(この記事は前回からの続きです)
愛国カルトの重鎮・井上太郎が「『アンネの日記』事件の犯人は日本人ではない」と主張する根拠として、このようなことを言っています。

ここで井上君の無知と言うか、脳内お花畑と言うか、ネトウヨお得意の「日本民族性善説」が飛び出しています。愛国カルトはしばしばこういう「日本民族性善説」や「朝鮮民族性悪説」などを持ち出しますが、今回はこれについて見てみましょう。
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「文学作品を認める日本の民族意識は書物を大切にします」と言っていますが、そもそも「文学作品を認める」の意味がよくわかりません。文学作品ぐらい文字がある文化なら大体どこにでもありますよね。また、ドイツや中国にも素晴らしき文学作品は山ほどありますが、彼らは焚書をした歴史があります。「文学作品」云々など、その国が「書物を大切にします」などと言える根拠にはなりえません。
もちろん、日本にも本を大切にしない奴などいくらでもいます。例えば副島隆彦というその道では有名なエキセントリックな自称評論家が、英語辞典の批判を行った時、自分の本の表紙にびりびりに引き裂いた辞書の写真を掲載しています。

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また、『かんなぎ』というマンガでヒロインが「処女じゃない」という疑惑が出た時、こんな風に単行本をびりびりに引き裂いた画像がネットで出回りました。

(参考)
また、つい先日も、図書館の本をカレーライスで汚して捕まるというよくわからない事件がありました(参考)。
とにかく、「日本人は本を大事にするから犯人じゃない」などというのは、井上太郎の妄想以外の何物でもありません。
そのあと彼が述べている精神性についてですが、「神武天皇の建国精神」とやらがどんなものか私は知りませんし(そんなもんねーよ)、東条らの精神とやらを日本民族が受け継いでいるかなど私は知りません。
しかし、「日本民族に差別はありません」などと言えてしまうのが、井上太郎の頭がいかに妄想で作られているかがよくわかる発言だと思います。
日本には「鬼畜米英」「毛唐」「チョン」「ちゃんころ」などの差別語が存在しているのは周知のとおりです。アイヌ差別も深刻でした。ユダヤ人についてだって、井上太郎は知らないかもしれませんが、ユダヤ陰謀論を説く本は日本に山ほどあります。例えば宇野正美の『ユダヤが解ると世界が見えてくる』(徳間書店)なんてのが特に有名です。「人種差別」や「反ユダヤ主義」の人間は世界中におり、日本にも確実に存在するのです。
第一、井上太郎自身がこのように証拠もないのに「犯人は韓国人だ」と言ってしまうこと自体、差別意識の表れなのですが、彼はそのことに気が付いていません。
これは愛国カルトを研究して気が付いたことなのですが、差別をする人間というのは、自分が差別をしているという意識が全くありません。例えばサッカーでのJapanese Onlyの横断幕にしても、当人たちには差別意識というものがありませんでした。いじめっ子が「いじめているんじゃなくて遊んでいるつもりだった」と言うことがあるのと同じように、彼らは差別についての意識がものすごく低いため、差別を差別と認識していません。だから平気で「チョン」だの「Japanese Only」差別的な言動をするし、厚顔無恥にも「日本民族に差別はありません」などと言えるのです。どこの国だって悪い奴は悪いし、差別的な奴は差別的です。
こんな「日本民族性善説」を唱えること自体が、裏を返せば「外国人なら悪いことをやりかねない」という差別意識によるものなのですが、彼らはそのことに気づくこともできません。
さらに井上太郎はこう続けています。

何がどう浮かび上がると言うのでしょう? 全く訳が分かりません。まさに妄想というものでしょう。
第一、井上太郎はついさっき「日本民族に差別はありません」と言ったくせに、ここで瀬戸弘幸の名を挙げています。この人物はネオナチを自称したり、ホロコースト否定論を好意的に紹介したり、「日本は単一民族国家」だと言って「アイヌ民族は同化政策によって消滅した」「今日の日本にアイヌ民族は一人もいません」なんて言えちゃったりする人です。アイヌからしたら、こんなのは差別発言以外の何物でもないでしょう。こんな差別意識の塊みたいな人間に言及しておきながら、「日本民族に差別はない」なんて、どうして言えるんでしょうか? 井上太郎の思考回路は常人では計り知れません。
『アンネの日記』事件に関する井上太郎の妄想妄言デマ捏造はまだまだ続きます。
次回へ続く!
第1回 『アンネ』事件の犯人を韓国人だと妄想する井上太郎
第3回 「親日でなければユダヤ人に非ず」と言う井上太郎
第4回 警察発表よりもネットの噂を信じる井上太郎

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愛国カルトの重鎮・井上太郎が「『アンネの日記』事件の犯人は日本人ではない」と主張する根拠として、このようなことを言っています。

ここで井上君の無知と言うか、脳内お花畑と言うか、ネトウヨお得意の「日本民族性善説」が飛び出しています。愛国カルトはしばしばこういう「日本民族性善説」や「朝鮮民族性悪説」などを持ち出しますが、今回はこれについて見てみましょう。
「文学作品を認める日本の民族意識は書物を大切にします」と言っていますが、そもそも「文学作品を認める」の意味がよくわかりません。文学作品ぐらい文字がある文化なら大体どこにでもありますよね。また、ドイツや中国にも素晴らしき文学作品は山ほどありますが、彼らは焚書をした歴史があります。「文学作品」云々など、その国が「書物を大切にします」などと言える根拠にはなりえません。
もちろん、日本にも本を大切にしない奴などいくらでもいます。例えば副島隆彦というその道では有名なエキセントリックな自称評論家が、英語辞典の批判を行った時、自分の本の表紙にびりびりに引き裂いた辞書の写真を掲載しています。

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また、『かんなぎ』というマンガでヒロインが「処女じゃない」という疑惑が出た時、こんな風に単行本をびりびりに引き裂いた画像がネットで出回りました。

(参考)
また、つい先日も、図書館の本をカレーライスで汚して捕まるというよくわからない事件がありました(参考)。
とにかく、「日本人は本を大事にするから犯人じゃない」などというのは、井上太郎の妄想以外の何物でもありません。
そのあと彼が述べている精神性についてですが、「神武天皇の建国精神」とやらがどんなものか私は知りませんし(そんなもんねーよ)、東条らの精神とやらを日本民族が受け継いでいるかなど私は知りません。
しかし、「日本民族に差別はありません」などと言えてしまうのが、井上太郎の頭がいかに妄想で作られているかがよくわかる発言だと思います。
日本には「鬼畜米英」「毛唐」「チョン」「ちゃんころ」などの差別語が存在しているのは周知のとおりです。アイヌ差別も深刻でした。ユダヤ人についてだって、井上太郎は知らないかもしれませんが、ユダヤ陰謀論を説く本は日本に山ほどあります。例えば宇野正美の『ユダヤが解ると世界が見えてくる』(徳間書店)なんてのが特に有名です。「人種差別」や「反ユダヤ主義」の人間は世界中におり、日本にも確実に存在するのです。
第一、井上太郎自身がこのように証拠もないのに「犯人は韓国人だ」と言ってしまうこと自体、差別意識の表れなのですが、彼はそのことに気が付いていません。
これは愛国カルトを研究して気が付いたことなのですが、差別をする人間というのは、自分が差別をしているという意識が全くありません。例えばサッカーでのJapanese Onlyの横断幕にしても、当人たちには差別意識というものがありませんでした。いじめっ子が「いじめているんじゃなくて遊んでいるつもりだった」と言うことがあるのと同じように、彼らは差別についての意識がものすごく低いため、差別を差別と認識していません。だから平気で「チョン」だの「Japanese Only」差別的な言動をするし、厚顔無恥にも「日本民族に差別はありません」などと言えるのです。どこの国だって悪い奴は悪いし、差別的な奴は差別的です。
こんな「日本民族性善説」を唱えること自体が、裏を返せば「外国人なら悪いことをやりかねない」という差別意識によるものなのですが、彼らはそのことに気づくこともできません。
さらに井上太郎はこう続けています。

何がどう浮かび上がると言うのでしょう? 全く訳が分かりません。まさに妄想というものでしょう。
第一、井上太郎はついさっき「日本民族に差別はありません」と言ったくせに、ここで瀬戸弘幸の名を挙げています。この人物はネオナチを自称したり、ホロコースト否定論を好意的に紹介したり、「日本は単一民族国家」だと言って「アイヌ民族は同化政策によって消滅した」「今日の日本にアイヌ民族は一人もいません」なんて言えちゃったりする人です。アイヌからしたら、こんなのは差別発言以外の何物でもないでしょう。こんな差別意識の塊みたいな人間に言及しておきながら、「日本民族に差別はない」なんて、どうして言えるんでしょうか? 井上太郎の思考回路は常人では計り知れません。
『アンネの日記』事件に関する井上太郎の妄想妄言デマ捏造はまだまだ続きます。
次回へ続く!
第1回 『アンネ』事件の犯人を韓国人だと妄想する井上太郎
第3回 「親日でなければユダヤ人に非ず」と言う井上太郎
第4回 警察発表よりもネットの噂を信じる井上太郎
==愛国カルトに騙されないための心得== |


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