ざっくり言うと
  • 「推定無罪」は、無力な被告人を権力の横暴から守るための原則であり、権力者側に適用される原則ではない。
  • 権力側である政権は、自分たちの行動が正当であることを示す責任がある。
  • 証拠を示す責任の所在は、「追及する側」か「追及される側」かで決まるのではなく、「権力を預かる側」にある
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森友・加計問題で、いまだに「追及するほうが証拠を出せ」「推定無罪だ」「悪魔の証明だ」と言って安倍政権擁護&追及する側の非難をする人が後を絶ちません。このブログにも、そういう主張をする人がよく来ます。


しかし、推定無罪は、無力な被告を権力の横暴から守るための原則であり、権力者側に適用される原則ではないのです。


権力を持っている側は、その権力を乱用していない、正しく使っているということを示す責任があります。もしも権力者に推定無罪を適用したら、正当性を一切示さなくても、不正の証拠さえ残さなければなんでもやりたい放題です。


権力者にとって、正当性の証拠を残すことは一苦労ですが、不正の証拠を残さないことなど造作もありません。記録をそもそも残さなかったり、残していても廃棄したりすればよいのですから。推定無罪は「証拠をもみ消せば何をやってもいい」という意味ではありません。権力者に推定無罪を適用しては、不正天国になってしまいます。


このことは以前も記事にしたのですが、いまだにモリカケについて、安倍政権に「推定無罪」を適用して擁護しようとする人が絶えないので、より多くの人に見てもらうために漫画にしてみました。内容を変えたり手を加えたりしない限り、ツイッターなどで自由に使ってもらって構いません。


(※しかし、安倍政権に「推定無罪」を適用しようとする人ほど、何の根拠もなく愛媛文書なんかを「捏造だ」って言って有罪にしたがるんだよな…。謎だ…)

風刺2-1

風刺2-2

風刺2-3

風刺2-4

繰り返し言いますが、推定無罪は、権力者の横暴から、無力な被告人を守るための原則です。


なので、刑事裁判においては、権力を持つ検察・警察側が、「有罪の証拠」を出さない限り推定無罪です。


行政プロセスにおいても、権力者側が、自分たちの権力行使が正当な行為であることを示す責任があります。権力を持たない側に「証拠を示せ」というのは間違いです。


証拠を示す責任の所在は、疑惑を「追及する側」か「追及される側」かで決まるのではありません。


証拠を示す責任は、「権力(もしくは金)を預かる側」にあると覚えておきましょう。

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