<ざっくり言うと>
  • 八幡和郎、石破茂を極左と呼ぶ。この男の脳内では、「反安倍」=「極左、偽リベラル」らしい。
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八幡和郎がまた意味不明なことを言っています。この男の発言がどれだけトンデモないデタラメかは過去記事をご覧になっていただきたいですが、拉致問題も北方領土も核問題も何一つ成果を発揮できていないのに「安倍外交は120点満点」などと安倍政権を手放しでべた褒めするこの男は、ついに石破茂を「極左」に認定してしまいました。「憲法9条第2項戦力の不保持を削除」「徴兵制は憲法違反ではない」などの主張を持つ石破茂のどこが極左なのやら。


八幡和郎は、いつも通り『アゴラ』に「石破茂氏の『にわか極左』迷言の数々を糾す」という記事を掲載しました。その内容は、いつも通り非常に情けないしょーもないものでした。
石破茂氏が安倍首相に対抗しようとして、突拍子もない発言を続けている。引き合いに出して申し訳ないが、立憲民主党でさえそこまで言わないだろうという感があって、左派と言うより、反体制的な極左になったかという印象すらある。
うーむ、どうやらこの男の脳内では、体制批判=極左であるようですね。やはり「安倍批判」は極左にされてしまうようです。実際、この男が批判している石破茂の発言に、「極左」的なところは全く見られません。
東京・銀座で街頭演説を行い、15日に死去した女優の樹木希林さん出演の映画「万引き家族」を引き合いに出して、「悪いことだが、万引しないと暮らせない家族がある。どうしたら幸せに暮らせていけるか。その人たちが働ける環境を作っていかないといけない」と語った。

しかし、万引きする人のどれだけが万引きしないと暮らせない人たちなのか? あまりにも愚かなたとえ話だ。戦後の食糧難で孤児達や物乞いがあふれているような時代にしか聞いた記憶しかない極論だ。
「万引きをしないと暮らせない人たち」というのが実際にいるのかどうかは私もわかりませんが、石破は「万引きする人=万引きしないと暮らせない人」と言っているわけではありませんし、相対的貧困が存在することは事実で、仮に「万引きしないと暮らせない家族」というのが現実的な話じゃないとしても、この主張自体にはどこにも「極左」的な要素はないでしょう。


次に、八幡はプーチンの「前提条件なしでの平和条約締結」という提案について述べます。この問題では、あれほど尖閣や竹島で怒りをあらわにしていたのに、突然「領土問題よりも平和だ」と言い出す人たちが多くて驚かされます。単に安倍外交を批判したくないというだけにしか見えないのですが、八幡和郎もそんな人間の一人のようです。
領土問題をめぐるプーチン発言についての石破発言もひどい。「領土問題と平和条約は一体だ。国益や国家主権を考えれば当たり前だ」とテレビで発言した。

しかし、それなら、日中の平和条約は尖閣を棚上げにして結んだし、日韓も竹島を棚上げにしている。友好国同士で国境未確定とか紛争抱えてる例なんていくらでもあり、平和条約より国境画定が後回しでも一般論としては構わないのである。

北方領土問題については、日本側が領土問題ぬきでというのはダメと主張しているだけで、普遍的な原則ではない。それを混同しているのでは、思考能力の水準が問われかねないし、そういう人が外交交渉をやっては危なくて仕方ない。
まず、中国との平和条約については、日本政府は尖閣諸島に領土問題は存在しないとする一貫した立場を示しています。尖閣諸島は日本の支配下にあり、日本政府が日中平和友好条約を結ぶ際に、わざわざ尖閣諸島を自ら持ち出すなど、「ここは領土紛争がある地域だ」と自ら認めることになります。当然、絶対にありえない話であって、八幡和郎の主張は完全に出鱈目です。


次に、竹島ですが、もともと韓国とは平和条約など結んでいません。なぜなら、韓国とは戦争をしていないからです。八幡はそこから理解が間違っています。


日韓基本条約は日韓の国交の開始であり、戦争の平和条約ではありません。ロシアとは1956年に日ソ共同宣言で国交を回復しましたが、その際に領土問題は平和条約締結まで棚上げされました。つまり、竹島を棚上げして韓国と国交を結んだことと、北方領土を棚上げしてソ連と国交を結んだことは同じ状況なわけです。韓国とはそもそも戦争をしていないので、平和条約を結ぶ理由も予定もありません。一方、ロシアには戦争で領土を取られたので、平和条約の締結が必要なのです。この点でも、竹島を引き合いに出す八幡和郎の主張は明白に間違っています


そして何より、日ソ共同宣言で、平和条約締結の際には最低でも歯舞色丹の二島が返還は約束済みです。これが有効であることは、日露間で何度も確認された事実です。プーチンの「前提条件なし」という発言は、この60年以上両国が有効であることを確認し続けていた約束を反故にすることなので、認められないのは当然のことです。


石破茂は、日本が60年間言い続けてきたことを踏襲しているわけで、どこにも極左的要素はありません。これが極左なら、日本の過去60年間の政権は極左だったんでしょうか。


八幡は石破茂の発言を「反体制的な極左」などと言っていますが、「領土を返さないと平和条約を結ぶわけにはいかない」という強硬意見と、「領土は棚上げにして平和条約を結ぼう」という意見と、どちらが「左翼」的でしょうか。私は明らかに後者だと思うのですが、前者を主張する石破を極左扱いするって、八幡の脳内での「極左」は、やはり「安倍晋三に逆らう」ことなのでしょう。(なお、安倍晋三も、プーチンの発言に同意してはいないし、「抗議した」と言っているので、石破の発言が極左なら、安倍も極左になってしまうのだが)


最後に、八幡は憲法問題に触れます。
石破氏は憲法改正についても、「国民投票で51:49は避けるべき。6割7割賛成をいただきたい。国会で2/3を取っただけではダメ」といっているが、これも、おかしな発言だ。

現在の憲法の最大の欠点は硬性憲法すぎることだ。それはある世代の意見をのちの世代に押しつけることになっている。その厳しすぎる規定をさらに勝手な忖度で厳しくするのはなんお正義もない。

国民投票で否決されるリスクを避けたいという党派的な思惑なら理解できるが、それならそういえばよい。その場合でも、「だいたい、確実に勝てるという見通しがないと」とかいうに留まるべきで、国民の三分の二ほどが投票で賛成しないといけないというのはまったくどうかしている。

それは、国民の意思が否定されるということで、民主主義とはもはやいえない。
はっきり言って、八幡のここでの発言は話になりません。


まず、八幡は「それは国民の意思が否定されると言うことで~」などと言っていますが、石破は別に「国民投票で2/3取れなければ、たとえ過半数をとっても憲法改正はしないべきだ」などと言っているのではありません。「国民の2/3が賛成できるような憲法改正でなければいけない」と言っているだけです。この点で、八幡和郎はそもそも日本語レベルで間違っています。


次に、八幡は憲法というものをまるで理解していません。「国民投票で否決されるリスクを避けたいという党派的な思惑なら理解できるが~」などと言っていることからもわかる通り、八幡には憲法が「国民のもの」という意識が全く欠如しています。八幡和郎の脳内では、憲法改正は「勝った」「負けた」というようなものなのでしょう。


しかし、憲法へ今後何十年と続いていくものです。次の世代、その次の世代に受け継いでいくものなので、その時投票した人が51:49で「勝った! やった!」で終わっていいものではありません。何世代も続いていくことを考えれば、その時のちょっとした雰囲気で変化するような差ではなく、多少情勢が変わろうが、のちの世代も納得して享受できるものでなければなりません。そうなれば、51:49ではなく、6割7割が賛成できるような憲法改正を求めるのは当然のことだと言えます。


八幡自身、日本の憲法は「硬性憲法」であり、「それはある世代の意見をのちの世代に押しつけることになっている」と言っています。51:49のような、風が吹けばひっくり返ってしまいそうな状況で憲法を変えて、それを何十年も続けることこそ、その時投票した世代の意見を後の世代に押し付けることになります。


石破は、まさに「ある世代の意見をのちの世代に押し付けること」を嫌って、「国民投票で6割7割の賛成が欲しい」と言っているのに、それを「国民の意思が否決されることで民主主義ではない」などと言う八幡和郎には論理性の欠片さえありません自己矛盾も甚だしい。


おそらく八幡和郎の脳内では、憲法改正は絶対にしなければならないことであり、護憲派は敵であり、護憲派に「勝て」ばそれでよいのでしょう。憲法を改正することは絶対正義なので、国民投票でどんなに僅差になろうが「ある世代の意見をのちの世代に押し付けること」ではないけれど、憲法を改正しないことは「ある世代の意見をのちの世代に押し付けること」なのでしょう。


第一、八幡は「憲法改正で6割7割の賛成が欲しい」と主張する石破を「反体制的な極左」と言っていますが、反体制とは「既存の社会体制や政治体制に対して反対し、それを変革しようとすること」ことです。どういうわけか八幡和郎は護憲を「反体制的な極左」だと思っているようですが、むしろ憲法こそ既存の政治体制の根幹であるので、改憲派こそ反体制です。体制が正しいわけでも反体制が正しいわけでも別にありませんが、「反体制」と言うなら安倍晋三も反体制ですし、9条2項の削除という、いわゆる「左翼」の主張と真っ向から対立する右翼的な主張を持つ石破茂を「極左」と呼ぶなど意味不明もいいところです。


バリバリの改憲派である石破茂が極左となると、憲法改正に反対している人はもれなく「反体制的な極左」なんでしょうね、この男の脳内では。すると国民の半数が極左になりますね。相変わらず、この男の主張には一切の論理性もなければ、一切の客観性もありません。自分自身が批判していることを、同じ文章の中で自分自身が言ってのける。さすが八幡和郎! おれたちにはできないことを平然とやってのける! そこにシビれない! あこがれない! ただ気持ち悪い。


さて、八幡和郎が「極左」だと批判する石破茂の主張を並べてみましょう。

  • 万引しないと暮らせない家族がある。どうしたら幸せに暮らせていけるか。その人たちが働ける環境を作っていかないといけない
  • 領土問題と平和条約は一体だ。国益や国家主権を考えれば当たり前だ。
  • 国民投票で51:49は避けるべき。6割7割賛成をいただきたい。

一体どの辺に極左的要素があるのだ…。



本当に万引きしないと暮らせない家族があるのかどうかは私は知りませんが、貧困対策なんて右翼政権だろうが左翼政権だろうがやって当たり前の事です。仮に万引き家族の例が極端だとしても、どこにも極左的な要素はありません。(これが極左なら、右翼は貧困対策をしないのか?)


2つめは、領土問題が解決しないと平和条約を結ばないという強硬姿勢だから、左翼的どころかむしろ右翼的と言えるし、大体これは日本政府が60年以上一貫して言い続けてきたことなのだから、これが「極左」だと過去の日本政府全てが極左になってしまいます。もちろん、これまでその立場を踏襲してきた安倍政権も極左になってしまうのですが、八幡和郎のようなやつは、今日の安倍政権を肯定するためなら、昨日の安倍政権を極左にすることさえ厭わないのでしょう。


そして、憲法改正では、憲法は今後も何十年も続いていくものなのだから、「ある世代の意見をのちの世代に押し付けること」を避けるためには、「任期中にやりたい」などという理由での拙速な憲法改正で51:49という状況は避け、国民の6割7割が賛成できる憲法改正をやりたいというのはむしろ当たり前の事。「ある世代の意見をのちの世代に押し付けること」を嫌う八幡和郎は、むしろ石破に同意しないと理屈が通らない


大体、石破茂は護憲どころかバリバリの改憲派で、憲法9条に自衛隊を明記するどころか、憲法9条第2項の戦力の不保持を削除して、国防軍を持とうと主張している人です(自民党の憲法改正草案参照)。主張内容としては自衛隊を加憲しようという安倍晋三の主張よりもずっと右翼的。これで「極左」とか意味が分からない。


これで八幡和郎は、こんなことを言うのだからもう呆れて笑いも出てきません。
(石破茂は)もともと自分が主張してきた考え方と乖離した極左的な主張を、朝日新聞など偽リベラル系の喝采を浴びたいからか、総裁選挙後に離党して彼らと組むときに有利とみるからか、それとも、党内や霞ヶ関、あるいは、保守中道派からの支援を受けられなかったので、偽リベラル系の寄せ集めブレーンに頼ったからなのかどれかだという気がする。
「貧困対策をしよう」(当たり前すぎる)

「平和条約は領土返還が前提条件」(日本政府60年間の一貫した主張)

「9条第2項削除」(自民党の従来的主張)

「51:49のような僅差ではなく、国民の6割7割が賛成できる改正をしよう」(「ある世代の意見をのちの世代に押し付けること」を避けるためには当然のこと)

これが「極左的な主張」に聞こえると思うだけでどうかしていると思いますし、「もともと自分が主張してきた考え方と乖離」しているというのも、全く意味不明です。一体どこに極左的要素や、「もともと石破が主張してきた考え方との乖離」があるのやら。


むしろ、安倍晋三こそ、自民党の憲法改正草案を無視して、党内議論も経ずに、突然独断で「9条2項を維持したまま自衛隊を書き加える」などと言い出したのですから、八幡和郎は安倍晋三にこそ、「もともと自分が主張してきた考え方と乖離した主張」だと非難しなければおかしいです。


これらの石破の主張が「極左」に見えると言うのは、やはり八幡和郎の脳内では、安倍晋三を批判することは「極左」や「偽リベラル」なのでしょう。全く論理性の欠片も感じられません。


なぜかこの男が書いた記事がYahoo!のトップページに載ることがありますが、この男がどれだけ出鱈目ばかり言っているか理解し、こんな男に騙されることがないよう、注意しましょう。

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