<ざっくり言うと>
  • ネット上では、教育勅語のいわゆる「12の徳目」を抜き出し、「いいことを言っている」「教育勅語の何が悪い」などと言う連中が後を絶たないが、その連中がもとにしてるのは、原文ではなく、佐々木盛雄という元自民党員が作った、内容が大幅に改竄された偽訳である。ネット上で、「12の徳目」を根拠に教育勅語を称賛している連中は、まず間違いなく原文を読んでいない。
  • 1940年に文科省が作った公式の現代語訳が存在するので、原文を理解できない人は、佐々木盛雄の偽訳ではなく、そちらを用いるべき。
  • 佐々木盛雄の偽訳では、12の徳目の12番目は「国のために真心を尽くしましょう」となっており、ネット上でもそれをもとに教育勅語擁護が行われているが、文科省訳では「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」である。「真心」など、原文のどこにも書かれていない、佐々木盛雄の創作である。
  • 12の徳目も、そのすべては忠と孝を身に着け、「神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉」る(永遠に続く皇室の繁栄をお助けする)ためのものである。
  • 教育勅語は、その「根本理念」が「主権在君並びに神話的國体観に基いている」ため、戦後教育から排除されたのは当然のことである。
  • 「12の徳目」のうち11個は、「親孝行しろ」「兄弟仲良くしろ」「法律を守れ」などの当たり前のことであるが、それらを教えるには「親孝行しましょう」「兄弟仲良くしましょう」「法律を守りましょう」と普通に教えればいいだけであり、70年以上前に排除された教育勅語を用いる必要性などどこにもない。


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・原文も読まずに教育勅語を称賛する奴ら

私ははすみとしこを人類史に残るレベルの最低に下劣な存在だと思っていますが、そのはすみが、こんなことを言っていました。

いまだにこういうことを言う奴が後を絶えませんが、すでにこのブログでは教育勅語を数回取り上げ、どこが問題なのかを指摘しています。↓

なぜ教育勅語を学校で教えてはいけないのかわかるページ

明治政府公式英訳で読み解く教育勅語

しかし、ネット上にはこんな画像で教育勅語を称賛する奴がゴロゴロいます。所謂「12の徳目」というやつですね。これを根拠に「教育勅語はいいこと言うてる」とか言ってるわけです。
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また、上念司など、「逆教育勅語」などと言って教育勅語を擁護する信じがたいバカもいます。

このハート出版とか言うところから出ている『逆教育勅語』とは、このようなものだそうです。「教育勅語を逆にするとこんな酷いものになる。だから元の教育勅語は素晴らしいんだ」という理屈です。


どこまで馬鹿で卑怯なんだお前ら!!


この手の連中は、まず間違いなく教育勅語の原文を読んでいません。この連中の主張は、どれも「国民道徳協会訳」というものに基づいています。


以前の記事でも紹介していますが、明治神宮HPなどに載っている教育勅語の現代語訳は、「国民道徳協会」訳となっていて、あたかもちゃんとした訳かのようなフリをしていますが、実際には国民道徳協会とは佐々木盛雄という元自民党員が一人でやっていたものです。そして、その訳の内容は、原文とは似ても似つかないほど改竄されています。


産経新聞の阿比留瑠偉という記者 バカは、恥ずかしげもなく、原文ではなく佐々木盛雄の訳のみを読んで「教育勅語はいいことが書いてある。何が問題かわからない」などと言っていました。いくら産経新聞、いくら阿比留瑠偉とはいえ、新聞記者が原文を読まないのですから、はすみとしこみたいなのに群がるネットユーザーなど推して知るべしです。

・文部省公式現代語訳に「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」と書いてある


前述の通り、ハート出版が出している倉山満というバカの「逆教育勅語」も含め、この手の連中が出してくる「12の徳目」は、明らかにどれも佐々木盛雄の改竄された訳をもとにしています


佐々木盛雄の訳が原文からどれぐらいかけ離れているかは、詳しくはこちらの記事を読んでほしいですが、佐々木盛雄の偽訳をもとにしたものがこんなに広がっている状況はいかんと思うので、以前明治政府の公式の英訳を紹介したのですが、もう一つ、信頼に足る訳を紹介しましょう。文部省による現代語訳です。実は1940年に、文部省は現代語訳を作っているのです。これは佐々木盛雄なんかとは違う、公式のものですので、はるかに信頼に足るわけです。そのまま紹介しましょう。
【教育勅語】

朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

明治23年10月30日

明治天皇自署、御璽捺印
第2段落に所謂「12の徳目」が並んでいます。親孝行とか兄弟仲良くしろとかは別にいいんですが、問題は最後の12番目です。佐々木盛雄の訳も、倉山満とかいうバカの「逆教育勅語」も、「12の徳目」の最後に「国のために真心を尽くせ」なんて書いていますが、教育勅語にはそんなこと全く書いてありませんどこから「真心」なんて言葉出てきた!?


本当に書いてあるのは、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせです。「危急の大事」は、例えば戦争ですね。「戦争になったら勇気を奮って、皇室国家にその身を捧げろ」と言っているわけですから、これが教育勅語が特攻などの無謀な玉砕に繋がったと非難される所以です「天皇陛下万歳!」と言って玉砕するなど、まさに教育勅語の理念をそのまんま実行したわけなんですよ。


この「皇室国家にその身を捧げろ」「国のために真心を尽くせ」と改竄するなど、佐々木盛雄にしろ、それをもとにした倉山満にしろ、本当に卑怯と嘘つきにもほどがある。


そして、教育勅語は、「12の徳目」をもって、「神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ」と言っているのです。「神勅のまにまに」は「神の命ずるまま」。「宝祚」は皇位のこと。つまり、「永遠に続く皇室の繁栄をお助けしろ」と言っているのです。


教育勅語の「12の徳目」とは、己の人格を磨くためのものではなく、「忠」と「孝」を身につけ、永遠に続く皇室の繁栄を助けるためのものなのです。


そもそも、冒頭に「我が御祖先の方々が国をお肇めになった」とあるように、教育勅語は皇国史観に基づいたものであり、国民を天皇の「臣民」(家臣としての国民)としているのです。この時点で現代的観点からはアウトです。


教育勅語を一言で要約するならこうなります。


「皇室の繁栄をお助けできる、忠良な臣民となりなさい」


「12の徳目」も、良き人間を育てることが目的ではありません。「忠良な臣民」を育てることが目的なのです。全ては皇室繁栄のためであり、日本国民は身を捧げて皇室国家に仕え、皇室の繁栄をお助けしなさい、というのが教育勅語の内容です。12の徳目も、皇室の繁栄のためのものにすぎません。

「親孝行しましょう。皇室繁栄のために。」
「兄弟仲良くしましょう。皇室繁栄のために。」
「夫婦は仲良くしましょう。皇室繁栄のために。」
「法律を守りましょう。皇室繁栄のために。」
「何かあったときには、皇室国家にその身を捧げましょう。皇室繁栄のために。」

これが教育勅語の内容なんです。国民のすべては、皇室の繁栄のためである、というのが教育勅語の理念です。


だからこそ、戦後、教育勅語は根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる」として、衆参両院で排除と失効が確認されたのです。


文部省の公式の現代語訳を見ても分かる通り、教育勅語は、その根本理念が、主権在君と神話的国体観に基づいており、さらに「一身をささげて皇室国家のために尽くせ」とあるわけですから、戦後廃止されるのは当然のことです。「教育勅語はいいことを言っている」などと言う連中は、このあたりの事実を完全に無視、もしくは意図的に隠蔽しています。


教育勅語は、せいぜい親孝行など「いいこと『も』書いてある」が関の山であり、その「根本的理念」は主権在君と神話的国体観であり、「臣民はその身を皇室国家に捧げ、永遠に続く皇室の繁栄をお助けしろ」と教えることが、教育勅語の意義なのです。戦後の教育から排除されるのは当たり前のことです。

・当たり前の道徳を教えるの教育勅語に頼る必要なし


教育勅語の「12の徳目」のうち、11項目は、「親孝行」とか「兄弟仲良く」とか「法律を守れ」とか、確かに別におかしなことは言っていません。


しかし、そんなことを教えるために教育勅語が必要ですか? そんなの、別に教育勅語がなくたっていくらでも教えられるでしょう。親孝行しましょうとか、兄弟仲良くしましょうとか、法律を守りましょうとか、そんなことを教えるのに、どうして教育勅語なんて引っ張ってこないといけないわけですか? 普通に「親孝行しましょう」「兄弟仲良くしましょう」「法律を守りましょう」って教えりゃいいじゃん。


にもかかわらず、わざわざ教育勅語を持ち出してくるのは、やはりその「根本理念」、すなわち「主権在君」や「神話的国体観」を復活させ、「何かあったなら、その身を国家に捧げろ」という教育を施したいからなのでしょう。


何度でも言いますが、ネットで教育勅語の「12の徳目」だけを抜き出して「いいこと言ってる」なんて言っている奴は、まず間違いなく原文を読んでいないただのバカです。そういう連中には、文部省の公式の現代語訳を見せてやってください。そして、12番目の徳目が「国のために真心を尽くせ」ではなく、「皇室国家にその身を捧げろ」であり、12の徳目全てが「永遠に続く皇室の繁栄をお助けするため」のものであるという事実を教えてやってください。


(まあ、ほとんどの連中は、文部省の公式現代語訳を見ても、そっちに難癖をつけて、原文を読むこともなく、自分に都合のいい佐々木盛雄の偽訳にしがみつくでしょうが、そういう連中についてはもうあきらめるしかないと思います)

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