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室谷氏の『悪韓論』は、「序章」と「終章」も入れると全14章で構成で、序章は歴史について、第1章は韓国経済について書かれています。

序章の歴史については、「日本は『滅私奉公』で韓国は『滅公奉私』だ」とか朝鮮王朝の文化レベルが低かったという話が書かれています。第1章は「韓国コンプレックスに陥ることなかれ」というタイトルが付けられ、「韓流どっぷりオバさん」 が韓国を褒めちぎる内容が間違いだということを指摘しています。韓国の大学進学率や、韓国の経済構造がいびつだとかそういう話がしてあり、いくらか表現に気になるところはあるものの、まだこの辺までは比較的冷静に書かれています。

ところが、第2章、第3章と話が進むにすれ、筆者の独断と偏見が目をのぞかせます。

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第2章は「格差王国の身分制度」というタイトルで、韓国では「大卒でなければ人間扱いされない」という状況があると指摘しています。少し長いですが引用してみましょう。
 中卒や高卒では、どんなに頑張っても、あるいは誰よりも仕事ができても、「大学を出ていない」というだけでバカにされ、一生下積み人生から浮かび上がれない。
 簡潔に表現すれば、「大卒以上でなければ人間扱いされない」となるだろう。
 この表現は私の言葉ではない。朝鮮日報の特集記事「追いつめられる大学生」(11.3.13)の本記の主見出しだ。その記事の中には、こんなことが書いてあった。
 「大学の卒業資格を得ることは『選択』ではなく『必須』だ。大学を出ずに成功神話を作り上げた人たちの話は、随分前に消え去った。そのため、実力や経済状態に関係なく大学教育を受けたがる人々が増え、大学と大学生が爆発的に増加した。80年に96校だった四年制大学が、10年には222校まで増加した。41万2404人 (80年)だった大学生数は、10年には255万5016人と6倍以上」(47頁)

さて、ここまで聞いて、貴方はデジャビュ感を覚えなかったでしょうか。そう、日本の状況にそっくりですね。

日本でも「大学を出ずに成功神話を作り上げた人たちの話」は随分前に消え去りました。小学校中退の松下幸之助が作り上げたパナソニックでさえ、現在は4年制大学を出ていなけえれば入社できません。現在大企業のほとんどはそうなっています。中卒高卒では、どんなに頑張っても、そもそも入社さえできません。警察や官僚でも、国家公務員一種試験に受かればどんなに仕事ができなくても出世が約束され、それに受かっていなければ中卒高卒はもちろん、大卒でも出世は限られていますね。

日本でも「実力や経済状態に関係なく大学教育を受けたがる人々」は増え、大学数と学生数は

 1960年 245校    626,421人
 1970年 382校 1,406,521人
 1980年 446校 1,835,312人
 1990年 507校 2,133,362人
 2000年 649校 2,740,023人
 2010年 778校 2,887,414人


となっています。少子化の時代にも関わらず、1970年から2010年までで学校数も学生数も倍以上に増えています(統計局HP参照)。飽和状態に陥り、人気大学以外は学生確保が難しくなりました。そのため、学校側は生き残りのため、学力がない学生でも推薦入試やAO入試で入学させるようになり、大学生の学力低下が問題視されるようになる結果になりました。分数の計算ができない大学生がいるという話は随分前から指摘され、つい最近の文科省の調査でも、千葉科学大学で英語でbe動詞や過去形、数学で分数や不等式や比例反比例などの中学レベルの授業を行っていることが指摘されています(Jcastニュース)。ベネッセの調査では6割の大学が大学生の学力低下を問題視しています(ベネッセHP)。

このように、状況は日本も全然変わらないにも関わらず、室谷氏は韓国の状況をついては
 人間扱いされない―これを李王朝の身分(差別)制度に例えれば、高卒以下は下人すなわち奴婢と言うことだ。一方、大企業の取締役は、さしずめ今日の両班だ。(略)
 こんな事実上の身分(差別)制度がある。
 その現実が、幼稚園の段階から塾通いが始まり、大学生になっても就職向けの塾に通い続ける韓国型受験戦争をもたらした。 昔の両班は世襲だったが、今は大学さえ出れば両班になれる可能性があるからだ。(48-49頁)
と述べています。ここに室谷氏の論の大きな問題点が見て取れます。それは、室谷氏が悉く李王朝を持ち出してくることです。先ほども言いました通り、大卒者と中・高卒者との格差は日本にも間違いなく存在します。日本にもある状況を李王朝に例える必要など全くありません

なぜそのような例えを持ち出すか。それは韓国が時代遅れの後進国であるという印象を読者に植え付けたい以外の理由はないでしょう。室谷氏の論理なら、中・高卒と大卒間だけでなく、高校間や大学間でも偏差値により格差が存在し「Fラン大学」なんて言葉まで存在する日本も、李朝と同じだと非難されなければならないはずなんですが、韓国の方だけ李朝だとか両班だとか差別だとかいう言葉を使って悪印象を持たせようとしています。

つまり、室谷氏は新聞や統計を用いて論理の正しさを強調しながらも、「韓国は李王朝と変わらない身分社会がある後進国である」という、室谷氏の考える「正しい韓国像」の結論に持っていくために、情報を都合よく解釈して切り貼りしているに過ぎないわけです。

室谷氏は前書きで韓国の国家ブランド戦略について
(韓国が韓流ドラマなどを用いて国際的なブランド力を高めようとするのは)「韓国とは、大変に素晴らしい国だ」「韓国人とは、とても優れた民族だ」という”彼らなりの事実”を世界中に認めさせるためだ。(3頁)
と言い、
こうした意味でのブランド志向と夢想の底流で脈打つものは、韓民族優越思想だ。そして、これと表裏一体をなすのが他民族に対する差別意識である。(4頁)
と強い言葉で非難しています(詳しくは前回の記事参照)。しかし、室谷氏がなんでこの本を書いているかと言えば、「『韓国とは、李朝や北朝鮮と変わらないろくでもない国だ』『韓国人とは、李朝や北朝鮮と変わらない後進的な民族だ』という"室谷氏なりの事実"を日本人に認めさせるため」であることは明らかです。当然その底流で脈打つものは「日本人優越思想や、それと表裏一体をなす韓国人に対する差別意識」でしょう。

また、本書は韓国の新聞や公式統計を用いているというのが売りのはずなのですが、ところどころ何の引用もない室谷氏の印象論が見受けられます。室谷氏の、先ほどの「身分(差別)制度」に関連して、韓国のオフィスについて以下のように述べています。
 韓国人は何事につけても、明確な格差を設けることが好きだ。それをマザマザと見せつけてくれるのが社屋内の部屋のスペースだ。
 例えば、従業員10人ほどの専門商社を訪ねると、狭い事務室で隣の人とひじや肩が触れ合うような寿司詰め状態で仕事をしている。「これでは能率も上がるまい」と思う。
 ところが社長室に通されると、これが隣の事務室よりはるかに広く、そこに社長一人が悠然と座っているのだ。
 日本人なら誰でも、広い部屋の方を事務室に充て、狭い部屋を社長室にするだろう。だが、韓国人にそういう発想はないようだ。 (51-52頁)
これは室谷氏の経験に基づくものなので否定も肯定もしようがありませんが、具体的に社名や間取りが示されているわけでも、彼が何社くらいを見たのかも示されていません。彼は前書きで「『私の独断ではない』ことを示すために、韓国の公式統計や韓国の『権威ある』マスコミ報道を、主たる典拠にした」(7頁)と述べていますが、実際の内容を見ると、ちょくちょく何の統計もマスコミの引用もない印象論が展開されているのです。彼が韓国を「悪」とする論理展開の多くはこのような単なる印象論で書かれています。

また、この本では現代の韓国を繰り返し李朝に重ね、世襲や強権力はすぐに李朝だ北朝鮮だと言われてしまいます。この章の最後には現代(ヒュンダイ)自動車の労働組合が「新規採用時、定年退職者と25年以上長期勤続者の子供を優先的に採用する条項を団体協約に入れるよう要求している」として、「北朝鮮も身分世襲制だ」「韓国でいう『進歩的』とは、実体として『親北的』と限りなく近いから、『過激で進歩的』な労組(※現代自動車労組のこと)が”職場世襲制”を要求するのは何らの矛盾もないのだろう」(60頁)と述べています。

従業員の子供を優先採用するのを求めるというのは、事実なら確かにおかしなことではありますが、それを北朝鮮と関連付けるのは室谷氏の恣意的な独断にすぎません。世襲制は北朝鮮以外にも残っていますし、李朝だけじゃなく江戸幕府だって世襲制でした。権力はありませんが皇室ももちろん世襲ですね。同族経営なら日本にも数多く存在します(参照)。世襲や同族経営自体を批判するのは理解できますが、それを北朝鮮と結びつけるのは、韓国を李朝や北朝鮮と同様の封建的後進国だと印象付けたい室谷氏の幼稚な印象操作だと言えるでしょう。

そして、この章はこの一文で締めくくられています。
 現代自の国内工場での一人当たり自動車生産台数は、トヨタの半分以下とされている。現代自の国内工場で"人件費爆発"が起きるのは、そんな先の話ではないだろう。
世襲の話からいきなり「人件費爆発」なんて話に飛びました。文脈が繋がっていないように見えるのですが、恐らく室谷氏の発想としては、「労組が職場世襲制を求める北朝鮮のような発想の現代自動車の従業員のレベルは低くて未来はない」と言いたいがために、一人当たりの自動車生産台数なんてものを出してきたのでしょう。

しかし、ご覧のとおり、「公式統計や『権威ある』マスコミ報道」を主たる典拠にしているはずなのに、現代自動車の一人当たりの自動車生産台数がトヨタの半分以下という出典は示されていません。それに、それが事実だとしても、一人当たりの自動車生産台数がトヨタの半分というのは何も驚くことではありません。ちなみにこちらには現代自動車の従業員一人当たりの自動車生産台数はトヨタの82%とあります。

法政大学のHPに掲載されているこの研究によれば、トヨタ自身が1963年から1975年までの約10年間だけで、従業員一人当たりの生産台数を3倍にも伸ばしています。「(現在の)トヨタの生産能力の半分」が問題視されるのであれば、かつてのトヨタ自身もダメダメ会社になってしまいます。生産能力が世界一、二を争うトヨタの半分程度しかなくても何も驚くことには当たらず、現代自動車社員やシステムに問題があるという証明にはなりません。

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単に「労組が社員の子供の優先採用を要求するぐらい、韓国では世襲制が生きている」と言えばいいだけのところを、室谷氏は北朝鮮と結び付けたり、「一人当たりの生産能力がトヨタの半分しかない」「近い将来人件費爆発が起きる」とか、典拠もないことに結論を持っていきます。いえ、この結論に持っていくために、都合がよさそうな労組に関する記事を選んできただけなのでしょう。結論ありきで都合のいい記事を持ってくるというのがこの『悪韓論』の基本スタンスです。

末期の李朝や両班について碌な話は聞きませんし、北朝鮮に関しては殆どの日本人は「悪」と断じることにためらいはないことでしょう。室谷氏はそのイメージを利用して、韓国と北朝鮮や李朝を都合よく恣意的に重ね合わせることで「『悪』韓論」を描き出そうとしています。韓国情報だけでは、韓国を「悪」にするのに不足だったのでしょう。このような幼稚な手法を使う人が時事通信社のソウル特派員を務めていたとは驚かされます。

室谷氏の結論ありきのツギハギ論法はこの後さらにエスカレートしていきます。次回は第3章「就職浪人大国の悲惨」について述べます。

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