五輪がついに閉会しました。私は個人的には五輪やワールドカップが大好きですので、大いに楽しませてもらいました。


しかし、毎回毎回、世の中には五輪精神を理解していない人たちが大勢いることを感じずにはいられません。


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各国ごとに代表選手を選んでいるため、時に国家の威信をかけた競争のようになってしまうことがありますが、五輪憲章にははっきりとこう書いてあります。

オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない。

名誉はあくまでも選手のものであり、国家のものではありません。そのことはJOCのHPの「オリンピズムってなんだろう」というコーナーにも書いてあります。


さらに、JOCによれば、オリンピックは国家間の競争ではなく選手たちのものなので、国別のメダルランキング表の作成も禁止しているそうです。IOCやOCOG(五輪組織委員会)はメダルランキングを作成することは禁じられています。にもかかわらず、NHKを含めた様々なメディアがメダルランキングを作成し、「日本が過去最高のメダル数を獲得」と報道しています。これは、本来は五輪精神に反しているわけですね。


こういう五輪精神を知らずにいると、↓このようなわけのわからない発言をすることになるわけです。


>>国別対抗の意味がないので
>>帰化選手は出場禁止にしたほうがいい



見事なまでに、五輪憲章に喧嘩売ってますね。


この渡辺正裕って人、これでもMy News Japanというニュースサイトの編集長をやっているジャーナリストなのですが、五輪憲章なんかをチェックしないんですかね? 


さらに、こんなことまで言っています。


>>応援したいかしたくないかは人種問題の本質


つまり、人種が違うから応援したくない、と言ってるわけですね、この人は。


そのあと「日本がオリンピックで勝つためにアフリカ系の国から有望選手を大金積んで日本国籍とらせて日本代表として金メダル争いできるようになっても応援できない」と言っています。


それは当たり前です。だって、そもそも五輪は国家間の競争ではないのに、金で選手を買ってきて帰化させて金メダルとらせて「日本強い!」なんて、五輪憲章に真っ向から反していますもの。


この場合、メダルを取るためだけに金で選手を買ってくることに対する嫌悪感であり、人種問題とは別の話です。渡邊氏は、意図的か無意識かわかりませんが、問題をすり替えています。


(※プロ野球やプロサッカーは金で選手を買ってきますが、あれは別です。プロスポーツは名誉ではなく、あくまで職業ですから、条件がいいチームに行くのは当たり前です)


この渡邊氏に対し、こういう反論がありました。


これに対し、渡邊氏はこう反論しました。


>>後天的な良識と先天的な本音の違いを
>>理解することが決定的に重要

>>ほとんどの場合、それ(後天的な良識)は偽善

>>そこを否定するサヨクの胡散臭さがむしろ危険


時々いますよね。「オレは偽善者じゃないから、本当にことを言ってるだけ」みていなノリで、人種や国籍による差別を肯定する人。この「みんなと違ってオレってわかってる」という態度、私は中二病の一種だと考えています。「後天的な良識」より「先天的な本音」を重視するなら、原始時代にもどったらどうですかね? 人間社会は「後天的な良識」を積み重ねて作られたものだと思うんですけどね。


大体、「帰化した選手は応援できない、したくない」なんてのは、明らかに後天的なものでしょう!


国家とか国籍とか後天的なもので、同じ国の選手を応援するなんてのは完全に後天的なものでしょうに…。


人種自体は先天的なものかもしれませんが、人種を気にするっていう行為は後天的に身についたものだと思うんですがね。

この人が言っている「先天的な本音」ってのは、実のところただの「後天的な偏見」以外のものではありませんね。


クーベルタン男爵はこう述べています。

今さまざまな民族同士を切り離している諸々の偏見を乗り越えてしまうまで、私たちは平和を手にすることはできないだろう。

この目的に到達するため、あらゆる国の若者が周期的に集まって、筋肉の強さと鋭敏さとを友好的に試してみること以上にすぐれた方法は、他にあるだろうか。

(「一八九六年のオリンピック競技大会」より)

五輪は民族同士を切り離している偏見を乗り越えることが目的の一つであるのに、人種を理由に応援したくないとか、「国別対抗だから帰化選手は出場禁止にしよう」などと言う人間に、五輪を語る資格はないでしょう。


スポーツは面白いし、自分の国の選手を応援するのも当然の行為だと思います。私は、甲子園でも、何のつながりもなくても地元の高校を応援したくなります。プロ野球やサッカーでも地元のチームを応援します。


しかし、五輪憲章にもあるように、名誉はあくまで選手のものです。五輪は愛国心教育や国威発揚のための手段ではなく、国ごとのメダルの数を比べてどっちが上、というのは、本来の五輪の在り方ではありません。五輪を見る時、私たちは、今一度クーベルタンの考えに立ち返ってみる必要があるのではないでしょうか。

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