前回、netgeekがデモを「暴走」と呼ぶなど、民主主義も言論の自由も全く理解していないことを紹介しました。


デモを「暴走」と呼んだnetgeekのSEALDs批判は、貧困者批判へと「暴走」していき、netgeekがそもそも政治の役割というものを根本から勘違いしていることを露呈します。


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・何かと口実をつけて人の足を引っ張るnetgeek


まず、netgeekは、「SEALDs残党がNHKの貧困JK報道に便乗して再びデモを決行している」と批判します。そもそも「貧困JK報道」に便乗しているのではなく、貧困JK報道に端を発した「貧困叩き」に抗議する形で行われたデモなのですが、そこからしてnetgeekは勘違いしていますね。

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このデモをnetgeekはこう批判します。

もはや仲間内で集まってデモをすることが楽しいだけなようにも思えてしまう。
何かと口実をつけて人の足を引っ張りたいだけではないか。

何を言っているんだこいつは?


安保法案の時にも、ネトウヨさんたちはデモについた「バカ騒ぎしたいだけ」などと中傷していたようですが、自分の時間を政権に抗議するために使うなんて、こんなつまらないことはありません。楽しみのためにデモをしているなんて、まあとんでもない偏見です。


そして、「何かと口実をつけて人の足を引っ張りたいだけではないか」とは、どの口が言うのでしょう!?


貧困叩きに抗議するデモが、いったい誰の足を引っ張っているのでしょう? むしろ事実は全く逆で、貧困女子高生を叩いていた連中こそ、何かと口実をつけて人の足を引っ張っているではありませんか。


netgeekを含む「貧困叩き」を行っている連中こそ、「『ワンピース』グッズを買っている」だの「映画に行っている」だの「1000円のランチを食べている」だの言って、貧困問題対策そのものにまで批判の矛先を向けて、貧困層や、それを改善しようという人たちの足を引っ張っているのに、どうしてそれに抗議するデモが、いったい誰の足を引っ張っているというのか、全く論理性のかけらも感じられない意味不明な批判です。


事実、netgeekは
「生活保護で暮らしている人にお金を支給するとすぐにパチンコに行ってしまう。
貧困JKについても同じことが言える。」

などと、生活保護で暮らしている人が皆そうであるかのような誹謗中傷をしています。netgeekこそ、何かと口実をつけて人の足を引っ張っています。恥知らずもいいところです。



・政治の役割を根本から理解していないnetgeek


そして、netgeekは「ほなみ」という人に批判の矛先を向けます。





これらの彼女の発言から、netgeekはこんなでたらめな批判を展開します。

SEALDsとほなみの主張によれば、お金に困っている人は、国つまり安倍政権を攻撃することが大事なのだという。自助努力によって問題を解決しようとするのではなく、強い他責性によって誰かのせいにする様は見ていて痛々しい。

バカの極みとさえ言いたくなる低レベルな批判です。


そもそも、政治というものは「富の再配分」がその役割です。税金を徴収し、その使い方を決め、富の偏在を解消することは政治の根幹部分と言っても過言ではありません。


netgeekは「自助努力」と言いますが、制度がなければ「自助努力」をしても、できないものはできません。


例えば北欧では税率が日本とは比較にならないほど非常に高い代わりに、その税金を国民に還元しているので大学までただで通うことができます。それならば、家庭が貧困であっても自助努力によって大学に通い、貧困から脱出することもできるかもしれません。しかし、大学に通うのに多額の借金が必要な国ならば、能力があっても大学に通って貧困から抜け出す、ということは難しくなります。


格差が激しい国もあれば、格差が小さい国もあります。果たして、格差が激しい国の貧困層は自助努力をしておらず、格差が小さい国の貧困層は自助努力によりそうなっているのでしょうか? netgeekの考え方だとそういうことになってしまいますが、答えは断じて否です。


日本の場合、学費等が他のOECD加盟国に比べて非常に高いですし、小泉政権以降非正規雇用が拡大して、それが格差拡大の大きな原因の一つとなっています。これらは政治によって解決可能なことであり、その意味で、現在日本に貧困が多い(格差が拡大している)のは国の責任だと言えます。


ところが、netgeekの主張によれば、国に対して格差問題の解消などを訴えることは、「国、つまり安倍政権を攻撃すること」なのだと言います。国は国民に尽くすものではなく、国民を支配するものだ、という考え方がにじみ出ています。


前回の記事でも述べましたが、デモは国に対する「攻撃」ではなく、民主主義国家の国民に当然の権利として認められた、国に対する要求を表現する手段です。それを「暴走」であり国に対する「攻撃」であると考えるnetgeekは、民主主義国家の主権者という意識が完全に欠如しています。権力側にとっては、こういう国民って本当にうれしい存在でしょうね。


netgeekのこの記事は30行程度しかない短い記事なのですが、言っていることが最初から最後まで一貫してでたらめで、民主主義や言論の自由も理解せず、政治の役割も理解せず、自分が貧困を解消しようとする人の足を引っ張りながら、逆に貧困問題を訴える人たちを「人の足を引っ張っている」と的外れな中傷をするなど、驚くほど稚拙で幼稚で知性のかけらも感じられない記事になっています。

・政治家は「偉い人」でも「お上」でもない


日本では政治家を「偉い人」とか「お上」とか表現することがあるように、江戸時代以前からの名残なのか、いまだに「政治は偉い人が行うもの」であって、政治家が国民の上に立っているかのような意識が根強く残っているように思います。このnetgeekのようなものを見ると、むしろ国民の主権者としての意識や民主主義に対する理解度は、近年むしろ後退しているのではないかとさえ思えてきます。政治家は「偉い」わけでも「お上」でもありません。何を以って「偉い」と表現するかという問題はありますが、政治において主権者を「偉い」とするなら、最も「偉い」のは国民です。


まともな民主主義感覚さえ持っていれば、国会前デモを「暴走」と呼んだり、貧困対策を求めるデモを「攻撃」と呼ぶようなことはありえないでしょう。私たちは、今一度、政治家が国民の上に立っているのではなく、国民が政治家を税金で雇って政治を代行させているのだという、民主主義の根幹を認識しなおす必要があるのではないでしょうか。


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