参院選も近づき、安倍総理が「憲法改正を争点にしたい」などと発言したこともあり、安倍政権になってから憲法の話題が頻繁に上がるようになりました。

安倍総理は現憲法を「みっともない憲法」とまで言い切りますが、そんな安倍総理率いる自民党が考える憲法改正とは、どのようなものなのか、自民党の憲法改正草案を見ながら考えてみたいとと思います。

今回は、私が特に問題に思う憲法第12条と第21条を見てみたいと思います。


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==第12条==

これが現行憲法第12条です。

日本国憲法第十二条  

・この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

ここで注目してもらいたいのは、「公共の福祉」という言葉です。これが、自民党の憲法改正草案では、「公益及び公の秩序」と変えられているのです。

自民党憲法改正草案第十二条  

・この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。

国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

また、現行憲法では「責任を負う」だったものが、「義務が伴うことを自覚」し「公益及び公の秩序の反してはならない」という、義務の表現に大きく改められています。

何故変える必要があるのか、ここには当然何らかの意図があると考えるべきでしょう。

==「公共の福祉」と「公益」の違い==

自民党の憲法改正推進マンガでは、あたかも同じものであるかのように紹介されていますが、実際には異なるものです。

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(↑自民党の憲法改正推進マンガ。「公共の福祉」と「公益」を同一視している)


例えば法学館憲法研究所というところのHPはこんな解説をしています。

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この解説によれば、「個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障」であり、「公共の福祉」とは衝突する人権を調整するものだと解説されています。例えば、タバコを吸いたい人の吸う権利と、吸いたくない人の嫌煙権とが対立した場合など、双方の権利を調和させるものが、「公共の福祉」なわけです。「公益」とは別の概念です。

一方、自民党の憲法改正Q&Aでは、以下のように説明されています。

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>>従来の「公共の福祉」という表現は、その意味があいまいで、分かりにくい
>>その曖昧さの解消を図る

と言っていますが、その後、大きな問題点が書かれています。
 
>>憲法によって保障される基本的人権の制約は、
>>人権相互の衝突の場合に限られるものではない


つまり、人権相互の衝突の場合のみ基本的人権は制約されうるとする現在の憲法より、明らかに基本的人権制約の幅が広がるのです。

自民党は、例として「街の美観や性道徳の維持などを人権相互の衝突という点だけで説明するのは困難」だと言っていますが、それらは「公共の福祉」では説明がつかないのでしょうか? 「景観利益」という言葉がありますが、裁判事例で、景観利益は法的保護対象となり得るとされています。京都に景観条例があるように、街の美観を守るための条例は憲法違反に当たらないはずで、現行憲法でも街の美観を守ることは可能です。また、「性道徳の維持」というのは、恐らくわいせつ罪のことを言っているのでしょうが、過去の判例では、わいせつ罪は憲法違反ではないとされています。

つまり、敢えて街の美観の保護や、性道徳の維持のために、敢えて憲法を変える必要は生じていないわけです。となると、やはり本音は別のところにあると考えるべきでしょう。

==自民案はこれまでより曖昧==

自民党は
「『公の秩序』と規定したのは、『反国家的な行動を取り締まる』ことを意図したものではありません」
「『公の秩序』とは『社会秩序』のことであり、平穏な社会生活のことを意味します」
と言っていますが、何を「公の秩序」と考えるかによって、大幅に人権制約が可能となります。

先ほど引用した法学館憲法研究所のHPの「公共の福祉」の説明には、こうも書かれています。

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「『社会の秩序や平穏という公共の価値のために、個人はわがままをいってはいけない』
『多数の人の利益になるときには、少数の人はガマンすべきだ』
という理解は、(「公共の福祉」の理解として)正しいものとは言えない」


つまり、現在の憲法では、「社会の秩序や平穏という公共の価値」や、「多数の人の利益」のために、基本的人権が制限されることはない、ということです。

ところが、自民党憲法改正草案では、これが可能になります。事実、自民党の憲法改正推進マンガには、このような描写があります。

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>>(現行憲法では)国の安全に反しても
>>ワガママOKってこと!?


>>(現行憲法では)どんなに危険な結社や宗教団体でも
>>簡単には解散させられない


逆に言えば、自民党の憲法改正草案では、「国の安全に反する」と判断されたり、「危険な結社や宗教団体だ」と判断されれば解散させられたりすることがあり得る、ということを意味します。

一体、誰が「国の安全に反する」とか、「危険な結社だ」とか判断するのでしょう。このマンガにも書かれている通り、犯罪行為は刑法で取り締まっているので、敢えて憲法に人権制約規定を書く必要はないはずです。

つまり、この改正案の意図は、犯罪行為をしていない場合でも、公益に反すると判断すれば制限できる、というものでしょう。

「公益及び公の秩序」の解釈次第で、デモも「社会の秩序に反する」とすれば禁止できてしまいますし、「危険な結社だ」とか「国の安全に反する」とか言えば、いくらでも人権制限が可能になってしまいます。

自民党は、「『公共の福祉』という表現が曖昧で意味がわかりにくい」から「その曖昧さを解消する」ために「公益及び公の秩序」と言い換えたといっていますが、「人権相互の衝突の場合に限って基本的人権は制限されうる」という学説が定着している「公共の福祉」より、自民案の「公益及び公の秩序」の方が、遥かに曖昧で、解釈幅が広いことは間違いありません。「公益及び公の秩序」の解釈次第では、相当な人権制約が可能になりそうです。

それを証明するのが、憲法第21条です。

==第21条==

憲法第12条で、「『公益及び公の秩序』のために人権が制約されることがあり得る」と、人権制約の解釈幅を大幅に広げる自民草案ですが、自民党憲法第21条は、はっきりと人権制約が明記されています

これが現行の21条です。

日本国憲法第二十一条  

・集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保証する。

自民草案には、これに第2項が加わっています。

自民党憲法改正草案第二十一条  

・集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、保証する。

2. 前項の規定にもかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」や「それを目的として結社すること」と判断されたら、会、結社、および言論出版その他の表現の自由が制限されうる、とされているのです。

表現の自由は、民主主義の根幹です。これがない国家は、ソ連や中国や北朝鮮のような国になってしまうことは目に見えています。

自民党の草案ならば、TPPに反対する意見を「TPPという公益を害する」として取り締まることだって可能になってしまいそうです。自民党は「『公の秩序』と規定したのは、『反国家的な行動を取り締まる』ことを意図したものではありません」と説明していますが、「反国家的」とされなくても、「公の秩序を害する」とされれば行動を取り締まれるのですから、国家の方針に反する行動を取り締まることなど容易になるでしょう。少なくとも、これまでより表現の自由の制限が可能になることに間違いはありませんし、解釈次第でどれだけ制限が広がるか、想像もつきません

この自民党憲法第21条は、民主主義国家にあるまじきものだと言わざるを得ません。自民党の憲法こそ、自由と民主主義という、公益及び公の秩序を害することを目的としたものだと言えるでしょう。

立憲主義の考え方では、憲法は権力者を縛るもの、とされていますが、自民党の憲法改正草案は、「憲法は国民を縛るもの」とする考えが端々に見受けられます

最初に紹介した通り、安倍総理は現憲法を「みっともない」と言いきっています。「自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。いじましいんですね」と。

しかし、自民憲法は現憲法より遥かにみっともなく、権力者が国民を隷従させ、圧迫しようとする恥知らずなものであると言うべきでしょう。

自由民主党の憲法改正草案は、自由も民主主義とこれまでよりも大幅に制限という意図が隠さず現れており、これの一体どこが「自由民主党」なのか、私には全く理解できません。私は、自民党憲法が成立するような国には、絶対に住みたくありません。現在の自民党支持者も、この自民党憲法改正草案を見ても自民党を支持できるものなのか、私は疑問に思います。

次回以降も、自民党憲法の問題点を見ていきたいと思います。

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