多忙のため随分時間が開いてしまいましたが、前回記事の続きです。

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前回、上念司氏が「十七条憲法だって立派な憲法」だという意味不明な独自の理論を展開したことをご紹介しましたが、今回は前回以上に意味不明な独自の理論を展開しています。ツイッター上で既に話題になった発言ではありますが、ご紹介します。

 
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(↑本人のツイート
  
>>①日本国憲法には牛丼食べていいとは書いてないけど、
>> 牛丼食べるのは違憲なのか?
>>②日本国憲法には日本が核兵器を保有してはいけないと
>> 書いてないけど、核保有は違憲なのか?


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本人のツイート
>>憲法に牛丼食べていいって書いてないのに、
>>今多くの国民が勝手に牛丼を食べている。
>>これは違憲状態なのか?
>>牛丼を食べることの憲法上の可否を
>>立憲主義に基づいて論じなさい。

 すみません、ちょっと何言ってるかわからないです。
 
==上念流「牛丼と核兵器合憲論」==

上念氏が何を言っているかと言うと、


1.憲法には「牛丼を食べていい」と書いていないが、牛丼を食べることは合憲だ。

2.従って、憲法に「核を持ってはいけない」と書いていないから、核を持つことは合憲だ。


うーん、なんとも凄い理屈です。

言うまでもなく、国民が牛丼を食べる権利は、日本国憲法第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という条文に根拠があります。国民は公共の福祉に反しない限り、何をやってもいいのです。だから牛丼を食べることは合憲なのです。

ところが、こう言われると、上念はこのように返しました。


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>>(憲法13条の保証する権利が)
>>それが具体的に牛丼を指すという論拠が示されてないです


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>>条文から牛丼読み取れるなら
>>集団的自衛権だって読み取れる


彼が何を言いたのか分からなかったのですが、どうも彼は、彼が「パヨク」と呼ぶような人たちは、憲法が「解釈」によって運営されるということもわかっていない無知な人間である、と考えているようなのです。だから彼は「憲法」と「憲法典」が違う、ということを繰り返し発言します。彼の言うところの「憲法典」とは文字で書かれた条文のことであり、「憲法」とはその理念や解釈を示すようです。

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本人のツイート

牛丼も、「パヨク」の憲法に対する街さを露呈されるために、皮肉のつもりで言っているようなのですが、例え話のレベルが低すぎて、皮肉にならずに自分の頭の悪さを露呈することになっているのが情けないところです。

結局のところ、彼は、
憲法の「自由及び幸福追求権」に牛丼を食べる権利が含まれると解釈できるのであれば、集団的自衛権も核保有も含むと解釈できる、と言いたいようなのです。

そんな解釈偏向が可能なのであれば、いかなる解釈でも自由に可能になってしまい、憲法の意味が全くなくなってしまいます。それこそ、まさに安倍政権が「立憲主義に反する」とされている理由なのです。

大体、憲法と言うものは、ルールを守る側の国民の行動を規制するものではなく、ルールを作る側の行動を規制するものなので、「牛丼禁止令」みたいなものに対して合憲か違憲か、というのなら話は分かりますが、国民が牛丼を食べることが合憲か違憲か、というのは、そもそも憲法の考え方がおかしいです。前回、上念氏は十七条憲法と日本国憲法の「憲法」の違いを理解できていないことを紹介しましたが、上念氏の考える「憲法」とは、われわれが考える「憲法」とは違うもののようです。



==立憲主義を理解しない上念氏==


上念氏は、集団的自衛権について、このような発言をしていました。

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本人のツイート

>>「憲法典」を杓子定規に解釈して、
>>国民の生命財産を危険に晒す行為こそ
>>「憲法」違反です。


つまり、彼は「憲法典」を杓子定規に解釈すれば、集団的自衛権は違憲であることを認めているのです。 

それでも、上念氏は集団的自衛権を合憲だといい、むしろそれを認めない考え方こそ「『憲法』違反」だと言います。どういうことなのでしょう? 上念氏は、次のような発言もしています。


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ここで上念氏は
「書いてないことを『違憲』っていうのは責任放棄」と言っていますが、この考えに基づけば、当然徴兵制についても憲法には書いてありませんので、「徴兵制は違憲」と言っている安倍政権も責任放棄ですね。

ハンセン病隔離病棟
も、「ハンセン病患者を隔離してはいけない」と憲法に書いていないので、違憲だと言ってはいけないですね。

憲法のどこにも「牛丼を食べる権利を禁止してはならない」と書いていないので、
「牛丼禁止令」を出しても合憲ですね。牛丼合憲論との整合性はどうするのでしょう?

集団的自衛権がどうして現行憲法から読み取れないのか、香川県弁護士会のHPの説明がわかりやすいので引用します。

>>憲法9条の文言との整合性も踏まえ、自国の安全を保障するための
>>必要最小限の実力は保持できるし行使も可能であるが、
>>それ以上のことはできない、
>>というのが憲法9条の文言の解釈として導き出されうる限界であり、
>>この解釈は、これまで内閣自身が踏襲し、積み重ねてきた解釈でもある。
>> 一方、集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
>>自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」
>>と定義されるところ、このような集団的自衛権の行使は、
>>未だ自国民の生命・財産が直接危険に晒されていない状態での
>>実力の行使であるから、
>>自国の安全を保障するための必要最小限度という

>>憲法が認める範囲を超えることが明らかである。
>> このように、憲法9条の解釈として、
>>集団的自衛権の行使が認められないのは、当然の論理的帰結である。


また、憲法学者の95%以上が、現行憲法から集団的自衛権が合憲であるとは読み取れないと、言っています(参照)。専門家の圧倒的多数よりも、上念氏は自分が正しい、むしろ自分の解釈を否定する憲法学者は学者をやめてしまえ、と言えるのだから、図太い神経をしています。

ちょっと例え話を出します。「馬は立ち入り禁止」という看板があったとして、ロバが「馬」に入るかどうかは解釈の余地がありますが、「この『馬』は『哺乳類』の意味だ」と言って、犬も猫も立ち入り禁止にしたらおかしいわけですね。状況や常識が変わり、馬だけでなく犬も猫も立ち入り禁止にしたいなら、解釈変更ではなく、ルール自体を変えなければなりません。そうでなければ、ルールの意味がなくなりますからね。

同様に、集団的自衛権を容認したいのであれば、
「解釈変更」ではなく憲法を改正することが筋なわけです。

上念氏の考え方を採用すれば、その場その場で都合よく憲法解釈を変更して、「これまで違憲とされていたけど、今日からこれは合憲だよ」「これまで合憲とされていたけど、今日からこれは違憲だよ」ということが許されてしまいます。

例えば、徴兵制について考えてみましょう。

現在、徴兵制は、憲法第18条が禁止している「意に反する苦役」に該当するから許されない、とされています。ところが、上念氏のような考えに基づけば、「危機管理のため」という理由で、「今日から徴兵制は『意に反する苦役』には該当しないことにしました。よって徴兵制を採用します」ということが可能になってしまいます。
このようなことが許されるなら、憲法の意味が全くなくなります。だからこそ、安倍政権は「立憲主義」に反していると言われているのです。

このへんのことが、上念氏は分かっていないのか、わかっていて無視しているのか、あの手この手で自分の解釈を正当化しようとしていますが、どれもスベっている感じが否めません。

彼はこれまでの解釈を継続することは「責任放棄」だと言っています。安倍総理も憲法を変えてはいけないというのは責任放棄だ、と言っていますが、「現行憲法ではそのような解釈は生まれない」と考えることが責任放棄でしょうか。結局のところ、
自分の考えに合わない者を、「責任放棄している」と言っているにすぎません。

私に言わせれば、憲法というルールの中で法律を考えることこそ政治家の責任であり、自分の考える法律に憲法が合わないから憲法解釈の方を変えてしまおう、という方が、よっぽど政治家としての責任放棄だと思いますけどね。



==「憲法」に無知な上念氏==


上念氏は「憲法」だの「憲法典」だのの言葉を使い、憲法学者を馬鹿にし、あたかも自分が憲法の考え方について学者以上に精通しているかのように言っていますが、実際のところ彼が無知であることは明らかです。先ほどの引用で、上念氏は「憲法典で国の固有の権利である自衛権を否定できるわけないじゃん」と言っていますが、ここに上念氏の無知さがよく表れています

言うまでもなく、日本国は個別的自衛権も集団的自衛権も有していますが、憲法上「行使できない」とされているのです。こんなことは、憲法の常識中の常識です。上念氏の「牛丼」の例えを用いれば、我々は牛丼を食べる権利を有していますが、「健康のためにオレは牛丼を食べない」ということを自分に課すこともできます。言ってみれば、憲法とは自分ルールです。健康のために牛丼を食べないというルールを自分に課すように、「平和のために集団的自衛権を行使しない」というルールを自分に課すことは何一つおかしくなく、それがこれまでの憲法解釈なのです。憲法のことを何にもわかっていないのは、上念氏の方です

第一、もし上念氏が言うように「憲法典で国の固有の権利である自衛権を否定できるわけないじゃん」と言うのであれば、永世中立国は存在しませんね。永世中立国は、他国との条約や自国の憲法により、軍事同盟に参加しない、すなわち集団的自衛権行使を否定しているのですから。


さらに、上念氏は「憲法」と「憲法典」は違うと言っています。彼の言う「憲法」は、その解釈や理念のことをさすようですが、理念と言う観点で言えば、なおのこと集団的自衛権は違憲になるはずです。なぜなら、日本国憲法は「平和主義」「基本的人権の尊重」「国民主権」を三本柱としており、「平和主義」とは、「武力に頼らない平和の維持」、であることは、前文や9条からも明らかだからです。

それを「状況が変わったから」と言って変更できるのであれば、それこそ「憲法」を無視しています。上念氏は「憲法と憲法典は違う」だの、分かったようなことを言っていますが、結局のところ、
彼が言うところの「憲法」とは、「自分の憲法解釈」以外のものでは全くありません。

一体何のために、憲法96条に改憲手続きが規定されていると思っているのでしょう? 「状況が変わった」なら、解釈変更なんて言わず、改憲手続きに則って改憲すればいいはずなんですけどね。

上念氏は憲法学者に「(自分の解釈に賛同しない)憲法学者なんていらない」「学者やめたら?」などと言っていますが、牛丼を根拠に核兵器も集団的自衛権も合憲だというような幼稚なことを恥ずかしげもなく言うんだったら、上念氏こそいらないし、学者やめたらどうなんですかね?

 
==上念流「常識」と「憲法」のありかた==


上念氏が今回の憲法解釈変更を問題ないと考えている根拠に、「常識」の変化があります。法律の条文の解釈は常識によって決まるのだから、常識が変化すれば、解釈も変化するのは当たり前だと。

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本人のツイート

法律の解釈に「常識」が反映されるのは事実でしょうが、ではその「常識」はどうやって判断するのでしょうか。ここで、上念氏は実に素晴らしい独自解釈を見せてくれます。

次回、
「『常識』は選挙結果で決まる」に続く。



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