
第9条か平和かどっちが大事だというのと同じだ。第9条の理想に殉じて北朝鮮の核武装を許してしまったことをそれでよかったと思う人は今晩の日本を非難すれば良い。
どうやら、八幡和郎の脳みその中では、9条のせいで北朝鮮が核武装してしまったらしいです。この時点で自意識過剰と言わざるを得ませんが、八幡はこのように続けます。

石原信雄・元内閣官房副長官と勝股秀通・日本大教授がBS日テレの「深層NEWS」に出演し、北朝鮮の核・ミサイル開発を巡る過去の日本政府の対応などについて議論したが、そのなかで、石原氏は、日本政府が1994年に北朝鮮の海上封鎖に関する米国の協力要請を断ったことを紹介した。

「あの段階ならまだ北朝鮮の核開発を阻止できたのではないかとの見方もある」といったのだが、憲法第9条が北朝鮮の核武装の追い風になったという事実は否定できない

さらに、日本が1964年に中国が核実験する前に「もし中国が核実験したら日本もする」と言ったり、あるいは北朝鮮の核武装の前に「もし北朝鮮が核武装したら日本もする」と言ったりしていれば、彼らは思いとどまったかもしれないではないか。

何言っとんだ、お前は!


94年に日本が海上封鎖に協力していれば北朝鮮の核開発を防げたという論理も意味不明だし、日本が「お前が核武装したら、日本もするぞ」と言えば、中国や北朝鮮が核武装を思いとどまったって、どれだけ自意識過剰なんでしょう? もしも日本がそのように言えば、むしろ北朝鮮なんかは「日本が核武装して我々を狙っている。だから我々も核武装するのだ」という論理展開で核武装を正当化したとしか思えませんが。


そもそも、八幡の論理なら、アメリカが核を持っている時点で、中国や北朝鮮は核開発を思いとどまっていないとおかしいはずです。彼らからすれば、アメリカに対抗するために核開発をしたので、日本が核を持ったら怖いから核開発を断念する、なんて論理展開になるわけがありません。


インドとパキスタンの例を見ても、「相手が核を持ったら怖いから、自分も持たないようにしよう」なんてことにはならないことは明白です。「相手が核を持ったら怖いから、自分も核を持とう」という発想ですよね。実際、八幡の「お前が核を持ったら日本も持つぞ」という発想は、そういう発想じゃないですか。


八幡の発想自体が、八幡の発想が間違いであることの証明みたいなものです。八幡和郎の論理展開はあまりにもバカげています。日本の影響力を過信した、自意識過剰タイプですね。

米韓軍事演習で止められないものを日本に止めろと?


日本が9条のせいで北を威嚇できなかったから北が核武装したかのように言う八幡ですが、それを言うなら、米韓軍事演習なんかどうなるんでしょう。ずっと北を威嚇していたわけですよ。櫻井よしこなんかは、「9条は北朝鮮の核開発を止められなかった」という論理展開で9条批判をするわけですが、その前に、「米韓軍事演習で威嚇しても、北朝鮮の核開発は食い止められなかった」という点を考えたらどうなんですかね。


朝鮮戦争の当事国はアメリカと韓国です。もちろんどちらも9条を持っておりません。アメリカは世界一の軍事力を持ち、世界一核兵器を保有しています。世界一の軍事力の国と、徴兵制を行い米軍と合同の軍事演習を度々行っている国がずっと威嚇し続けて北朝鮮の核開発を食い止められなかったのに、「日本の憲法9条が北朝鮮の核開発の追い風になった」など、本当に意味不明な論理展開です。北朝鮮に対する日本の影響力など、韓国や米国に比べたら微々たるものでしょうに。


「日本が9条を持っていなければ北の核開発を止められた」という論理なら、9条を持っていない韓国と米国は北の核開発を止めていないとおかしい。インドとパキスタンは9条を持っていないのですから、核開発を止めていないとおかしいです。


八幡和郎の脳内では、北朝鮮は「よし、俺たちが核兵器を持っても、日本は9条があるから核武装しないぞ!」と考えて核武装したことになってるんですかね? 韓国は9条を持っていないし、米国はすでに世界一の核戦力を持っているのに、そっちじゃなく、日本が核開発をするかどうかを気にしてたんですかね? 八幡和郎の脳内では、北朝鮮に対する日本の影響力って、米国以上にでかいことになってるんでしょうか?


この手の人間にありがちなことですが、ほんとうに日本の影響力を過信してますね。彼らの脳内では、世界の中心は日本なのでしょう。日本が「核開発するぞ」と言えば、北朝鮮や中国は「ひえええ!」と怖がって核開発を辞めるぐらい、日本は影響力があることになっているのでしょう。


やはり、サッカーを国際政治に結び付けるような男など、こんな稚拙で自意識過剰な論理展開しかできないのでしょう。


無抵抗主義の試合を称賛し、無抵抗主義を批判する八幡和郎


さらに八幡和郎はこう続けます。

日本が海外派兵しなかったのには、第9条の存在はプラスだったが、日本が戦場になる可能性は第9条がゆえに大きくなっているし、拉致問題も、竹島問題も、尖閣問題も日本が軍事力を行使しそうもないことが彼らの横暴な振る舞いをもたらしているのは否定できまい。

そうした客観事実を認めた上で、それでも維持する価値があるかを真摯に議論すればよい。私は第9条は崇高な理想だが世界平和や日本の安全に役だつかはなんとも言えないと思う。

無抵抗主義は自分の利益にならなくても追求するもので自分たちに得だというのは功利主義的解釈で邪道だと思う。それを第9条は崇高な理想で現実にもお得とかいう安直な議論はいじましい。

八幡はこのように「無抵抗主義」を批判します。9条が「無抵抗主義」かどうかという時点で疑問符が付きますが、それはともかく、そもそも八幡和郎は、サッカー日本代表のポーランド戦の戦い方を見て、この記事を書いています。あの時の日本はどうだったでしょうか。


そう、最後の10分間、一切攻めることなく、無抵抗主義だったのです。


自分から攻めたらやり返されて、さらにやられるかもしれない。だから一切攻めず、守りに徹し、最終的に決勝トーナメントに進出するという、「負けるが勝ち」ともいえる戦法を選んだのです。


日本代表が取った作戦は、攻撃しないことで相手からも攻撃されないという作戦だったので、見方によっては、八幡が否定している憲法9条の在り方そのものだと言うこともできます。(※あくまでそうやって「言うこともできる」ってだけで、私がそう主張してるわけじゃありませんからね)


八幡和郎は、日本代表の試合を見て、9条批判につなげていますが、別の見方をすれば、逆に9条を擁護することも十分に可能なのです。


結局のところ、サッカーの作戦を国際政治や憲法問題に結び付けている時点で間違いです。八幡和郎に論理性なんて概念はありません。自分に都合のいいように解釈できればなんでもいいのです。


この男の記事がしばしばYahoo!に載ることがありますが、Yahoo!はこんな男の記事を掲載することをいい加減にやめるべきですね。

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