ISIS(イスラム国)の人質になっていた湯川春奈氏と後藤健二氏が殺害されたと思われることに関しまして、心よりお二人のご冥福をお祈りいたします。

今回、特にネット上に置いては、この2人に対し様々な憶測や誹謗中傷などが飛び交い、私はそのあまりの酷さに人間不信になりそうでした。デマや自己責任論のみならず、中には後藤氏がビデオでISISのメッセージを読み上げていることについて、「恥知らず」「テロリストに協力している」などなど、中にはさらに激しい言葉で誹謗中傷する者もいました(あまりにひどいので一々具体例はここでは挙げません)。

これらのコメントを見て感じたことは、被害者を中傷するような人たちは、想像力がないのではないか、そしてその想像力の欠如が、彼らが愛国カルト(ネトウヨ)になってしまった所以ではないか、ということです。

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例えば今回の場合、我々はテレビや新聞やインターネットなどで、現在世界がどういう状況で、日本でどのような報道がなされていて、日本政府がどのように対応していて、世論がどのようなことを言っているか、簡単に知ることができます。その情報に基づいて、様々な判断を下すことが可能でしょう。

一方、人質になった人はどうでしょうか? 彼らには一切外部の情報が与えられていなかったことでしょう。情報提供はISISによるものだけなわけですから、一体どのような歪められた情報がもたらされていたかもわかりません。

外界と接触できず、いつ殺されるかもわからない恐怖の中、銃を持ったテロリストの許可がないと、会話も、読書も、トイレにさえ行くことができない状態に置かれたとしたらどうでしょうか。さらに水さえ自由に飲むことができなかったとしたら? そのような極限状態に数か月間もおかれたら、まともな精神状態でいられるとは思えません。私だったら、例えば窓のない部屋に数日間拘束されただけで発狂するんじゃないかって気がします。ISISはグアンダナモ収容所を意識していたようですから、虐待行為も行われていたことも十分考えられます。

そんな状態で、メッセージを読まなければ殺されるとなれば、恐らく大抵の人は言われるがままどんなメッセージでも読むのではないでしょうか。他の殺されたアメリカ人ジャーナリストなども、最後の殺される際のビデオでも、ISISに言われるがまま米国政府批判のメッセージを口にしています。我々は「殺される時くらい本音を言えばいいのに」と思いがちですが、それは我々が情報に触れられる状態にあり、まともな精神状態でいられるから言えるセリフです。

今回ネットで後藤氏を非難していた人たちの言葉を見ると、想像力が著しく欠如しているように思えてなりませんでした。自分がテロリストに数か月間も自由を奪われて、情報も何もなく、いつ殺されるかもわからない状態に置かれたらどうなるか、想像もしていないのでしょう。

「オレだったらテロに屈しない」「オレだったら日本に迷惑かけるぐらいなら自決する」なんて言っている人たちもいましたが、それも結局リアルに後藤氏の置かれている状況を想像することなく、テレビやネットで十分情報が与えられて、日本の状況も把握していて、自分の意思による判断ができる立場からものを言っているようにしか、私には思えません。

そう考えると、私がネトウヨとか愛国カルトとか呼んでいる人たちは、基本的に想像力が足りないように思います。彼らは妄想力だけは立派です。何でも中国韓国在日朝鮮人が悪いことにするために妄想力を爆発させて事実を捻じ曲げますからね。しかし、自分と違う立場の人間がいるということ、そしてそういう人たちの考えや心理を想像することに関しては、殆ど能力がゼロだと言っていいでしょう。

例えば、先日書いた「中国語・韓国語併記不要論」でも、自分が中国や韓国からの旅行者の立場だったら、とはまるで考えない。「中国人、韓国人は来るな!」という自分の立場からの発言だけで思考が停止し、相手のことは考えない。

田母神氏のように女性の社会進出に反対したり、いじめ被害者や被災者まで罵倒する人も、自分がその立場だったらと想像しないから言えることなのでしょう。差別の裏には知識と想像力の両方の欠如があります。

ヘイトスピーチも同じです。ヘイトスピーチを行っている人たちは、自分に責任のない事象について人種や民族を理由に謂れのない誹謗中傷を受ける気持ちを尊像できないから、平気であのような行為に及べるのです。「もし外国で自分が同じことをされたら」と想像してみないからできるのです。

他人の気持ちや心理状態を想像するのは難しいです。しかし、それでも、自分がもしその立場だったらと、できる限りリアルに想像してみる努力は大切なことです。それさえすれば、今回のような心無い誹謗中傷も、未だにはびこる人種や性別などに対する差別も、ぐっと少なくなることと思います。