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今回で自民党の憲法改正推進マンガに対する記事は最終回にします(マンガはこちらから読めます)。今回はマンガの第4話「みんなで考えよう」の内容を見てみたいと思います。 

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第4話はほのぼの一家が初日の出を見に丘にやってきているシーンから始まります。何故か大みそかに野外で憲法改正について話しはじめます。そこで自民党マンガの真骨頂が見られます。

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憲法を変えなけれないつまでたっても日本は敗戦国のまま

まさに自民党が掲げる「戦後レジームからの脱却」を意味しているのでしょう。所謂「押し付け憲法論」ですね。

しかし、この台詞は思いっきりこのマンガの他のシーンと矛盾しています

このマンガではこの前の話で、「憲法のどれを変えてどれを今のままにするか」「変えるべきかどうか話し合うことが必要」と言っています。また、「大変なことにならないようにみんなで考えなくちゃならない」とも言っています。つまり、内容をよく見て、変える必要があるかどうかしっかり考えよう、ということですね。

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ところが、「憲法を変えないと敗戦国のまま」と言ってしまっては、もう変える以外の選択肢がありません。改憲大前提、それも全面改正しかありません。「よく考えた上で変えないことにしました」という意見は完全否定と言うことになります。「(内容をよく考えて)変えるべきかどうか、話し合うことが必要なんじゃよ」というセリフは何だったのでしょう? 


そもそも、「敗戦国のまま」ってどういう意味なんでしょうか? 


それで憲法を変えれば「敗戦国」じゃなくなるんでしょうか? 現実問題として、現行憲法のままだと「敗戦国」のままだから困っていることがある、というのなら納得ですが、なんだか具体性が無く、ただの感情論に思えます。これまでにも指摘していますが、どうもこのマンガはイメージや感情だけで具体性に欠けた現行憲法批判が非常に多いです。

例えば「現在アメリカ軍基地が日本にあるのは『敗戦国のまま』である証拠だから、9条を変えて強力な国防軍を作ってアメリカ軍に頼らなくてもいいようになろう」と言うのなら、賛成反対は別として、理解はできます。しかしそんな具体的な主張はなく、ただ「敗戦国」という圧倒的マイナスイメージの語を用いて、「『敗戦国』のままなんて嫌だ」という感情を利用して自説を押し通そうとしているだけではないでしょうか。


(このマンガでは日本が「敗戦国」であることが繰り返し言及されます。よく戦前戦中の日本に批判的な考えを「自虐史観」などと言いますが、70年たっても、具体的な状況への言及もなく「日本は憲法を変えない限り敗戦国のままなんだ」と言い続けるのも私には十分自虐的に思えます。一方沖縄に対しては、米軍専用基地の7割が集中するという形で、本土の都合で「敗戦国日本」を押し付けているように思います)


そして、このシーンではそんな「感情論」でも説得力があるかのように見せかける嫌らしい印象操作が行われています。


この台詞を言っている千造じいさんは「戦争体験者」という設定になっています。第1回で紹介したGHQ内部の様子は単に自民党の創作に過ぎないのですが、「戦争体験者の話」という設定にすることで、あたかも戦争体験者の実体験に基づいた真実の話であるかのような錯覚を起こさせるよう工夫されています。

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↑GHQの説明をされて、「戦争体験者のおじいさんから聞いた話はショックだった」というナレーションを付けることで、GHQ内の様子を自民党が勝手に想像で描いただけのものを、戦争体験者が実際に見てきた本当の話であるかのように錯覚させようとしています。



この「憲法を変えないと敗戦国のまま」というセリフも、「戦争体験者」のおじいさんに言わせることで、あたかも戦前・戦中・戦後を見てきた人生経験豊か老人の実体験のこもった意見であるあるかのように見えてきます。実体験に基づいたものであれば論理がなくて感情だけでも説得力を持ちますからね


ところが、実際にこのパンフレットを作って、この意見を主張しているのは、ほとんどが戦後生まれの自民党です西日本新聞4月28日によれば、このマンガの作成は首相が指示したものなので、このひいお爺さんの意見は実際には安倍総理の意見だと言えるでしょう。


それでこのシーンを描き変えてみると、ガラッと印象が変わります。

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戦争体験者でもなんでもない戦後生まれの人物の発言として改めて読んでみると、具体性が無い単なる感情論に見えてきますね。お父さんやおじいさんが「戦争体験者」の話にうなづいていたのも、首相の話にうなづいているシーンに変わると大きく印象が異なります。「さすが戦争体験者の話は深いなあ」というふうにうなづいているシーンが、単にイデオロギーに賛成しているだけのシーンに変わりますね。実際はこちらが正しい表現のはずです。


感情論が全面的に悪いと言いたいわけではありません。論理や実益だけでなく、「国民感情」というものが大切になってくることもあるかと思います。しかし、もし本当に必要なことを訴えかけたいのなら、総理や自民党の考えを「92歳の戦争体験者の考え」として描く必要などないはずです。本当に大切で納得できることであるならば、総理の言葉や政治家の言葉として描いたって国民の感情を動かせるはずです。ところが、このマンガでは、総理や自民党の主張を「92歳の戦争体験者」の言葉として描いているのです。


この自民党のマンガの登場人物は、ひいお爺さん(92歳)、おじいさん(64歳)、父親(35歳)、母親(29歳)、息子(2歳)という構成になっています。核家族化の時代にも関わらずひいお爺さんを出してきた理由は明らかです。論理性を欠いた感情論でも、戦争体験者のセリフという設定にすれば「体験談」として説得力があるかのように錯覚させられるからです。


5月27日の毎日新聞で漫画家の石坂啓氏はこう指摘しています。

「若い主人公が改憲を納得するには、戦争体験者が『○○じゃよ』と語るのが最も都合がいい。ただ、今の20〜30代の親は戦後生まれだから、さらに上の世代が必要。でも登場人物がこれ以上増えると読者が混乱する。苦肉の策として『男ばかりの4世代』になったのでしょう。おばあちゃんや、ひいおばあちゃんは邪魔だったんですね」(2015年5月27日毎日新聞HP


党員のほとんどが戦後生まれの自民党の意見を、戦争体験者である92歳のひいお爺さんの体験談であるかのように語らせることで説得力がある内容に見せかけるこの手法は、私は卑怯極まりないと思います。


逆に言うと、自民党はこのマンガの内容が論理性と具体性を欠いていて、「戦争体験者」の意見であるかのように見せかけないと説得力をもたない感情論に過ぎないことに自分で気が付いていたのでしょう。


そしてこのマンガは「現行憲法のままではいつまでも敗戦国のまま」とか「次の世代にまで戦後を引っ張るわけにはいかない」とか発言して、改憲以外ありえない形で結論を出したうえで、ラストシーンは2歳の子供が「僕たち(次の世代)のためにもちゃんと考えてね♡」で終わります。

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改憲以外ありえないという結論を出したうえで、「ちゃんと考えてね」とは、「護憲派は何も考えていない」「ちゃんと考えたら改憲になるはず」と言いたいのでしょう。なんだか自民党の改憲に賛成しない国民を無知だとバカにしているような気がします。


この「護憲派は無知」という印象操作はこのマンガ全編を通して貫かれています。護憲派だったらお母さんは非常に無知でヒステリック。お父さんも憲法が70年前に作られたことも知らなかったほどの驚くべき無知。弁護士の武井由紀子氏は特にこのお母さんの描き方を以下のように批判しています。


「突然、ヒステリックに怒り出したり、流行に流されたりして短絡的で情緒的。『ものを考えていない女が改憲を邪魔している』と言わんばかりです」2015年5月27日毎日新聞HP

さらに「どれを変えてどれは今のままにするかを考えないで放ったらかしにしてた」と言って、70年間憲法が変わってこなかったのは国民の無知・無関心が原因と決めつけた発言も飛び出します。「考えて護憲を唱えている人もいる」という発想はないのか、聞く価値なしとして無視しているのかのどちらかのようです。


護憲は「ものを考えていない」という扱いをし、GHQの様子を勝手に創作して印象操作をし、具体的な引用もないままイメージだけで現行憲法批判を展開したり、憲法改正要件の厳しさを誇張したり、自民党の考えを「戦争体験者」のセリフとして描くことで説得力を持たせようとするこのマンガは本当に卑怯で姑息だと思います。つい先日も自民党の長尾敬衆議院議員から「(沖縄メディアは)左翼勢力に乗っ取られている」なんて所謂ネトウヨと区別がつかない発言がありましたが、今の自民党は、自分たちの主張を押し通すためならデマを含む卑怯な手段も使うという点で、非常に「愛国カルト」化していると感じます。


5回もかけて自民党の憲法改正マンガを取り上げてきましたが、繰り返し強調してきたとおり、私は護憲を主張しているわけでなければ、改憲を否定しているわけでもありません。国民が改正を望まなければこのままでいいし、国民の信を得て改正されるならそれでいいと考えています。


ここで批判しているのはこの自民党による憲法改正マンガだけであり、憲法改正そのものを否定しているわけではありません。しかしそれでもこの自民党の憲法改正マンガが間違っている卑怯なものであることは、自信を持って断言したいと思います。改憲派でも護憲派でも、自分個人の主張に都合がよかろうと悪かろうと、このような卑怯な手法には抵抗し、正しい情報とそれに基づいた多くの意見に触れることで、護憲なり改憲なり自分の意見を形成していくことが大切だと考えます。