<ざっくり言うと>
  • 安田氏を「迷惑」「頼んでない」「勝手にやっただけ」と批判している人たちは、もしも戦場にいるのが自分で、家族が虐殺されているような状況でも、誰かにそのことを知ってもらいたい、助けてもらいたいとは思わないのだろうか?

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安田純平氏について巻き起こっている「自己責任論」。「自己責任で危険な場所に行ったのだから放っておけ」と言うのは、「ハロウィーンで渋谷にエロいコスプレをして出かけて行った女は、自己責任だから痴漢されようが強姦されようが助けなくていい」と言うのと同じクズ発言にしか思えないんですけどね。安田氏は観光や遊びではなく、ジャーナリストとしてシリアに入ったわけですからなおさらです。


安田氏に対して、危機管理の在り方を批判・検証するのはわかりますが、「勝手に行っただけ」などと言うのは実に卑劣な批判であると思います。例えば、この石平太郎の言葉など、本当に醜悪に思います。
もしも安田氏が観光でシリアに入ったのなら、「自分の責任において危険地帯に行っただけの人」と言えるでしょう。


しかし、安田氏は戦場ジャーナリストとして、現地の生の情報を持ち帰り、人々に伝えるために、シリアに入ったのです。戦場ジャーナリストは、まさに「人のために世のために危険を顧みずに奮闘」している人だと言えます。


石平太郎の発言は、すべての戦場ジャーナリストに対する侮辱であり、石平太郎の傲慢さと軽薄さを端的に示した、非常に卑劣で醜悪な発言であり、怒りを禁じえません。


しかし、石平のように言う人は少なくありません。このブログでも、

「望んでいないし、頼んでもいない」

「好き勝手やるのはいいが迷惑はかけるな」

「海外情勢への興味、関心に関しては自分の生活に直結しないようなものにまでむけるほどのものではない」(別にシリアの状況なんて自分と関係ないから知りたいと思わない)

というコメントをいくつも受け取りました。


ですが、そういう人たちは、この4コマ漫画を見ても、同じことを言えるでしょうか。
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安田氏に対し、「迷惑」「勝手」「頼んでない」「別にシリアの事なんて自分と関係ないから知りたいと思わない」などと言って批判している人たちは、もしも自分が危険な場所にいたとしても、世界にそのことを知ってほしいと思わないのでしょうか? 助けてほしいと思わないのでしょうか?


自分がシリアでもベトナムでもルワンダでもどこでもいいですが、虐殺が行われているような場所にいて、自分の家族が虐殺されているとしても、誰かに知ってほしい、助けてほしいと思わないのでしょうか? 


ベトナム戦争が終結した原因の一つは、間違いなく戦場ジャーナリストの力です。戦場ジャーナリストが持ち帰った情報や写真により、ベトナムの戦場が世界に伝わり、世界的な反戦運動がおこり、戦争終結へつながったのです。「迷惑」「勝手」「頼んでない」「知りたいと思わない」と言う人たちは、このような写真を見ても、何も感じないのでしょうか。自分と関係ないところで大勢の人々が虐殺されても何にも思わないのでしょうか。

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上述通り、安田氏の取材の手法や危機管理が適切だったかどうかは、批判や検証を受けるのは当然でしょう。


しかし、戦場ジャーナリストとしてシリアに赴いた安田氏に対し、「自分の都合と責任において危険地域に行っただけ」などと評するのは、本当に卑劣で傲慢で軽薄で醜悪であるとしか言いようがありません。


成功したら何も言わないけど失敗したから批判している、という人も全く同じです。戦場ジャーナリストが絶対安全なわけがない。必ず危険が伴い、死んだり拘束されたりする可能性は誰にでもある。成功したらその情報を当たり前のように受け取り、失敗したら「迷惑」バッシングされるようでは、誰も戦場ジャーナリズムを行わなくなってしまいます。


2004年にイラクで邦人が拘束された際、日本では自己責任論バッシングが巻き起こりましたが、アメリカのパウエル国務長官は「イラクの人々のために、危険を冒して現地入りをする市民がいることを、日本は誇りに思うべきだ」と応えています。


『週プレNEWS』の取材に、フランス「ル・モンド」のメスメール氏はこのように答えています。
安田さんは自らリスクを背負って危険な現地に赴き、「シリア内戦で何が起きているのか」という現実を、自分自身の手による「生の情報」で伝えようとしていたわけですが、日本社会ではそういった「生の情報」、「正確な情報」の重要性が理解されていない、あるいは軽んじられているように思います。

日本社会が「情報の価値」よりも優先するのは「社会の調和と安定」です。リスクを冒して戦地から得る貴重な情報よりも、日本人が現地で事件や事故に巻き込まれないことが優先される。だから、政府は危険地域への渡航自粛を呼びかけ、テレビや新聞などの大手メディアもその要請を受け入れる。なぜなら、それが双方にとって安全で、都合がいいからです。

そのため、「フリージャーナリストが政府の自粛要請に反してシリアの戦地に入り、人質となって社会に迷惑をかけた」という文脈で問題が捉えられ、「社会の調和を乱した人」と批判の対象になる。これが自己責任論の最も大きな背景だと思います。

言い換えれば、貴重な情報を社会に提供するために「必要なリスクを取る」という覚悟が足りない。情報がそれほど重要なものだという認識が共有されていない。そのため、シリア内戦のような危険を伴う現場に入り「生の情報」を伝えようと努力しているのはテレビ局や大手新聞社や通信社ではなく、安田さんのようなフリーランスのジャーナリストばかりです。

第2の背景は、「情報の価値」とも関係するのですが、日本社会における「ジャーナリストの扱い」です。フランスでもシリアやアフガニスタンなどの戦地で取材をしていたジャーナリストが現地で人質になったり、長期間拘束されたりという事件がいくつも起きていますが、多くの場合、開放されたジャーナリストは称賛の対象になっても批判の対象にはなりません。解放され、帰国したジャーナリストを、わざわざ大統領が空港まで迎えに出向くといったことすらあります

近年はジャーナリズムに対するさまざまな批判も沸き起こっていますが、それでもなお「多くの人たちの代わりに、見えない事実を明らかにし、情報を広く世の中に伝える」という、ジャーナリズムの役割に対するリスペクトはフランス社会に広く共有されていますし、メディア側でジャーナリズムに関わる人たちも、自分たちの責務に対する誇りを持っています。

しかし、特に近年の日本では、ジャーナリズムの意義に対する社会のリスペクトも、メディア側の誇りも、急速に弱まりつつあるように見えます。日本政府の対応にはジャーナリズム、メディアへのリスペクトが全く感じられませんし、特に、安田さんのような大手メディアの組織に属さないフリーランスに対する日本社会の扱いは酷いですね。
週プレNEWS
正しい情報は、平和や民主主義には絶対的に欠かせないものです。正しい情報がなければ、正しい判断はできません。


しかし、現在日本の報道の自由度ランキングが世界70位前後まで落ち、先進国最低レベルであることを見ても、日本では情報の価値が非常に軽んじられているように思います。


我々がテレビやパソコンやスマホで、暖かい部屋で無料で手に入れている戦場の情報は、誰かが命がけで取材して手に入れたものです。決して無料でボケーっとして手に入るものじゃないのです。そして、仮に自分がその情報に興味がなくても、そのことを知ってもらいたい必死な人たちがいるのだということを、忘れてはいけません。
 
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