<ざっくり言うと>
- 西村幸祐、『新潮45』に抗議するために新潮社の本を置かないと決めた本屋に対し、「野蛮」「ナチス」「強制収容所の本屋」などと低劣な罵声を浴びせる。
- 出版社にどのような本を出版するかを決める自由があるのと同様に、本屋にもどのような本を置くかを決める自由があると言うことさえ理解できない西村幸祐。
西村幸祐、新潮社の本を置かない本屋を野蛮、ナチス、強制収容所と罵る愚
今回の『新潮45』のヘイト問題に対し、和歌山県のある本屋が広義の意味で、新潮社の新刊本の販売を取りやめる方針を明らかにしました。(参照)
これに対し、西村幸祐がこのように噛みつきました。
ずいぶん野蛮な本屋がある。まるでナチスの手先のようだ。朝日新聞の仕込みの可能性があるかどうかも議論の的になるかも知れない。いずれにしても「貴方の意見には反対だが、貴方がそれを言う権利は命を賭けても守る」というヴォルテールの言葉も通じない強制収容所の本屋だ。https://t.co/HBuX7sRLyP
— 西村幸祐 (@kohyu1952) 2018年9月21日
「朝日新聞の仕込み」などと言い出す陰謀論思考もたいがいにしてもらいたいですが、ヘイトに抗議して新潮社の本の販売を取りやめることが、言論の自由を踏みにじる「野蛮」で「ナチスの手先」のような「強制収容所の本屋」とは、これまたなんとも野蛮で暴力的な評価なことです。
このツイート一つで、西村幸祐がどれほど言論の自由・表現の自由に対するまともな理解を持ち合わせていないかわかります。
どんな本を置くかは本屋の表現の自由
出版社は、売れる本、売りたい本を出版する権利があり、本屋は売れる本、売りたい本を販売する権利があります。そうでなければ医学書専門店なんて存在できませんし、「うちは漫画は置かない」「うちはエロ本は置かない」という本屋だってあるわけです。
本屋がすべての本を置かねばいけない義務など全く存在せず、「うちはヘイト本およびヘイト本の出版社の本は置かない」という本屋があるのは当然のことです。
それを「野蛮」だと言うのなら、そもそもLGBTに対する下劣なヘイト論文を出版した『新潮45』の野蛮さは一体どうなるんですかね。「言論の自由」で差別本の出版が許されるのなら、「そのような本は我が本屋では取り扱いません」というのも、本屋の表現の自由です。逆に、「うちは朝日新聞社の本は置いていません」という本屋があっても、全然言論の自由の侵害ではないわけです。
著者に言論の自由・表現の自由があるのと同様、本屋にはどんな本を置くかを決める表現の自由があります。西村幸祐はヘイト本を置く自由を主張する一方、ヘイト本を置かない自由は認めないわけです。随分とまあ勝手な自由であることですね。
西村理論では出版社はどんな原稿も拒否できなくなる
さらに、西村幸祐は、新潮社の本を撤去したこの本屋の行為が、ヴォルテールの言う表現の自由を侵害する行為だと考えているわけですが、別に新潮社の本を撤去したところで、誰の表現の自由も侵害されていません。
この本屋が新潮社の本を置かなかろうが、新潮社は自社の本を発行できますし、小川榮太郎ら執筆者は自由に自分の発言を発信する権利を有しています。公権力による検閲も一切ないし、出版活動によって投獄されるようなことも一切ありません。インターネットでもどこでも、彼等は自由に発言できます。
さらに、もしもこの本屋が新潮社の本を置かないと決めたことが表現の自由の侵害であるのならば、出版社は持ち込まれた原稿をどんなものでも出版しなければいけなくなってしまいます。だって、本屋に置かないどころか、そもそも出版さえされなかったら話になりませんからね。
西村理論では、出版社が持ち込まれた原稿に対し「こんなつまらない原稿はうちから出版できない」と拒否したら「言論の自由の侵害だ!」となってしまいます。もしも私が『新潮45』に杉田水脈批判の原稿を持ち込んだとして、それを拒否された場合、西村は「言論の自由の侵害だ!」と怒ってくれるでしょうか? くれないでしょうね。
早い話が、出版社にはどのような本を出版するかを決める自由があるのと同じように、本屋にはどのような本を置くかを決める自由があるんです。
小学生でもわかりそうな当たり前のことですが、西村幸祐には通じないようです。
「卒業式に君が代・日の丸のない大学は潰せ」と言う西村幸祐こそ強制収容所脳
本屋に新潮社の本を置かないだけで「野蛮」「ナチス」「強制収容所」だなどと罵る西村幸祐。その一方で、この男は東大の卒業式に君が代・日の丸がないだけで「そんな大学は潰せばいい」と言います。
ほぼ100%、賛同します。
— 西村幸祐 (@kohyu1952) 2014年3月27日
RT:東京大学の卒業式には君が代も日の丸も無い?本当ならば、 こんな大学は潰せばいいと思います。@jnaismith77 @aki1973
東大の大学としてのどんな研究成果よりも、卒業式に君が代・日の丸がないという一点を重視して「潰せばいい」と言う西村幸祐。西村幸祐の脳内では、君が代・日の丸がない卒業式というのは、表現の自由の範囲外であって、決して認められず、潰すべきことなのでしょう。一体こいつのどこに表現の自由があるんですかね?
日の丸・君が代がない。それだけで大学を潰してしまえって、それこそ野蛮であり、ナチス的であり、「貴方の意見には反対だが、貴方がそれを言う権利は命を賭けても守る」というヴォルテールの言葉も通じない強制収容所の発想ですが、鏡を見ることを知らない西村幸祐にかかれば、これぐらいのブーメラン攻撃はいくらでも行います。西村幸祐の行う「パヨク」批判は、大体西村幸祐自身にがっつりぶっ刺さります。
ところで、西村幸祐は何かあると「朝日新聞がー」「共産党がー」と言ってますが、「うちは朝日新聞社の本は置かない。その分、産経や青林堂の本を多く置く」という本屋があった場合、果たして彼はどのように反応するでしょうか。「確かな良心を持った愛国的本屋だ」と称賛するのが目に浮かびます。
本屋が特定出版社の本を置かないだけで「言論の自由の侵害」だと言い、本屋の自由を否定する西村幸祐。こんなトンデモ評論家に騙されてはいけません。
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コメント
彼らがカール・ポパーの不寛容のパラドックスについてどう考えているのか尋ねてみたいものです。
自分の言葉が不寛容な社会を招くことすら気がつかないような方々ですから、マトモな反論は期待していませんが。
『新潮45』以外の新潮社の本も撤去したみたいですよ。
こういう人達って、『自由』という言葉を自分にとって都合のいい部分だけとらえがちなんですよね…。
『自由』には『批判する自由』まで含まれるのに、それを否定してるんですから質が悪い。
だから、今回の件でも平気でとち狂った事を言えちゃうんでしょうね。
なーにがナチスだアホがw
お客様にゴミ(45)を売らないという商売人として当然の行為だわ。
ちなみに彼のツイートを見ましたが、さすがにネトウヨ連中からも「お気持ちは十分わかりますが、さすがに本屋さんにも好きな本を売る自由がありますので・・・」という返答が多かったですね。
そりゃあ根性のあることをする本屋さんもあったものですね。新潮社の本を全て撤去ですか。この動きが全国に波及すれば、たった一冊のバカな雑誌(しかも全国で発行部数は僅か16000部)のせいで、新潮社は大損をすることになりそうですね。最も私はそれこそ新潮社の「自己責任」で同情はしませんが。
「新潮45だけ」扱わない→本屋さんも新潮社も大してダメージなし→「新潮45、休刊と言う名の実質的廃刊」
これが妥当では?
元々そういういかれた思想に親和性の高い人物だったのか。
西村幸祐は高校時代に見た三島由紀夫の割腹自殺に衝撃を受け、大学時代ずっと彼の思想、信条の研究に没頭したようですね。
三島の思想と彼の現在のようなネトウヨ思想がどう結びついたかはわかりませんが、三島が当時の左翼文壇から徹底批判されていましたらね。それが影響あるのかもしれません。
このテの人達は「ヘイト本」等のような表現自体を「差別」とか「言論・表現の自由に対する侵害」とか何とか言って非難しだしそうだな。
問題は「こう言う主張すら金になる状況」
他の国では、どうなのでしょうか?
例えば、韓国の書店には日本の反韓嫌韓本と同レベルの過激な反日書籍が並び、反日に特化した雑誌が出版されているのでしょうか?
そして戦争を仕掛けた張本人は戦争責任をろくに取らずに平和主義者ヅラ。そしてそんな戦争仕掛けた張本人を恨み骨髄に達しないどころか、有り難がるおぞましい日本国民。日本は天皇カルトのおぞましい国。
御前会議で全部決定されて天皇の意思など反映されてないんだよ。陛下も当時は反対すれば己の身すら危うかったと軍部の暴走を指摘賜われています。陛下はマッカーサー相手に自分はどうなってもいいから国民を助けてくれと言ってマッカーサーすら親日に変えたのだね。日本の現人神として讃えられるにふさわしい功績をお残し遊ばれてますよ。
全てがどうかはわかりませんが、大小どの書店に行ってもケント・ギルバートの本が陳列されているような日本の現状とは違うようで。理由は「売れないから」だとか。
http://www.magazine9.jp/article/kunio/15894/
https://twitter.com/tabisaki/status/996192825589972992
https://twitter.com/gashin_shoutan/status/1031862433004965889
youtubeとかGoogleの画像検索でも「韓国」と打てば上位にヒットするあの惨状。。。韓国語で「日本」と検索してあんなことになりますかね?もう異常事態としか・・・。
その話は本当です。
私は2000年~2002年の3年間、在韓国日本大使館に勤務していたのが縁で毎年1度は韓国に行ってますが、その際大小様々な本屋さんにも立ち寄ります。昨年10月頃に行った際には、村上春樹をはじめとした日本の小説家の韓国語版(全て許可済みです、念のため)は多く見かけましたが、いわゆる「反日本」は全くと言っていいほど置いておりませんでした。置いてあったのはせいぜい1990年代にベストセラーになったと言われる『むくげの花が咲きました』が片隅にポツンと置いてあった程度で、しかも1軒だけでした。韓国の本屋の店員さんに理由を聞くと「売れないから」とのことでした。
韓国と聞くと「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式の論理で大衆文化まで否定するいわゆる我が国の「愛国カルト」とどちらが精神的に大人なのか、ふと考えさせられる一コマでした。
先帝陛下が「腹切って死ね」なんて発言を良しとされる御方だと思っているのか?※22の発言が見逃しがたい悪意と偏見に満ちているとは思うが、だからと言って下品な発言をして良いということにはならない。先帝陛下の人間性を貶めるような発言はやめてくれ。
※22
あんたが受け入れられないのは勝手だが、多くの人が受け入れた理由をもう少し想像してくれ。※24の最初の文と最後の文を外して読めば少しは想像の助けになるかもしれない。
なるほどそうですか・・・。いやあ情けない話ですねえ。いかがわしい嫌韓・嫌中や「日本スゴイ」本が店頭に並ぶこの有様、何をどう間違ったらこうなるのやら。あえて使うなら「国辱」とはこういうことを言うのでしょう。台湾で慰安婦像を足蹴にした某氏と同じく。
※28 月の輪の雷蔵さん
情報ありがとうございます。
やはり日本の状況は異常なんですね。
「愛国者」の方々こそ、現状を変える為に行動すべきだと思います。
「特攻だって陛下は後になって知ったんだよ」
「後」とは「いつ」でしょうか?
昭和19年10月30日、天皇は海軍大臣米内光政を宮中に呼び、特攻の結果を聞いています。
この際の「御言葉」が結果的に第一航空艦隊司令 大西瀧治郎、201空飛行長 中島正が特攻に邁進する理由となってしまいます。
確かに天皇は作戦に口出しできませんが、もし天皇が特攻に関して激しい不快感を示せば、大西、中島は恐懼して方針を変えたと思いますよ。
大西が自ら「統率の下道」と呼んだ特攻を始めた理由の一つは「そこまでやれば天皇が和平に向けて動いてくれるだろう」と期待 したから。
しかし、天皇は昭和19年10月から20年6月まで連日のように「特攻隊に関する奏上」を受けながら、動かず。
これが大西瀧治郎の「天皇と言えども時に暗愚の場合なきにしもあらず」という言葉に繋がったのでしょう。
○ 外道
「馬鹿馬鹿しき作戦であった」みたいな・・・
なんら権限が無いと言うのも如何なものか。
田中義一を首相から辞めさせたことを後悔して
口出しを控えるようになっただけだろ。
226事件の時なんかは
「朕自ら鎮圧す」とか言って軍服着込んでやる気満々だったじゃん。
明治憲法を読みました?
非常大権、て知ってます?
それに昭和帝は積極的に戦争に口出ししてましたけど
すばらしい事です。
非寛容を排除してこそ、真に寛容で多様性に富む社会が生まれますし。
って主張してた偉人もいましたね。
誰だったかな。
哲学者であるカール・ポパー氏ではないでしょうか?
彼は、「寛容のパラドックス」というものを提唱していますし。
画像検索すればより理解しやすいかと思います。
大日本帝国に於ける絶対的統治者であって、陸海軍の統帥者でもあった昭和天皇に、「戦争責任無し」「東條英機以下の軍部の方が責任が重い」というのは、いくらなんでも無理筋というもの。「敗戦必至」の戦況を伝える近衛上奏文(1946年2月)に対し、「もう少し戦果をあげてから」と言って戦争継続を決めたのは、他ならぬ《先帝陛下》であったのですよ。
その時降伏の決断が為されていれば、東京大空襲も沖縄戦も、広島・長崎への原爆投下もなかったのです。
ありがとうございます。
先ほど気付いたのですが、>>3ですでに別の方に触れられていましたね汗
あー恥ずかしい。
西村氏の「新潮社批判」楽しみですねぇ(笑)
江川紹子さんが今回の件について記事を書いていますが、
あまりにも的確過ぎてこのブログを読んでいるみたいでした。
特に
「私は、誤読ではないと思うが、100歩譲って小川氏の言いたいことが誤解されているとしても、プロの物書きのくせに、何度もくり返し読まなければ「全文の趣旨」が分からないような文章を書く方が悪いのである。古典の名作ではあるまし、読者に何度もくり返し読むことを要求するとは、思い上がりも甚だしい。」
という部分、ジャーナリズムの歴史に残ってもいいレベルの名言だと思います。
むしろ本当のプロだったら、部分的に抜粋されたら意味が変わっちゃうような文章なんて書かないと思うのですが。
「本当に頭の良い人」と「自分は頭がいいと思い込んでいる人」の差なんでしょうかね。
こういうのを読んで、自分も気をつけないと。
https://chn.ge/2Ihdzqv
政治活動の前に就職活動しろよって感じのキモオタ連中が左右問わず多過ぎなんだよ。
右と左は分断統治、タグ付け替えに過ぎ無い。
上記URLの櫻井ジャーナルさんが、感じている嫌な感じ、
感の良い人なら感じてるのでは無いだろうか?
そりゃ、今回の批判者が新潮45を廃刊するように圧力をかけたりしていたら問題だけど、今回の休刊を決めたのは新潮社自身でしょ…
そもそも販売部数が低迷して、商売として成り立っていなかったというのは新潮社自身が認めているわけだし
いや、大日本帝国の主権者であり、「陸海軍を統帥する」立場な上、会戦は御前会議で決めたんだから、責任がないってのは無理がありまくりだろ…。
「陛下が戦争したがっていた証拠があるなら…」とか言ってるけど、君の脳内では、会社の不祥事に社長は責任がないの? 社長が了承していたにもかかわらず、「私は本当はやりたくなかったんです」って言えば免責されるの?
社長は全然自分のあずかり知らぬところで起きた不祥事にだって、会社全体の問題ならば責任を取る。例えば神戸製鋼のデータ改竄に社長が関わっていたという報道はないけれど、それでも社長は引責辞任した。
自分が知らないところで起きた問題だって、会社全体にかかわることなら社長は責任を取るし、社長が承認のハンコを押した事案ならば猶更のこと。社長同席の会議で、社長の承認を得て決定された事案なのに、「私は本当は反対だったんです。本当はやりたくなかったんです」なんて言い訳が通るわけがない。
陸海軍を統帥する立場にあり、御前会議で会戦の決定をしているのに、「陛下は戦争したがっていたわけじゃない」なんて言って、責任はない、天皇の意思など反映されてない、なんてのは何の言い訳にもなっていない。
法的な責任は無くても、道義的な責任は十分あるでしょうね。
止めようと思えば止められたのに、
「君臨すれども統治せず」に徹し過ぎた結果として止めなかったわけですから。
もし責任を問えば軍部の反乱が頻発した可能性もあるので、
法的な責任を負わせなかったのは結果的に良かったでしょうね。
ですが、「止めなかったが故に大勢の人が亡くなった」という重大な結果を考えれば、
道義的責任は大いにあると考えます。
完全に責任が無いと擁護するのも如何なものかと。
「大西の話」とは「具体的にどの部分」ですか?
それが「陛下を犯罪者扱い」しているそうですが、抵触理由を当時の法律を挙げて、ご教示頂きたい。
「根拠の確かじゃない噂」「薄っぺらい噂」と断ずる「根拠」も同じくお願いします。
それらがなければ※52は単なる「個人的感情論」に過ぎませんよ。
「自覚」しておられるのなら結構ですが…
戦争責任が御自身に有ると考えられたからこそ、先帝陛下は覚悟を持って責任をとるべくマッカーサー元帥の所に行ったわけでしょう(何がなんでも不祥事の責任をとろうとしないどこぞの国のトップとは大違いですね)
責任無しとの擁護は正直この御覚悟を踏みにじっているように感じてしまいます。個人的な感じ方でしかないのであまり声高に主張するべきではないかと思いますが。
あ2は昭和天皇のお覚悟について
「そんな必要はない」とお諌め申し上げるのが筋だろ。
ま、今となってはそれも不可能だから
いくらでも好きな事言えるわな。
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/f9ad95ee32b97ae4a9ece287dd337284
代替案のための弁証法的空間 Dialectical Space for Alternatives
安倍晋三 “不敬”の証明(上) -憲法と今上陛下-
http://hunter-investigate.jp/news/2017/01/-3-11111110-3-54.html
ニュースサイト|HUNTER(ハンター)
天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gokekkon50.html
宮内庁
日本の民主政治の父「赤松小三郎」を知っていますか
https://ameblo.jp/klark-lee/entry-11482385649.html
とりあえずのブログ
桐野利秋
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E9%87%8E%E5%88%A9%E7%A7%8B
薩摩藩士の桐野利秋が、日本の伝統に合わせた天皇在り方を記した憲法構想を作った人物を暗殺して、後の明治政府は日本の伝統に背いて天皇を主権者とする憲法を作った。それに基づく体制はけっきょく滅んで、日本の伝統に合致した象徴天皇制を採用した日本国憲法ができた。
愛国カルトと揶揄される人たちは、現行憲法に感謝した方がいい。明仁天皇のお言葉なんだからね。いや、そこで聞く耳持たないから愛国カルトと揶揄されるのだろうけど。
逆なんだ。
旧法の上では戦争の権利も責任も天皇のみのものなんだよ。
天皇自体が、開戦の詔勅でそれを示しているだろ?
まさかあれをフェイクとか言うのだろうか?
だとすれば大日本帝国にはフェイクで無い物は何も無かった位の話になるぞ。
今の天皇は「君臨すれども統治せず」ですが、大日本帝国憲法では第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあります。
「統治せず」どころか「統治ス」なのです。
大日本帝国憲法では日本の主権者は天皇ですので、道義的責任どころか法的にも間違いなく責任があります。
自分で言っててバカみたいと思わんのかこのジジイ共は
ジジイ共?
西村幸祐とその取り巻きの事ですか?
新潮46が気に入らないからって、新潮社の書籍を全て排除するのは過剰な自己検閲だと思うが。
言論の発信者の窓口たる書店自身が検閲をやってしまうとは。
今の時代、ネット販売が在るから書店は必要無いのかも知れませんね。
それは検閲でも何でもありませんよ。
検閲とは「公権力が書籍・新聞・雑誌・映画・放送や信書などの表現内容を強制的に調べること」(デジタル大辞泉)です。
記事の中でも書いている通り、出版社には出版する権利があり、本屋はどの本を置くかを選ぶ権利があります。
もしも組織的に本屋に圧力をかけ、個別の本屋の選択権が侵害されたのであれば問題でしょうが、個々の本屋が自らの判断で置く本選ぶことに、何の問題もありません。「うちの店ではヘイト本及びヘイト本出版社の本は置きません」という選択は、当然認められる選択肢です。
素朴な疑問なのですが今回、小川榮太郎の主張によって状況の「バランスが保たれる」のでしょうか?
https://lite-ra.com/i/2018/09/post-4283.html
Litera
小川氏は性的嗜好と性的指向の区別がつかないどころじゃないですね。たくさんの人が「性的嗜好と性的指向は別物です」といっても、「そんなものはただの言葉遊びだ!同性愛は性的な嗜好だ!」と強弁して終わりです。小川さんは絶対に自説を変えるつもりはないでしょう。頭が硬いにもほどがあるよ。反面教師のいい見本だ。
「世の中の常識に物申す」なんていう覚悟はハナからなかったとしか思えない。
新潮社という名のある老舗出版社が・・・。
「看板に泥を塗る」「暖簾に傷をつける」を覚悟もなくやってしまった。
休刊にしたことで新潮社に対する信頼は回復するのでしょうか。
私には「昔はともかく、今の新潮社は売らんかなの会社」というイメージだけが残ってしましました。
自分で言ってるけど、ネットで買えるじゃんw
なら何でいち本屋の経営方針に偉そう(しかも的外れw)に口出してんの?
あと「気に入らないからって」ってw
理解が浅すぎw
小川氏は自分が被害者とでも思っているのかね
下記の記事は 大変重要ですね。
ご存知かもしれませんが、念のため、お知らせしておきます。
【超重要】「朝日新聞の朝鮮人従軍慰安婦記事は捏造だ!」と主張してきた、右派言説の論理的支柱である西岡力氏が、裁判で「自分の主張こそが捏造だった」と認める!(小声で)
http://健康法.jp/%e3%80%90%e8%b6%85%e9%87%8d%e8%a6%81%e3%80%91%e3%80%8c%e6%9c%9d%e6%97%a5%e6%96%b0%e8%81%9e%e3%81%ae%e6%9c%9d%e9%ae%ae%e4%ba%ba%e5%be%93%e8%bb%8d%e6%85%b0%e5%ae%89%e5%a9%a6%e8%a8%98%e4%ba%8b%e3%81%af
やっぱり精神構造がオウム信者と同じ?
誰のどんな人権が、誰によって再現されたのですか??
具体的にどうぞ。
再現→制限
ですね。
誰のことを共産主義者と呼んでるの?
誰の人権が制限されたの?
答えられるものなら答えてごらん。
小川榮太郎はLGBTの人権を制限するどころか踏みにじる正真正銘のクズで、西村幸祐はそれを擁護するゴミだけどね。
凸お疲れ様です。
アンチスレでどんなコメントが出るか楽しみですね。
……本当にこの国が好きなら愛国をいちいちアピールしないしさせようともしないと思うのですが………
そういった輩について西村氏は厳しく批判されたのでせう。
そうです。そうに違いありません。私はそんな話なぞ聞いたことはございませんが、それはひとえに私の寡聞が原因でしょう。
本人は言っていない
他者の名誉、生命、財産を脅かすような自由はない