<ざっくり言うと>
  • 「あいちトリエンナーレ」について、「公的なイベント(税金を使うイベント)なら、参加する団体の趣旨とか展示物を公権力が事前に審査して合否判定するの当たり前」「税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだ」という意見が広がっているが、それは民主主義国家の発想として、大変危険なものである。
  • 「公的なイベントだから」「税金を使っているから」という理由で、公権力が事前審査で表現にOKを出したりNGを出したりできると、「公権力に都合のいい表現にはOK」「公権力に都合の悪い表現にはNG」ということが可能になる。
  • 「公権力に都合のいい表現は、税金の補助がもらえて、公的なイベントで、大々的に発表できる」「公権力に都合の悪い表現は、税金の補助がもらえず、公的な場から排除され、会場も何も全て私費で賄わなければいけない」という権力による不公平が許される社会は、もはや民主主義国家ではない。
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目次

「公的なイベントだから事前審査して合否を決めるのは当たり前」という誤解の広がり


前回、『あいちトリエンナーレ』について、ネット上で広がっている誤解について書きました。そこで、愛知県の大村知事の、「公的なイベントだからと言って、『この内容は良くて、この内容はいけない』というのを公権力がやるというのは、憲法が禁じる検閲に当たり、許されていない」という趣旨の発言を紹介しました。


それについて、こんなコメントが来ました。
検閲とか、そんな問題なんですかね?  行政が公的なイベントを開催するなら参加する団体の趣旨とか展示物を事前に審査して合否判定するの当たり前の事だと思いますけど。

そりゃ、天皇の写真をコラだろうが焼いたって何の法律にも触れませんよ。中核派や革マル派が集会で燃やしてても「怖い集団だね~」で終わるだけだし、その程度で公安なんか動きませんよ。

行政のイベントでやったから不快に思う人が多くて問題になったんでしょう。

行政がイベントを開催するなら混乱を引き起こさない責任がありますし、そのために参加希望者の事前審査は検閲でもなんでもないでしょう。
この人は「愛国カルト」な人ではないのですが、おそらく同じように考えてる人が大勢いることでしょう。名古屋市長の河村たかしも同じような考えの持ち主みたいです。


しかし、「公的イベントなんだから、おかしいものは禁止しろ」的な発想は、民主主義国家の発想として完全に間違っています。北朝鮮一歩手前と言っていい。今回はこれについて記事にしてみたいと思います。



「政府に都合のいい表現には税金が出るけど都合の悪い表現は私費で賄え」は許されない


そもそも、「公的イベント」とは何でしょうか。それは、「税金の補助が出る」ということに他なりません。


これに関して、大村愛知県知事が記者会見をしているので、見てもらいたいです。


 「憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか。憲法21条には、『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』『検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない』と書いてある。
 
 最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、それは、全く真逆ではないかと思いますね。公権力を持ったところだからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思いますよ。そうじゃないんですか? 税金でやるからこそ、公権力がやるからこそ、表現の自由は保障されなければいけない。

 分かりやすく言えば、「この内容は良くて、この内容はいけない」というのを公権力がやるというのは、許されていない、ということではないでしょうか。

 むしろ、民間企業さんとか、個人なら、社の方針として「この範囲に」「うちはこうだよね」ということでやるというのはあってもいいのかなあ、というふうに思いますが、公権力が -国だけじゃなくて県も市もですね― 「この内容は良くてこの内容はだめだよ」と言うのは、憲法21条からして違うのではないか。

 一番ひどいのは、「国の税金貰うんだから国の方針に従うのは当たり前だろう」と平気で書かれているところがありますけど、みなさんどう思われます? 私は全く真逆だと思いますよ。税金でやるからこそ、憲法21条は守られなければならない。
税金でやるからこそ、表現の自由は保障されなければいけない」


維新の松井一郎とか、吉村洋文とか、名古屋市長の河村たかしとかは、どうやら「税金でやるイベントだから、おかしなものは禁止しないといけない。おかしなものに税金を使ってはいけない」と言いたいようなのですが、大村愛知県知事は真逆の考えのようです。これはどういうことなのでしょう。


松井らの「おかしなものに税金を使ってはいけない」という主張は、一見まともな意見に見えるかもしれません。たしかにおかしなことに税金を使われたら困りますよね。


しかし、こと表現の自由に関しては、これは大変に危険な発想です。北朝鮮みたいな独裁国に転落しかねないものです。


もしも、「公的なイベントだから(=税金が使われるから)」という理由で、公権力が事前審査して、「これはOK」「これはNG」ということが可能になると、公権力から「OK」と言われた表現は、税金の補助を得て、公の場所で大々的に発表することが可能になり、公権力から「NG」と言われた表現は、公の場所から排除され、会場も何もかも全て私費で賄わなければならない、とすることが可能になってしまうのです。


これが危険だってことぐらい、誰でもわかりますよね。


政府に都合のいい表現は、税金の補助が得られ、公の場で発表される。


政府に都合の悪い表現は、公の場から排除され、全て私費で賄わなければならない。


こんなのは民主主義国家でも何でもない。どう見たって独裁国ですよ。


「税金を使うな、私的イベントで勝手にやれ」
「私的なイベント開催まで禁止したわけじゃないんだから、公の場所から排除されても検閲じゃない。問題ない」
なんて考えは間違いで、北朝鮮一歩手前の発想です。(私的発表まで禁止すると北朝鮮になる)


私企業や個人であれば、自分たちの開くイベントについては、独自の範囲で表現を許可したり許可しなかったりすることが可能でしょう。


しかし、公権力が、公的イベントにおいて、表現内容によって許可したりしなかったりすると、公権力に都合のいいものには税金を与える、公権力に都合の悪いものには税金を与えない、ということになりかねないのです。


「公的イベントだから、税金を使うから、こういうことはやっちゃいけない、おのずと範囲が限られる」なんて発想は100%間違いで、逆に、公的イベントだから、税金を使うからこそ、自分たちが認める表現は税金で補助して、自分たちが認めない表現には税金を与えない、なんてことをしちゃいけないのです。


この点において、大村知事は完全に正しいです。「税金を使ってるから、表現の範囲が限られる」と言っている維新の松井一郎とか、吉村洋文とか、名古屋市長の河村たかしとかの発想は、北朝鮮一歩手前です。



税金は政府に都合が良かろうと悪かろうと、誰もに配分されるもの


ここで、とても分かりやすいコメントをご紹介しましょう。このブログを始めて以来、初めて自民党の人間を褒めます。武井俊輔(自民党 宏池会) です。
>>河村市長の「税金を使っているから、
>>あたかも日本国全体がこれを認めたように見える」との発言。
>>これは危ない。
>>行き過ぎると私学助成などにも話が及び、
>>行政に批判的な意見を封殺する論理になる恐れがあります。


>>間違えてはいけないのは、
>>税金は政府や行政に批判的な人でも納税しているものであり、
>>それを再配分するもの。
>>政府や行政に従順、ないしは意向に沿ったものにしか
>>拠出しないということでは、
>>決してあってはならないということ。



いやあ、正直本当に驚きました。自民党の中に、こんなまともなことを言える人がいるなんて…。


武井俊輔の言う通りなんですよね。河村たかしの「税金を使っているから、あたかも日本国全体がこれを認めたように見える」って発言は、言い換えると、「日本国全体が認めるようなものにしか税金を使わせない」ってことになっちゃうんですよね。


「日本国全体が認めた」とされるものしか税金の補助を貰えなくなったら、資金力のない個人や団体は政府の補助を得るために、政府に都合のいい表現ばかりするようになる。


こんなのもはや民主主義国家じゃありません。


「税金を使っているから、あたかも日本国全体がこれを認めたように見える」とか発言できちゃう人が、どうして政令指定都市の長を10年も続けていられるんでしょうね…。危険すぎる。



まとめ:「税金を使っているから」で公権力が表現を規制できる社会は民主主義国家ではない


今回の件で、「公的イベントだから」「税金が使われているから」という理由で、「公権力が、参加する団体の趣旨とか展示物を事前に審査して合否判定するのは当たり前」と思っている人が本当に大勢いました。


たしかに、「あいちトリエンナーレ」は愛知県と名古屋市が税金を投入しているイベントで、愛知県知事は「あいちトリエンナーレ」の実行委員会の委員長です。


しかし、公権力である愛知県知事が、表現に対して「これはOK」「これはNG」と言うことは、

「公権力が認めた思想・表現は、税金の補助がもらえ、公のイベントで大々的に発表ができる」

「公権力が認めない思想・表現は、税金の補助がもらえず、公のイベントでも発表ができず、全て私費で賄わなければならない」

ということになります。


政府に都合のいい表現は補助を貰える、政府に都合の悪い表現は補助を貰えないとなれば、補助を貰うため、おのずと政府に都合のいいものばかりになっていきます。


そんな社会がディストピアであることは、誰にだってわかりますよね。


表現・言論の自由は、民主主義の根幹と言えます。


繰り返しますが、政府に都合の悪い表現が公的な場所から排除される国は、もはや民主主義国家ではありません。北朝鮮一歩手前です。(私的な場所からも排除されると、完全に北朝鮮)


「税金が使われているから、参加する団体の趣旨とか展示物を公権力が事前に審査して合否判定するのは当たり前」


「税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだ」


「国の税金貰うんだから国の方針に従うのは当たり前だろう」


「税金を使っているから、あたかも日本国全体がこれを認めたように見える」(「日本国全体が認めたものにしか税金を使わせない」)


これらは、決して民主主義国家の発想ではありません。


税金を使っているからこそ、公権力が、「こっちはOK」「こっちはNG」と決めてはいけないのです。

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