ざっくり言うと
・依怙贔屓や公私混同など、「違法じゃなくても不適切」なことはいくらでもある
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・「違法でないから問題ない」というモリカケ擁護派


会計検査院が「極めて異例」と断じ、ゴミ撤去費用はもともとわずか8000万円だったとか佐川宣寿元理財局長らの国会答弁が虚偽であったことが明白になるとか、まだまだ新たな事実が判明し、終わる様子の見えない森友・加計問題(モリカケ問題)。何かおかしな形での意思決定が行われたことに疑いを挟む余地はないと思うのですが、それでもモリカケ問題を擁護し、さらには「捏造だ」なんて言う人たちの思考回路は、私には全く理解できません。

↑モリカケ問題を「そもそもの捏造」と言う石平太郎氏。会計検査院も「極めて異例」「根拠不十分」と言っているのに、一体これのどこをどうやれば「捏造」になるのだろうか?


そして、彼らモリカケ擁護派が必ず言うのは、「違法じゃないから問題ない」ということです。

なかには、「正当性とかどうでもいい」と言ってるやつまでいますね。自分たちの税金の使われ方の問題なのに、「正当性とかどうでもいい」と言えるって、どういう神経しているんでしょう? 私には全く理解できません。


実際には、モリカケ問題は違法性の指摘もあり、だからこそ大阪地検等も動いているわけです。

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しかし、仮にこれらが違法でなかったとしても、「違法でないから問題ない」とはならないのは、まともな頭があれば小学生でもわかることです。


・「違法でないけど不適切」で辞任に追い込まれた舛添要一


「違法でない」ですぐに思い浮かぶのは、舛添要一元東京都知事です。彼は、公費で家族旅行をしたり、私的な本を買ったりして、その公私混同ぶりが問題になりましたが、それらは法的には「違法」ということができないものでした。しかし、それでも彼は東京都知事辞任に至りました。違法でなければ問題ない、とはならないという典型的な例だったと言えるでしょう。


モリカケ問題を「違法でないから問題ない」と言っている連中は、ぜひとも舛添要一元東京都知事の政治資金の不適切な使用も擁護し、舛添氏を辞任に追い込んだ人たちに、「違法じゃないから問題ない! 不法行為を働いてない舛添さんを糾弾するなんて、法治国家としてあるまじき行為だ!」と怒って回っていただきたいです。

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(↑ビジネスジャーナルより)


・「不平等」は違法ではないが、あるまじきこと


上で紹介したツイートでは、
「仮に総理の意向を忖度していたとしてそれの何がいけないのか、国内法のどの辺に違反するのか詳しく」とか
「違法であれば行政が歪められた可能性が出てきますが、違法でなければ何の問題もないのでは?」とか
恥ずかしげもなく言う人がいますが、もちろん舛添氏の例のように、違法でなかろうと不適切なことはいくらでもあるのです。その一つが「不平等」です。


学校で想像してみましょう。先生がある特定の生徒だけ依怙贔屓したらどうでしょうか。自分のお気に入りの生徒とか、校長の孫とか、特定の生徒だけいい成績をつけてあげたり、掃除当番を免除してあげたりしたらどうでしょうか。先生のお気に入りの子は大学への推薦がもらえたのに、他の子はもっといい成績なのに推薦がもらえなかった、なんてことがあったらどうでしょうか。逆に、一部の子供にだけつらく当たったらどうでしょう。


もちろん、ここに違法性は一切ありません。しかし、生徒全員に平等であるべき先生が、一部の子供だけを依怙贔屓したら、まともな神経を持ち合わせている人なら、不適切だと考えるでしょう。


他にも、裏口入学を考えてみましょう。恐らく、まともな神経を持っていれば、ほとんどの人は裏口入学は悪いことだと思っているでしょう。しかし、私立学校の場合、採用基準は学校の裁量にゆだねられているので、裏口入学は違法になりません。国公立の学校だと、金銭授受があれば贈収賄に当たりますが、金銭授受なしに、お友達の子供をコネで入学させてあげた、なんて場合には、贈収賄罪も成立しません。


全て公務員は、一部の奉仕者ではなく、全体の奉仕者
です。また、国民は法の下に平等です。もし、一部の人間が、正当な理由なく優遇されたとなれば、刑法として違法には当たらなくても、当然そのような不平等が適正であるわけがありません。


「違法じゃないから問題ない」と言っている連中は、ぜひとも学校の先生の依怙贔屓や、裏口入学も、積極的に「違法じゃないから問題ない!」と擁護して回ってほしいです。そして、自分の子供が先生にいじめられても、その子に「違法じゃないから問題じゃないんだよ」と諭してあげてほしいです。



・「恥の文化」を忘れた保守派は何を保守しているのか


日本は恥の文化と言われてきました。たとえ違法でなかろうと、恥ずべきことはしないのが日本の美徳とされてきたはずです。


ところが、「違法じゃなければいい」「忖度していたとしてそれの何がいけないのか」という人たちの発言を見ていると、「恥の文化」という美徳を捨てているようにしか思えません。


モリカケ擁護派のほとんどは自称または他称で「保守派」と呼ばれるような人たちだと思いますが、「恥の文化」という日本の美徳も捨てた彼らは、一体何を「保守」しているのでしょうか。


モリカケ問題はまだまだ終わらないし、終わらせてはならないと思いますが、「違法じゃないから問題ない」で、この問題を終わらせてはいけないことは、はっきりさせておかなければならないと思います。違法でなくても不平等なら問題あり!


となると、次は当然「不平等であること証明しろ」となるでしょう。そして、「与党に『不平等でないことを証明しろ』というのは悪魔の証明だ」という反論が来ることでしょう。それは次回、「モリカケ問題は悪魔の証明ではない」に続きます。

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