<ざっくり言うと>
  • 西村幸祐、『新潮45』に抗議するために新潮社の本を置かないと決めた本屋に対し、「野蛮」「ナチス」「強制収容所の本屋」などと低劣な罵声を浴びせる。
  • 出版社にどのような本を出版するかを決める自由があるのと同様に、本屋にもどのような本を置くかを決める自由があると言うことさえ理解できない西村幸祐。

西村幸祐、新潮社の本を置かない本屋を野蛮、ナチス、強制収容所と罵る愚


今回の『新潮45』のヘイト問題に対し、和歌山県のある本屋が広義の意味で、新潮社の新刊本の販売を取りやめる方針を明らかにしました。(参照


これに対し、西村幸祐がこのように噛みつきました。
「朝日新聞の仕込み」などと言い出す陰謀論思考もたいがいにしてもらいたいですが、ヘイトに抗議して新潮社の本の販売を取りやめることが、言論の自由を踏みにじる「野蛮」で「ナチスの手先」のような「強制収容所の本屋」とは、これまたなんとも野蛮で暴力的な評価なことです。


このツイート一つで、西村幸祐がどれほど言論の自由・表現の自由に対するまともな理解を持ち合わせていないかわかります。

どんな本を置くかは本屋の表現の自由


出版社は、売れる本、売りたい本を出版する権利があり、本屋は売れる本、売りたい本を販売する権利があります。そうでなければ医学書専門店なんて存在できませんし、「うちは漫画は置かない」「うちはエロ本は置かない」という本屋だってあるわけです。


本屋がすべての本を置かねばいけない義務など全く存在せず、「うちはヘイト本およびヘイト本の出版社の本は置かない」という本屋があるのは当然のことです。


それを「野蛮」だと言うのなら、そもそもLGBTに対する下劣なヘイト論文を出版した『新潮45』の野蛮さは一体どうなるんですかね。「言論の自由」で差別本の出版が許されるのなら、「そのような本は我が本屋では取り扱いません」というのも、本屋の表現の自由です。逆に、「うちは朝日新聞社の本は置いていません」という本屋があっても、全然言論の自由の侵害ではないわけです。


著者に言論の自由・表現の自由があるのと同様、本屋にはどんな本を置くかを決める表現の自由があります。西村幸祐はヘイト本を置く自由を主張する一方、ヘイト本を置かない自由は認めないわけです。随分とまあ勝手な自由であることですね。

西村理論では出版社はどんな原稿も拒否できなくなる


さらに、西村幸祐は、新潮社の本を撤去したこの本屋の行為が、ヴォルテールの言う表現の自由を侵害する行為だと考えているわけですが、別に新潮社の本を撤去したところで、誰の表現の自由も侵害されていません。


この本屋が新潮社の本を置かなかろうが、新潮社は自社の本を発行できますし、小川榮太郎ら執筆者は自由に自分の発言を発信する権利を有しています。公権力による検閲も一切ないし、出版活動によって投獄されるようなことも一切ありません。インターネットでもどこでも、彼等は自由に発言できます。


さらに、もしもこの本屋が新潮社の本を置かないと決めたことが表現の自由の侵害であるのならば、出版社は持ち込まれた原稿をどんなものでも出版しなければいけなくなってしまいます。だって、本屋に置かないどころか、そもそも出版さえされなかったら話になりませんからね。


西村理論では、出版社が持ち込まれた原稿に対し「こんなつまらない原稿はうちから出版できない」と拒否したら「言論の自由の侵害だ!」となってしまいます。もしも私が『新潮45』に杉田水脈批判の原稿を持ち込んだとして、それを拒否された場合、西村は「言論の自由の侵害だ!」と怒ってくれるでしょうか? くれないでしょうね。


早い話が、出版社にはどのような本を出版するかを決める自由があるのと同じように、本屋にはどのような本を置くかを決める自由があるんです。


小学生でもわかりそうな当たり前のことですが、西村幸祐には通じないようです。

「卒業式に君が代・日の丸のない大学は潰せ」と言う西村幸祐こそ強制収容所脳


本屋に新潮社の本を置かないだけで「野蛮」「ナチス」「強制収容所」だなどと罵る西村幸祐。その一方で、この男は東大の卒業式に君が代・日の丸がないだけで「そんな大学は潰せばいい」と言います



東大の大学としてのどんな研究成果よりも、卒業式に君が代・日の丸がないという一点を重視して「潰せばいい」と言う西村幸祐。西村幸祐の脳内では、君が代・日の丸がない卒業式というのは、表現の自由の範囲外であって、決して認められず、潰すべきことなのでしょう。一体こいつのどこに表現の自由があるんですかね? 


日の丸・君が代がない。それだけで大学を潰してしまえって、それこそ野蛮であり、ナチス的であり、「貴方の意見には反対だが、貴方がそれを言う権利は命を賭けても守る」というヴォルテールの言葉も通じない強制収容所の発想ですが、鏡を見ることを知らない西村幸祐にかかれば、これぐらいのブーメラン攻撃はいくらでも行います。西村幸祐の行う「パヨク」批判は、大体西村幸祐自身にがっつりぶっ刺さります。


ところで、西村幸祐は何かあると「朝日新聞がー」「共産党がー」と言ってますが、「うちは朝日新聞社の本は置かない。その分、産経や青林堂の本を多く置く」という本屋があった場合、果たして彼はどのように反応するでしょうか。「確かな良心を持った愛国的本屋だ」と称賛するのが目に浮かびます。


本屋が特定出版社の本を置かないだけで「言論の自由の侵害」だと言い、本屋の自由を否定する西村幸祐。こんなトンデモ評論家に騙されてはいけません。

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