<ざっくり言うと>
  • 「植民地に莫大な金をかけてインフラ整備をした欧米諸国はない。日本だけだ」という主張はデマ。
  • イギリス領インドの鉄道は総距離4万キロ、オランダ領インドネシアの鉄道は総距離7000キロに達していた。
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使い古された「朝鮮は植民地ではなかった」論の嘘

皆さんのほとんどは、1910年に日本は朝鮮半島を併合して植民地にしたと習っていることと思います。ところが、近年(?)インターネットを中心に「朝鮮半島は日本の『植民地』ではなかった」という主張が流行しています。その理由はこのようなもののようです。
>>植民地に莫大な金をかけてインフラ整備をした欧米諸国はない
>>学校を作って教育制度を整え、ダムや橋を建設して近代国家にした。
>>植民地にこんなことをした欧米先進国はどこにもない。


「朝鮮を発展させたんだから植民地じゃない」論ですね。


しかし、これはです。植民地にインフラ整備をし、学校を作って教育制度を整え、ダムや橋を建設して近代国家にしたのは、日本だけではありません。植民地の教育については次回述べるとして、今回はインフラ整備について述べます。


アジア初の鉄道は植民地インド

インフラと言えば、まずは鉄道でしょう。莫大な金がかかるインフラ整備の代表ですね。


さて、アジア初の鉄道はどこに敷かれたのでしょうか? 新橋横浜? 違います。アジア初の旅客鉄道は、1853年、イギリス植民地時代のインドに敷かれたボンベイ・ターナー間の鉄道です。1853年ですから、日本はまだ江戸時代。ペリー来航の年です。この時すでにイギリスはインドに鉄道建設を始めていたのです。下の図を見ればわかるように、1882年までに、鉄道はインド中に張り巡らされております。(参照

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もちろん第一義的な目的は、綿花の原料と市場の確保のための搾取のシステムだったんでしょうが、道路建設にしろ鉄道建設にしろ、莫大な金をかけてインフラ整備をしたことは事実です。19世紀末にはその総距離は24800マイル(約4万キロ)にも及んだそうです(参照)。イギリスはその後も植民地各国に鉄道網を敷いています。


オランダがインドネシアに鉄道を建設したのは1867年で、新橋-横浜間より5年早いです。太平洋戦争直前には総延長7千kmに達していました(外務省HP参照)。フランス領インドシナも、もちろん鉄道が敷かれていますし、フランスが建設した1700メートルに及ぶロンビエン橋はハノイの観光名所になっています。


植民地のインフラ整備をしなかった植民地支配者なんているんでしょうか? インフラ整備をしないと、統治のしようがないと思うんですが、「欧米は植民地のインフラ整備をしなかった」と言っている人の「植民地」のイメージって、ピサロやコルテスで止まってるんじゃないでしょうか。


おそらく百田尚樹は「植民地とは搾取だけをするものを言う!」「日本の朝鮮支配は植民地などではない!」と言いたいんでしょうし、実際インドの鉄道整備などは搾取が第一目的だったんでしょうけど、それにしても「植民地に莫大な金をかけてインフラ整備をした欧米諸国はない」というのは嘘です。。



あと、「朝鮮は植民地ではない!」と主張する人に聞きたいのが、香港についてですね。香港がイギリス植民地であったことは世界の共通認識だと思うのですが、香港は経済的にもあれほど発展し、インドのような「イギリスによる搾取」のイメージとはかなり遠いですよね。果たして、香港は植民地ではなかったのでしょうか? この辺も是非とも答えていただきたいものです。


日本統治下の朝鮮半島では、人口の2.7%が日本人で、首都ソウル(当時は「京城」と言った)では28%が日本人でした(参照)。インフラ整備をしないと日本人だって移動できないわけですから、支配地域のインフラ整備は、どの植民地でも当然行われていたことで、日本だけが特別だったわけではありません。


さて、次回は、「学校を作って教育制度を整えたのは日本だけ」論の間違いを取り上げます。

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