<ざっくり言うと>
  • 「韓国併合は韓国側が望んだこと」という主張は事実ではない。。
  • この主張は、1909年12月に、一進会という政治結社が「日韓合邦を要求する声明書」というものを出したという一点しか根拠がない。
  • 一進会は政府組織でもなければ、韓国民の意志を代表する組織でもない、一政治結社である。(公称会員数100万だが、4000名ほどに過ぎないという説もある)
  • 一進会の要求は、既に保護国化され主権をほぼ失っていた状況を脱し、「日本と対等な権利を持つ合邦を望む」というものであり、連邦制のようなものを望んでいた。日本に吸収される併合を求めたものではない。
  • 一進会の声明書より前の1909年7月に、日本政府は日韓併合の方針を閣議決定している。
  • 日本は併合以前に、3次にわたる日韓協約で、韓国の外交権、司法権、人事権、軍事権を既に掌握していた。一進会の声明書は、「保護劣等に置かれている羞恥を解脱し、同等政治の権利を獲得すべき法律上の政合邦を求む」というものであった。
  • ハーグ密使事件を始めとする抵抗運動が起きていた。
  • 一進会の声明書を「韓国の意志」や「韓国民の意志」と呼ぶことは出来ないし、既に独立を保てない状況で「保護劣等ではなく対等な合邦を望む」とした一進会の声明書を根拠に「併合は韓国が望んだこと」と言うことはできない。

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目次

日韓併合は韓国側が望んで、日本は仕方なく善意で併合した?


このデマは、ネット上の歴史修正系の嫌韓デマの中でもかなり大きなものではないかと思います。


ネット上では、「日韓併合は韓国側からの要請で、日本はそれに応えただけだ」という言説が広く出回っています。このブログにも、これまで何度か同じ主張のコメントがきました(参照)。

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>>自分たちから併合を望んで
>>都合が悪くなったら支配されて
>>無理やり暴力を振るわれたと
>>被害者打ってるのが朝鮮人
[ママ]

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>>日本人は堂々と
>>植民地にしてくれとお願いされたから
>>仕方なくしてやった
>>言ってやればいい
>>植民地でなく、統治!
>>それも李氏朝鮮側からの要望です!



「仕方なく併合してやった」と言ってる人までいますね。「本当は併合なんて面倒だからしたくなかったけれど、頼まれたから善意でやってやったんだ」という主張なのでしょう。


いつどこからこの主張が出てきたかわかりませんが、この主張が広く知られるようになったきっかけは、おそらく『マンガ嫌韓流』でないかと思います。(何年か前に古本屋で買った)

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(山野車輪『マンガ嫌韓流』晋遊舎刊、210ページ)

「韓国最大の政治組織である一進会が併合を主張した」と述べられています。おそらく「韓国からの要請で併合した」という主張は、この一進会のことを指しているのでしょう。『嫌韓流』でも、ネットでも、一進会以外にこの主張の裏付けが見つかりません。


産経新聞でも、一進会を根拠に、「韓国併合は韓国が望んだこと」「韓国よ目を覚ませ」という主張が展開されています。(『マンガ嫌韓流』と主張レベルが変わらない当たり、さすが産経である)

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産経新聞2017年12月20日

どうやら、「韓国側の要求」という主張は、この一進会の声明書という一点のみを根拠にしているようです。


はたして「一進会が併合を望んだ」「韓国人自身が併合を望んだ」というのは事実なのでしょうか?



一進会は政府組織でもなく、望んだのは併合ではなく合邦だった


結論から言うと、「一進会が併合を望んだ」というのは、全くの事実無根ではありませんが、事実が捻じ曲げられたデマです。


そもそも、「一進会」とは何なのでしょうか? Wikipediaにも載っていますが、これは政府組織ではなく、政治結社です。(『マンガ嫌韓流』では「政治組織」と書いてあるために、実際に政治的な権力を有していると勘違いする人もいるかと思いますが、実際には政治権力はない結社。)


政府組織であるのならば、その行動は「韓国側の意志」と言うことができるでしょうが、一政治結社の要望を「韓国という国家の意志」もしくは「韓国民の意志」とみなすことはできないでしょう。今、仮に日本のどこかの政治結社が「北海道をロシア領として明け渡す声明書」とか出したところで、日本という国家の意志でもなければ、日本国民の意志でもないでしょう?


その一進会が、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」というのを出したのは事実です。ですが、一進会が望んだのは、日本に韓国が吸収される「併合」ではなく、日本と韓国が一つの国となる「合邦」です。内容はこのサイトが詳しく解説していますが、一進会は、韓国の皇室(李朝)が「万世に尊栄ならんことを懐ふ」と述べているので、一進会の望んでいた合邦とは、連邦制のようなものだったのでしょう。(当時の韓国統監曾禰荒助も同様の解釈をしている)


一進会は韓国政府や韓国民の意思を代表する組織でもないし、一進会が望んだ形の合邦ではなく日本に吸収される併合になったので、「韓国併合は韓国側も望んだこと。証拠は一進会」というのは間違った認識です。



一進会の声明書以前に併合が閣議決定されている


たとえ一進会の求めたものとは違う形であったとしても、一進会がただの政治結社であっても、一進会の声明書を理由に、「韓国側が望んだことだ!」と主張する人もいるかもしれません。(かなり無理があるが)


しかし、一進会がこの声明書を出したのは1909年12月4日です。その数か月前、1909年7月6日に「半島における我が実力を確立するため最も確実なる方法」として、韓国を併合、これを帝国版図の一部となす」方針が閣議決定されています(参照)。


つまり、一進会が「韓日合邦を要求する声明書」を出す以前に、韓国を併合することは決まっていたわけです。これで一進会を理由に、「併合は韓国側が望んだこと」なんて主張は明らかに無理があります。


当然『マンガ嫌韓流』では、この閣議決定のことは一言も触れられていません。いやー、ズルいズルい。閣議決定のことを知らないで書いたんなら「そんな知識で偉そうに本を書くな」と思うし、知ってて黙ってたんなら卑怯すぎる。



一進会以前の歴史を無視する『マンガ嫌韓流』


ちょっと『マンガ嫌韓流』を読みなおしてみて驚いたのが、日本が韓国を保護国化していく経緯が殆ど描かれていないことです。ちょっとこれはかなり卑怯じゃないかと驚いたのですが、続編の『2』や『3』では触れられているのでしょうか? ご存知の方、お教えください。


日韓併合に至る大まかな歴史は、中学校や高校の歴史の授業で寝ていなかった人なら知っているでしょうが、日本はいきなり韓国を併合したのではなく、コツコツと時間をかけて韓国の主権を削いでいっています。


最初が1875年の江華島事件なのは皆さんご存知だと思いますが、この武力衝突をきっかけに、日本は朝鮮に日朝修好条規を結ばせます。これは、西洋列強が日本に押し付けたのと同じ、不平等条約でした。西洋に学ぼうとした明治日本は、こんなやりかたまで学んでしまったわけですね。


その後、日清戦争、日露戦争で、清とロシアの朝鮮に対する影響力を削いでいくわけですが、日露戦争中の1904年8月に第一次日韓協約で韓国政府に日本人の財政・外交顧問をおくことを認めさせ、1905年11月の第二次日韓協約で韓国外交権を掌握して保護国とし、1907年7月に第三次日韓協約協約を締結し、司法権、官吏任免権を掌握し、さらに韓国軍隊の解散を決めています(参照)。


つまり、一進会が「韓日合邦を要求する声明書」を出した時点で、朝鮮は日本に外交権、司法権、軍事権も何もかも既に抑えられていた状況なのです。もう実質的に、韓国はこの時点で独立国とは言えない状況なわけです。


さらに、声明書には「我韓の保護劣等に在るの羞恥を解脱し、同等政治の権利を獲得すべき法律上の政合邦と謂ふべき一問題是れなり」参照)とあります。つまり、日本に主権を取られ、自主決定が何もできない現在の「保護劣等」から、同等な政治権利を持てる「合邦」にしてくれ、と要望しているわけです。


このほぼ主権を失い、独立を保つことが不可能な状況で、さらに日韓併合が閣議決定されている状況、そして「保護劣等に在るの羞恥を解脱」「同等政治の権利」という要望を踏まえれば、「韓日合邦を望む声明書」は、『マンガ嫌韓流』が主張するような「日本との連帯によって文明開化を成し遂げようと考えた」「日本の力で朝鮮での維新を目指した」というようなものではなく、「現状の保護国や、対等な権利が与えられない併合ではなく、日韓の対等な合邦を望む」という要望書だと考える方が妥当でしょう。


また、前述のとおり、一進会の要望書では韓国の皇室が「万世に尊栄ならんことを懐ふ」となっているので、一進会が要望していたものは連邦制のようなものであったと考えられます。つまり、一進会の要望は、「独立国→併合」ではなく、「保護国→連邦制」という地位向上だったわけです。


独立が不可能な状況で、「併合ではなく合邦を望む」として出されたものを、「日韓併合は韓国が望んだ」と解釈するのは、ご都合主義が過ぎまし、一進会はそのような要望は出していません。



抵抗運動を無視する『マンガ嫌韓流』


さらに、『マンガ嫌韓流』では、韓国の抵抗運動として安重根しか言及しておらず、なおかつ安重根を「併合慎重派だった伊藤博文を暗殺したことで日韓併合を速めてしまった愚かなテロリスト」と評価しています。


安重根の評価の妥当性はともかく、他の抵抗運動には一切言及しないことで、あたかも韓国民は日韓併合を望んでいて、安重根だけがエキセントリックなテロリストであったかのような印象を与えていますが、それも事実と異なります。


抵抗運動でもっとも有名なのが、教科書にも載っているハーグ密使事件ですね。大韓帝国皇帝だった高宗が、ハーグでの万国平和会議に3人の密使を送り、第二次日韓協約で奪われていた外交権を取り戻そうとした事件です。


欧米各国はアジア諸国を植民地化しておりましたので、韓国の主張を認めることは、自分たちの植民地支配が不当であると認めることになってしまうので、当然韓国の主張を無視しましたが、当時の韓国政府は外交権を取り戻そうとしていたわけで、これで「日韓併合は韓国側が望んだ」なんて言うことはいくら何でも無理があるでしょう。


また、平凡社の百科事典マイペディアによれば、「韓国側も激しく抵抗運動を繰り広げ,愛国啓蒙運動や1907年第3次日韓協約がもたらした韓国軍隊の解散に反対した兵士による義兵闘争を展開,5年間日本軍隊と交戦すること2850回に及んだ」とのこと。これだけ抵抗があったのに、それを無視して「韓国側も併合を望んだ」と言うのは卑怯でしょう。



・時系列さえ調べない、脳みそ空っぽの産経新聞と松木國俊


安重根の話が出たので、ついでに補足しておきますが、冒頭でも紹介した産経新聞の記事には、このように書かれています。

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>>かつて李朝に反旗を翻した東学党の流れをくむ人々が「一進会」を結成し、日本との合邦運動に立ちあがった。代表の李容九(イ・ヨング)は一進会100万人会員の名義で、全国民に訴える「合邦声明書」を発表した。続いて、韓国皇帝に対する上層文、曾禰荒助統監、李完用首相へ「日韓合邦」の嘆願書を出している

>>これに対し、初代統監だった伊藤博文は大反対した。彼の願いは韓国が近代化を遂げ、やがて日本とともに東亜(=東アジア)に並び立つことにあった。 


>>ところが、その伊藤を、安重根(アン・ジュングン)という人物がハルビン駅頭で暗殺してしまった。


本っっっっ当に産経新聞ってのは馬鹿ですね。日本のバカの巣窟と言ってもいいぐらい頭が悪い気がします。時系列のチェックもできんのか。


一進会が実際に100万人も会員がいたか非常に疑わしいですが(実際には4000人ほどという説もある)、産経によると、一進会の「合邦声明書」に、伊藤博文が大反対したとあります。


しかし、伊藤博文の暗殺は1909年10月26日。一進会の合邦声明書が出されたのはは1909年12月4日


既に死んでる伊藤博文が、どうやって一進会の合邦声明書に大反対するんだ!


時系列的にあり得ないわけですから、「伊藤博文が大反対した」というのは妄想以外の何物でもありません。この記事を書いたのは産経新聞の記者ではなく、松木國俊という奴なのですが、こいつが文献に基づかず、自分に都合のいいように妄想で論理展開しているってことがバレちゃいましたね(笑)。


ちなみにこいつ、『新しい歴史教科書をつくる会』のメンバーだったんですよ。『新しい歴史教科書を作る会』は、この程度の時系列チェックさえできないバカが執筆していた本だということですね。そして、これを載せた産経新聞も、この程度の時系列チェックさえできない無能ということですね。


1909年7月に韓国併合方針は閣議決定されており、伊藤がそれに反対したという記録はありません。


当然、この産経新聞の記事は、併合方針決定の閣議決定には一言も言及していません。また、江華島事件以降、日本が日韓協約等で韓国の主権をほとんど奪ってしまっていたことには全く言及なし。それでいきなり「朝鮮人自身の手で近代化は不可能だったから、一進会が合邦を要望した」と書かれているために、「無能な朝鮮人が、進んだ日本の一部になることを望んだ」としか読めないようになっている。いやー、卑怯にもほどがある。


松木は「併合は韓国最大の政治団体一進会が望んだこと」→「日本人・伊藤博文は大反対だった」→「その伊藤博文を殺したのは安重根。全ては韓国の自業自得」という展開にもっていっているわけなのですが、書いてあることのほとんどが嘘。すげえよ、産経。


なお、この松木国俊というやつ、朝鮮問題研究家で朝鮮近現代史研究所所長を名乗っていますが、「朝鮮近現代史研究所」で検索しても、松木しか出てこない…。自分が一人でやってる研究所ちゃうか? 教育勅語を改竄した「現代語訳」を作った「国民道徳協会」も、実は佐々木盛雄という自民党員が一人でやってたものですし、自分の意見をあたかも研究所の発表かのように見せて箔をつけようというのが小狡い…。『平成よっぱらい研究所』じゃあるまいし…。


こいつ、検索してみると、『月刊Hanada』なんかでも書いているネトウヨ作家の一人のようですね。産経もよくもまあこんなバカにこんなバカな記事を書かせて、自分たちで時系列のチェックさえしないでそのまま載せるなあ…。これでよく新聞社を名乗れるものです。一体どういう入社試験と社内教育をすれば、社員をこんなバカに育てることができるのか実に謎です。


この記事、偉そうに「韓国よ目を覚ませ」なんてタイトルがついていますが、目を覚ますのはお前だ、産経新聞&松木国俊。

結論:「韓国併合は韓国側が(or 韓国側も)望んだ」はデマ


以上をまとめますと、以下のような感じです。

  • 「韓国併合は韓国側が望んだ」という根拠は一進会のみ。
  • 一進会は政治結社であり、韓国政府でもなければ韓国民を代表する組織でもない。
  • 一進会が要望は「保護劣等の羞恥を解脱して、対等な政治権力を持てる合邦を望む」というものであって、連邦制のようなものを想定していた。日本に併合されることを望んだのではない。
  • ハーグ密使事件を始めとする抵抗運動があり、韓国は日本に併合されることに抗っていた。
  • 一進会の要望の時点では、日本は韓国を保護国化し、司法権も外交権も軍事権も人事権も掌握して、既に韓国が独立を保つ道は絶たれていた。
  • 一進会の要望の約半年前に既に日本は韓国を併合する方針を閣議決定しており、一進会の声明を受けて韓国を併合することを決めたのではない。

一進会を韓国の意志ということは出来ないし、一進会を韓国の意志としたとしても、「日韓併合は韓国が望んだ」(もしくは「韓国も望んだ」)と言うことはできません。

補足:この記事を読んで「反日だ!」と言ってくる人へ


どーせ、こういう記事を書くと、「反日だ!」とか「在日だ!」とか言ってくる人が沸いてくるのが目に見えているんで、あらかじめ言っておきますが、「韓国併合は韓国側が望んだことだ」というのは、単純に歴史事実に反する間違いなのです。間違いを訂正することが反日になるわけなかろう。「イギリスはインドを植民地支配した」って言ったら反イギリスになるんかね?


別に私はこれを理由に「日本は韓国に謝罪しろ」とか「補償しろ」とか言うつもりは全くありません。私は、日韓基本条約で基本的には解決したし、その後も日本政府は謝罪と反省の弁を述べ続け、慰安婦についても、アジア女性基金で償い金と総理大臣の名前入りのお詫びの手紙も出しているので、日本はやることはやったと思っています。


「併合は韓国側が望んだこと」なんて言説が出てきたのは、韓国が日本への謝罪要求に対し、「韓国側が望んだことなのだから、謝罪の必要なし!」と言い返さんがためなのでしょうが、謝罪要求に対しては、これまでの歴代総理の謝罪やアジア女性基金などを示して「ちゃんとやってきた」と反論すればよいのであって、歴史修正主義で反論すべきではありません。


(しかし、こうやって「日本はもう謝罪も補償も十分やった」などと発言すると、今度は左の人からネトウヨ扱いされることがあるんだよな。困ったもんである)


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