<ざっくり言うと>
- ネット上では、教育勅語のいわゆる「12の徳目」を抜き出し、「いいことを言っている」「教育勅語の何が悪い」などと言う連中が後を絶たないが、その連中がもとにしてるのは、原文ではなく、佐々木盛雄という元自民党員が作った、内容が大幅に改竄された偽訳である。ネット上で、「12の徳目」を根拠に教育勅語を称賛している連中は、まず間違いなく原文を読んでいない。
- 1940年に文科省が作った公式の現代語訳が存在するので、原文を理解できない人は、佐々木盛雄の偽訳ではなく、そちらを用いるべき。
- 佐々木盛雄の偽訳では、12の徳目の12番目は「国のために真心を尽くしましょう」となっており、ネット上でもそれをもとに教育勅語擁護が行われているが、文科省訳では「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」である。「真心」など、原文のどこにも書かれていない、佐々木盛雄の創作である。
- 12の徳目も、そのすべては忠と孝を身に着け、「神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉」る(永遠に続く皇室の繁栄をお助けする)ためのものである。
- 教育勅語は、その「根本理念」が「主権在君並びに神話的國体観に基いている」ため、戦後教育から排除されたのは当然のことである。
- 「12の徳目」のうち11個は、「親孝行しろ」「兄弟仲良くしろ」「法律を守れ」などの当たり前のことであるが、それらを教えるには「親孝行しましょう」「兄弟仲良くしましょう」「法律を守りましょう」と普通に教えればいいだけであり、70年以上前に排除された教育勅語を用いる必要性などどこにもない。
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・原文も読まずに教育勅語を称賛する奴ら
私ははすみとしこを人類史に残るレベルの最低に下劣な存在だと思っていますが、そのはすみが、こんなことを言っていました。一番良いのは、教育勅語を学校の朝の会でみんなで音読する事だね。 https://t.co/0sbS402tWs
— はすみ としこ (@hasumi29430098) 2019年3月14日
いまだにこういうことを言う奴が後を絶えませんが、すでにこのブログでは教育勅語を数回取り上げ、どこが問題なのかを指摘しています。↓
・なぜ教育勅語を学校で教えてはいけないのかわかるページ
・明治政府公式英訳で読み解く教育勅語
しかし、ネット上にはこんな画像で教育勅語を称賛する奴がゴロゴロいます。所謂「12の徳目」というやつですね。これを根拠に「教育勅語はいいこと言うてる」とか言ってるわけです。

また、上念司など、「逆教育勅語」などと言って教育勅語を擁護する信じがたいバカもいます。
上念司様の逆教育勅語勅語を読んだ方がいいよ!という度々のお声かけで、この度、「逆にしたらよく分かる教育勅語」が増刷にあいなりました。ありがとうございます😊昨日もニュース女子拝見しました。著者の倉山満氏にも少しは喜んでいただけると思います。https://t.co/rC8DyA1Pj4
— ハート出版社長絵日記 (@boss810enikki) 2018年10月9日
このハート出版とか言うところから出ている『逆教育勅語』とは、このようなものだそうです。「教育勅語を逆にするとこんな酷いものになる。だから元の教育勅語は素晴らしいんだ」という理屈です。
どこまで馬鹿で卑怯なんだお前ら!!
この手の連中は、まず間違いなく教育勅語の原文を読んでいません。この連中の主張は、どれも「国民道徳協会訳」というものに基づいています。
以前の記事でも紹介していますが、明治神宮HPなどに載っている教育勅語の現代語訳は、「国民道徳協会」訳となっていて、あたかもちゃんとした訳かのようなフリをしていますが、実際には国民道徳協会とは佐々木盛雄という元自民党員が一人でやっていたものです。そして、その訳の内容は、原文とは似ても似つかないほど改竄されています。
産経新聞の阿比留瑠偉という
・文部省公式現代語訳に「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」と書いてある
前述の通り、ハート出版が出している倉山満というバカの「逆教育勅語」も含め、この手の連中が出してくる「12の徳目」は、明らかにどれも佐々木盛雄の改竄された訳をもとにしています。
佐々木盛雄の訳が原文からどれぐらいかけ離れているかは、詳しくはこちらの記事を読んでほしいですが、佐々木盛雄の偽訳をもとにしたものがこんなに広がっている状況はいかんと思うので、以前明治政府の公式の英訳を紹介したのですが、もう一つ、信頼に足る訳を紹介しましょう。文部省による現代語訳です。実は1940年に、文部省は現代語訳を作っているのです。これは佐々木盛雄なんかとは違う、公式のものですので、はるかに信頼に足るわけです。そのまま紹介しましょう。
【教育勅語】第2段落に所謂「12の徳目」が並んでいます。親孝行とか兄弟仲良くしろとかは別にいいんですが、問題は最後の12番目です。佐々木盛雄の訳も、倉山満とかいうバカの「逆教育勅語」も、「12の徳目」の最後に「国のために真心を尽くせ」なんて書いていますが、教育勅語にはそんなこと全く書いてありません。どこから「真心」なんて言葉出てきた!?
朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
明治23年10月30日
明治天皇自署、御璽捺印
本当に書いてあるのは、「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」です。「危急の大事」は、例えば戦争ですね。「戦争になったら勇気を奮って、皇室国家にその身を捧げろ」と言っているわけですから、これが教育勅語が特攻などの無謀な玉砕に繋がったと非難される所以です。「天皇陛下万歳!」と言って玉砕するなど、まさに教育勅語の理念をそのまんま実行したわけなんですよ。
この「皇室国家にその身を捧げろ」を「国のために真心を尽くせ」と改竄するなど、佐々木盛雄にしろ、それをもとにした倉山満にしろ、本当に卑怯と嘘つきにもほどがある。
そして、教育勅語は、「12の徳目」をもって、「神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ」と言っているのです。「神勅のまにまに」は「神の命ずるまま」。「宝祚」は皇位のこと。つまり、「永遠に続く皇室の繁栄をお助けしろ」と言っているのです。
教育勅語の「12の徳目」とは、己の人格を磨くためのものではなく、「忠」と「孝」を身につけ、永遠に続く皇室の繁栄を助けるためのものなのです。
そもそも、冒頭に「我が御祖先の方々が国をお肇めになった」とあるように、教育勅語は皇国史観に基づいたものであり、国民を天皇の「臣民」(家臣としての国民)としているのです。この時点で現代的観点からはアウトです。
教育勅語を一言で要約するならこうなります。
「皇室の繁栄をお助けできる、忠良な臣民となりなさい」
「12の徳目」も、良き人間を育てることが目的ではありません。「忠良な臣民」を育てることが目的なのです。全ては皇室繁栄のためであり、日本国民は身を捧げて皇室国家に仕え、皇室の繁栄をお助けしなさい、というのが教育勅語の内容です。12の徳目も、皇室の繁栄のためのものにすぎません。
「親孝行しましょう。皇室繁栄のために。」
「兄弟仲良くしましょう。皇室繁栄のために。」
「夫婦は仲良くしましょう。皇室繁栄のために。」
「法律を守りましょう。皇室繁栄のために。」
「何かあったときには、皇室国家にその身を捧げましょう。皇室繁栄のために。」
これが教育勅語の内容なんです。国民のすべては、皇室の繁栄のためである、というのが教育勅語の理念です。
だからこそ、戦後、教育勅語は「根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる」として、衆参両院で排除と失効が確認されたのです。
文部省の公式の現代語訳を見ても分かる通り、教育勅語は、その根本理念が、主権在君と神話的国体観に基づいており、さらに「一身をささげて皇室国家のために尽くせ」とあるわけですから、戦後廃止されるのは当然のことです。「教育勅語はいいことを言っている」などと言う連中は、このあたりの事実を完全に無視、もしくは意図的に隠蔽しています。
教育勅語は、せいぜい親孝行など「いいこと『も』書いてある」が関の山であり、その「根本的理念」は主権在君と神話的国体観であり、「臣民はその身を皇室国家に捧げ、永遠に続く皇室の繁栄をお助けしろ」と教えることが、教育勅語の意義なのです。戦後の教育から排除されるのは当たり前のことです。
・当たり前の道徳を教えるの教育勅語に頼る必要なし
教育勅語の「12の徳目」のうち、11項目は、「親孝行」とか「兄弟仲良く」とか「法律を守れ」とか、確かに別におかしなことは言っていません。
しかし、そんなことを教えるために教育勅語が必要ですか? そんなの、別に教育勅語がなくたっていくらでも教えられるでしょう。親孝行しましょうとか、兄弟仲良くしましょうとか、法律を守りましょうとか、そんなことを教えるのに、どうして教育勅語なんて引っ張ってこないといけないわけですか? 普通に「親孝行しましょう」「兄弟仲良くしましょう」「法律を守りましょう」って教えりゃいいじゃん。
にもかかわらず、わざわざ教育勅語を持ち出してくるのは、やはりその「根本理念」、すなわち「主権在君」や「神話的国体観」を復活させ、「何かあったなら、その身を国家に捧げろ」という教育を施したいからなのでしょう。
何度でも言いますが、ネットで教育勅語の「12の徳目」だけを抜き出して「いいこと言ってる」なんて言っている奴は、まず間違いなく原文を読んでいないただのバカです。そういう連中には、文部省の公式の現代語訳を見せてやってください。そして、12番目の徳目が「国のために真心を尽くせ」ではなく、「皇室国家にその身を捧げろ」であり、12の徳目全てが「永遠に続く皇室の繁栄をお助けするため」のものであるという事実を教えてやってください。
(まあ、ほとんどの連中は、文部省の公式現代語訳を見ても、そっちに難癖をつけて、原文を読むこともなく、自分に都合のいい佐々木盛雄の偽訳にしがみつくでしょうが、そういう連中についてはもうあきらめるしかないと思います)


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コメント
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/a726876b4ae7605eca574474ad066609
代替案のための弁証法的空間 Dialectical Space for Alternatives
陛下は靖国神社を潰そうとしている!?
https://www.j-cast.com/bookwatch/2018/10/14008080.html
J-CASTニュース
靖国神社の宮司が退任へ 天皇批判で
https://www.bbc.com/japanese/45832494
BBCニュース
このブログにやたら噛みつく与党支持者のみなさんが、教育勅語を重んじるつもりなら、むしろ国会議員の靖国神社参拝に反対すべきですね。
やれば…右翼なんしょ?
指摘されまくってる「国家に尽くして犠牲になれ」という趣旨、彼らはわかってるくせしてすっとぼけて称賛してますよね
それを根拠に称賛することなど、無意味だと思う。前にこのサイトで紹介されていた暴力団の掟的なものも称賛に値することになってしまうからだ
本を読んでないので、内容については何も言えないが、こんなタイトルの本を見れば、教育勅語ってこんなアクロバティックな擁護をしなくちゃいけないものなの? と疑問をもってしまいそうだ。たとえ、教育勅語が素晴らしいものであっても、疑いの目を向けたくなるタイトルだと思う
こんなタイトルでも、読者は喜んでくれると思っているのなら、たいそうバカにされている気がする
右翼が一身を捧げて中国や韓国にロシアや北朝鮮のために死んだというニュースは一切聞きませんが、彼らはいざ有事になったとして皇室のただの人間のために我先にと死んでみせるのでしょうか?
恐らく彼らが賛成しているのは愛国心の重要云々ではなく、「サヨクが反対しているから」という理由の方が強いと思います。
死なないでしょう。他人に対して国の為に死ねと命令するだけです。
自分達は天皇に代わって下々の人間に命令する立場だという考えです。
教育勅語を貶めるな、といった趣旨のコメントに読めたので、訂正しておきます
そういった趣旨はまったくありません
目覚めていない日本人を教育してやろう(またはただの愛国ビジネスで顧客は思考停止ぎみと想定している)という態度が出版側の裏にはあるのではないかという趣旨です
本当の目的を隠すために一般世間から見て良さそうなことを混ぜこんでいるんです。
こういう考え方は、基本的に物事を極論でしか見れない人(二元論者)という感じがします。
思考のキャパシティが小さいのか、物事を単純化して捉えようとしてますよね…。
同時に、二元論で説明できないような事や、自分に都合の悪い事から目を背けがちかなと感じています。
の何が問題なのかは例えばシベリア抑留を見れば分かる
60万人が10年間外国政府に奴隷とされ1割が死亡したのに
それに対する保障がシベリア特措法(2010年)による最高150万円でしかない
重大な結果を招来したのにそれに対して
まともな責任を果たす政治的インセンティヴを生まない或いは逆に意欲を失わせる
だからこういう国家への「性善説」的な強制力はむしろ害の方が大きい
結局情報源がマスコミからxに変わっただけで
自分でロクに調べもせず
自分に近しい考えのxのことは鵜呑みにしてるこの構図。
バカはバカのまま。
1次資料見てくればいいのに
都合よく解釈してる人の伝聞、記事で知識
を得てるバカ。
近代古文や英語を翻訳と称して内容の書き換えを行うのは、原文に対する敬意が無い事を証明しているだけなんだがな。
「 戦況が優位に見えているのは敵のワナ」、「俺に声をかけてくる美人はツボ売りの手先」という真理が身に付いていると、「自分にとって都合の良い話なんてものは無い」というどうしようもない現実に向き合わなくてはいけない。
現実がすごく辛いから、「耳当たりのいい綺麗な嘘にしがみつく」し、それが本当かは確かめたりはしないんだろうね。
一部に良いところもある、というのなら、その良い部分だけを抽出して教育に活かせばいいだけの話であって、
わざわざ、「教育勅語」という枠組みを持ちだす必要はない。
現在、「教育勅語にも、いいところもある」的なこと言ってる連中は、大抵、
「だから、教育勅語を全否定すべきではない」、
「だから、教育勅語を現代の教育に活かせ」
みたいな、話のすり替え、論理の飛躍をやってくる
カツ無しのカツ丼はカツ丼と呼べるのか?という感じですね
"勅"語の勅は「みことのり」ですから、天皇から臣民への訓示
という要素を省いたら、教育勅語 without 勅
単なる教育語です
あなたの場合は「本文読まない」か……
分別のつく大人だったら胡散臭いと切り捨てられるだろうけど、まだ分別のつかない子供だったら簡単に洗脳されてしまうんだろうな…
『親孝行しろ』の部分
残念ながら世の中には孝行するに値しない親という者も実在するわけで
(例:子供を虐待、下手すりゃ殺害する、育児放棄する、子供を奴隷扱いする支配親、等々)
そういう連中を喜ばすだけだと思うのよね
そして、高確率でこういうクズ親ってなぜかネトウヨ・極右カルトと結託してる(ヤンキー、半グレ、反社だから右翼寄りになるのか?)
『子供には体罰を受ける権利がある』とか狂った主張したり、支持してる連中も同じ
ああいう戸塚ヨットスクール的な連中にお墨付きを与えること、毒親が有利になって虐待を受ける子供が不利になるルールだけは作らせちゃいけない
戦前の日本はろくに子供の人権が認められてなかった、って事実をちゃんと啓発すべきだわ
もしどーしてもこういう勅語をするなら、親に対しても作るべき
『子供を虐げてはいけない』『子供の面倒は見なければならない』
『子供の自由は尊重しなければいけない』って
同時に、国側に対しても勅語を作るべきなんだよ
『国民の生命財産は犠牲にしてはならない』『国は臣民に尽くし守り仕えねばならない』
『国は国民の生命財産生活を保護保証しなければならない』
そんなに勅語を復活させたいなら、親や国にも勅語を制定したらいいじゃん
いい世の中を望んでるだけなら、自分たちが人道的な縛り、義務を食らっても嫌がらないでしょ
教育令(明治十二年九月二十九日太政官布告第四十号)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317966.htm
文部科学省
学校内における体罰
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%86%85%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BD%93%E7%BD%B0
俗流若者論ケースファイル83・石原慎太郎&義家弘介
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/121600/108861/16576771
新・後藤和智事務所 ~若者報道から見た日本~
戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/52456998.html
少年犯罪データベースドア
戦前でも原則的には体罰は禁止されていましたからね。日本の体罰肯定論者って、本当は戦前の人間をバカにしていると思います。
小室直樹 色摩力夫 『人にはなぜ教育が必要なのか』 総合法令、1997年11月。ISBN 4-89346-571-6。
(Wiki引用)
教育勅語の相手は「臣民」である。
儒教では「臣」と「民」では権利も義務も異なる二重道徳であるが教育勅語は「臣民」の普遍道徳を説いている。儒教は五倫といい五つの根本規範(Grundnorm)を説く。この根本規範の第一規範(最重要規範)は「孝」(父子の親)であり「忠」(君臣の儀。帝への義務)は第二規範にすぎない。教育勅語は、第一規範と第二規範の順位を逆転させている。 これらから明白なことは、教育勅語は新規範の創造であり儒教の規範とは根本的に異なる。新規範の創造という点ではキリスト教的であり、明治天皇はニケア信条(キリストは神であるという信条)におけるイエス・キリストの役割を演じた。
教育勅語では、「克く忠に克く孝に」と、皇祖皇宗の遺訓として、すでに確固たる教義(ドグマ)になっていることが明示されている。ゆえに、「朕に忠義を尽くせ」は必要ない。 教育勅語の教えとして決定的に重要なことは、普遍市場成立のための必要条件であるところの普遍規範(誰にも同じ一元的規範)を確立したことである。儒教では臣の規範と民の規範とは、天地もただならぬ違いがあった。つまり、二重規範(二元的規範)である。これでは、普遍規範は成立せず、前期的資本は、資本になれない。 教育勅語は、資本主義への道をひらいたという意味で、絶大な価値がある。
(引用終わり)
原文の解釈は、時代によって、学者によって、組織によって様々な解釈が発生していた。おっしゃるとおりの解釈も存在しますが、原文を読む限り、
「朕に忠義を尽くせ」
が主旨だと俺も思えません。
あなたが引用した文は、教育勅語の(資本主義的)価値や効果を述べたものであり、作られた目的に関しての主張ではありません。
よって、これを以て教育勅語の主旨を語るのは適当ではありません。
文科省の1940年解釈を取り上げ、それに基づき、皇室のために尽くせという意味だというのが趣旨であり、教育勅語の目的だという、元主張に対して。
・原文を読めというが、原文にはこの主張通りの文は存在せず1940年解釈から論を進めている。それに対して私は全く違う小室先生の解釈を紹介した。
・そもそも教育勅語の解釈は多数存在する。
・教育勅語の主旨や目的は、原文と、当時の時代背景も深く関係する。
日本が近代国家として、欧米に認められるためには、キリスト教的一神教的価値観を日本に落とし込まねばならなかった。大日本帝国憲法と教育勅語は、年代として非常に近いのはその為である。
・地政学的に近隣も大国に挟まれ、欧米各国の植民地や民族浄化まで危険が存在する状況の中で、近代国家として日本が認められるためには、立憲民主主義国家として必要であった。
・敗戦後すぐのGHQ政策に沿った教育勅語解釈が、そもそも間違っていると個人的には思う。
>>文科省の1940年解釈を取り上げ
>>原文にはこの主張通りの文は存在せず1940年解釈から論を進めている。
明治42年(1909年)に明治政府自身が行った英訳でも、ほとんど同じ解釈で書かれている。
http://datsuaikokukarutonosusume.blog.jp/archives/1064876704.html
それに、実際に学校教育でどのような解釈で用いられていたかが重要であり、当時の文部省の公式の訳以上に、歴史的に「正しい」解釈など存在しえない。それが実際に行われていた解釈なのだから。
>>日本が近代国家として、欧米に認められるためには、キリスト教的一神教的価値観を日本に落とし込まねばならなかった。
そのような事実はない。日本がキリスト教的一神教的価値観を日本に落とし込んだという事実はない。明治天皇が神格化されたのはキリスト教的一神教的価値観ではなく、ただの権威づけに過ぎない。一神教化するのであれば、神社の神々は否定されなければおかしい。
>>大日本帝国憲法と教育勅語は、年代として非常に近いのはその為である。
年代として非常に近いのはキリスト教的背景も何も一切関係なく、政治も教育も近代化を同時進行で行っていただけのことである。
>>立憲民主主義国家として必要であった。
明治憲法は天皇主権だったので、立憲「民主主義」国家ではない。また、立憲民主主義国家になることに教育勅語は必要ない。
>>敗戦後すぐのGHQ政策に沿った教育勅語解釈が、そもそも間違っていると個人的には思う。
1909年の英訳および1940年の現代語訳は、言うまでもなく、GHQと何一つ関係なく、「GHQの政策に沿った教育勅語解釈」などという批判は全く的外れである。
>それに、実際に学校教育でどのような解釈で用いられていたかが重要であり、当時の文部省の公式の訳以上に、歴史的に「正しい」解釈など存在しえない。それが実際に行われていた解釈なのだから。
ここは、原文にこだわるならば、その本当の理念が重要で、その解釈を時代が変わり曲げられた問題と、また別の話であるという私との問題意識の違いですね。
英語訳も、文部省解釈も同年代ですね。ちなみにドイツ語、フランス語、他国言語に翻訳されています。レーガン政権では、教育勅語を参考にした道徳副読本が、アメリカ、イギリス、ドイツでベストセラーだそうです。
そして、明治の文部省英訳も、当時から大変議論を呼んでいたようです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeigakushi1969/1994/26/1994_26_59/_pdf/-char/ja
桑原様とは、
29で言及した臣民の解釈の違い、
「朕に忠義を尽くせ」という桑原様の解釈との違い
天皇、皇室に忠義を尽くせではなく、日本国、先祖代々守ってきた国柄に対して遵守せよ。
というのは、原文の最後、朕なんじ臣民とともにみなその徳を一つに線ことを希うにつながっていかないから。
が大きく違う点ですね。
誤解を与えました。すみません。
GHQは1940年解釈成立時には係わっていませんが、教育勅語と大日本帝国憲法を廃止をしました。
>明治憲法は天皇主権だったので、立憲「民主主義」国家ではない。また、立憲民主主義国家になることに教育勅語は必要ない。
えーと、大日本帝国憲法は天皇主権ではなく、立憲君主制であり、議会制民主主義の憲法ですよね?
(wiki 大日本帝国憲法参照)
>>レーガン政権では、教育勅語を参考にした道徳副読本が、アメリカ、イギリス、ドイツでベストセラーだそうです。
それデマ。
https://ameblo.jp/huyunohi1684/entry-12256505330.html
>>大日本帝国憲法は天皇主権ではなく、立憲君主制であり、議会制民主主義の憲法ですよね?
天皇主権です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天皇主権
立憲君主制の基本は、「君臨すれども統治せず」です。
大日本帝国憲法では、最初に
「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」としています。
デマだと納得するまで調べてませんが、デマならひどい話ですね。すみません。
ちなみに、からは全くの蛇足でした。
さて、天皇主権説が主流になったのは昭和10年からですが、その時いわゆる明治憲法は死んだと言えます。
制定時の目的や主旨から遠く離れた時点で、明治憲法は死んだので、論ずるに当たらないのでは?
本来は天皇機関説であり、その文脈上に教育勅語があります。
憲法は簡単に死ぬのです。ドイツ然り、
日本国憲法だって、9条以外にも、13条を、北方領土、竹島、尖閣、拉致と
意見状態が続いていますし、私学助成もそう。
政府、国民ともに違憲状態を問題視しなくて、空気が支配する国家では
いけないのです。
>>デマだと納得するまで調べてませんが、デマならひどい話ですね。すみません。
なんでや…
寧ろ真っ先に「デマじゃねーの?」と疑うような情報でしょ…
>>制定時の目的や主旨から遠く離れた時点で
天皇主権は明治憲法制定時の目的や主旨から離れていません。「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と書かれていますから。
「議会制君主主義」ではなく「議会制君主制」。君主がいれば君主制なので、それは民主主義と矛盾しません。「君主制」の対義語は「共和制」です。君主制の民主主義も共和制の民主主義も、君主制の独裁も共和制の独裁も存在します。
英国は「君臨すれども統治せず」ですが、大日本帝国憲法は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるので、英国とは全く異なります。
『ブリタニカ国際大百科事典』でも『デジタル大辞泉』でも『マイペディア』でも『大辞林』でも『精選版 日本国語大辞典』でも、「天皇主権を原則としている」と解説されています。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95-91835
近代日本が欧米視察するなかで、君主のいない米仏や、君主権に制限のある英国よりも、強い君主権と軍でプロイセンを中心に統一を進めていたドイツを手本にしたことは、天皇を中心に、近代化を進めたい日本に受け入れやすかったのでしょう。
さくFT様
>さて、天皇主権説が主流になったのは昭和10年からですが、その時いわゆる明治憲法は死んだと言えます。
制定時の目的や主旨から遠く離れた時点で、明治憲法は死んだので、論ずるに当たらないのでは?
本来は天皇機関説であり、その文脈上に教育勅語があります。
この部分の根拠をお願いします。天皇主権説が昭和10年から??天皇機関説が唱えられた時点(明治時代)で、すでに天皇主権説が主流であり、むしろ天皇機関説は「不敬だ」と言われていたと私は記憶しています。
また、天皇機関説の文脈上に教育勅語があると言う根拠をお願いします。
>日本国憲法だって、9条以外にも、13条を、北方領土、竹島、尖閣、拉致と
意見状態が続いていますし、私学助成もそう。
領土問題や拉致問題が違憲状態?
裁判所がそう言う判決を書いた事がありましたっけ…。そもそも、「違憲」と「違憲状態」は別物ですが、ご存知ですかね?
違憲状態で憲法が死ぬなら、まさしく違憲状態と「司法」がはっきり判断したものとして、「一票の格差」の判決があります。
違憲状態ってのは、主に国政選挙で一票の格差が生じた際に、すぐさま違憲とすると混乱を招くし、かと言って合憲とは言い難いという時に出るものだと思いましたが…。
違憲状態で憲法が死んだと考えるなら、9条だの13条だのよりも、一票の格差問題における14条と44条を持ち出すべきです。すでに判決が出てます。
should emergency arise, offer yourselves courageously to the State
の訳はshouldではじまり、英語の意味から言うと、勇敢な事に国家にあなた自身を捧げてくれると良いな。くらいの意味かと思うのですが、どうですか?勇敢じゃ無いなら出来ないし、shouldの強制力は低いと言うか推奨ですよね?
それから、「獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス」にある「獨り朕が」はなんで付いてるんですかね?英訳だと「So shall ye not only be Our good and faithful subjects」なんで「獨り朕が」は訳されてない?主語が、一人称から、二人称に変わってませんか?英訳は、「皆さんを忠良な臣民にさせる(なる)だけではなく」だけど、本来は、「ひとり私が?忠良な臣民になるだけではなく」ですか?
あと、 「It is Our wish to lay it to heart in all reverence, in common with you, Our subjects」のやくは「私の望みは、臣民である皆さんと共に、全ての尊敬の中で、それを心に留める事である」になりますか?
うーん。詳しい人、教えて下さい。これは解釈が色々と出来る文ですね。
個人的には、天皇が権威として存在するのは、臣民に寄り添うからで、彼らは自らを民と同一視してる気がする。自らと臣民を区別しないで、理想を語る事になる。皇室の繁栄とは、臣民と国家の繁栄。と解釈できる。
>shouldの強制力は低いと言うか推奨ですよね?
>「獨り朕が」はなんで付いてるんですかね?
この2件のみで申しわけないのですが。
以下続けます。
>shouldの強制力は低いと言うか推奨ですよね?
offer以降が命令の内容「義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」にあたる部分です。
「should emergency arise」で「非常の場合には」のかたい表現となります。
--------------
Weblio英和対訳辞書での「should an emergency arise」の意味
should an emergency arise
非常の場合に
--------------
研究社 新和英中辞典での「非常」の英訳
ひじょう2 非常
(略)
非常の場合に
in an [in case of] emergency
if there is an emergency
【形式ばった表現】 should an emergency arise
--------------
arise/əráɪz/
〖a(上へ)rise(立つ)〗
動詞~s/-ɪz/; arose/əróʊz/; ~n/ərɪ́z(ə)n/; arising
自動詞
1 ⦅ややかたく⦆ (!通例進行形にしない)
a. 〈問題危機機会などが〉生じる, 発生する(occur)
▸ Questions have arisen lately about his ability.
彼の力量にこのところ疑問が投げかけられている
▸ when [if, as] the need arises≒⦅かたく⦆should the need arise
必要なときに; 必要ならば
--------------
この場合のshouldはこれかと思います。
「should emergency arise」でoffer以下の条件と解釈します。
--------------
【仮定の条件】
6 ⦅主に英かたく⦆〖条件節で〗〈人などが〉もし万一…したら; たとえ…しても (!不測の事態に関する条件譲歩を表す; 帰結節は直説法仮定法のいずれも可能で, 命令形が現れる場合もある; →if5a類義)
▸ If it should rain tomorrow, they wouldn't [will not] go.
万一明日雨が降ったら彼らは行かないだろう
▸ In case you should need any help, here's my number.
もし手伝いが必要なようでしたら, これが私の電話番号です (!丁寧な申し出を表す遠回し表現)
▸ Should the phone ring, don't answer it.
⦅文⦆もし電話が鳴っても, 出てはいけない (!条件節で接続詞ifが省略され倒置が起こっている) .
--------------
「朕󠄁カ忠良ノ臣民」で「朕の忠良たる臣民」です。
この「カ」は主語をあらわすのではありません。「わが国」「おらが国」の「が」と同じです。
「獨リ」は「not only A, but B」の前半にあたる部分ですね。
「朕󠄁カ」をmyではなくourで訳す理由は、「明治政府公式英訳で読み解く教育勅語」で管理人さんがお書きになっている通りです。
コメントありがとうございます。くしゃみさんがすでに説明していますが、
このshouldは「〜べき」ではありません。詳しくは
http://school.jorudan.co.jp/eigolike/sp/grammar/grammar_043.php
if節内のshouldの倒置はよく行われます。
「獨リ」は「一人」ではなく「獨リ〜ノミナラス」でセットです。「ただ〜なだけでなく」の意味です。
「朕󠄁カ忠良ノ臣民」の「カ」は主格の「が」ではなく所有格です。「我らがヒーロー」の「が」です。
ご丁寧に説明頂きまして、ありがとう御座いました。スッキリしました。
>この部分の根拠をお願いします。天皇主権説が昭和10年から??天皇機関説が唱えられた時点(明治時代)で、すでに天皇主権説が主流であり、むしろ天皇機関説は「不敬だ」と言われていたと私は記憶しています。
また、天皇機関説の文脈上に教育勅語があると言う根拠をお願いします。
昭和10年の根拠は、天皇機関説事件(Wiki参照)で、このとき、軍部の介入が決定的な憲法の意味を変えたため、憲法が死んだといえます。
(wikiより)
かしそうした者の中にはそもそも天皇機関説とは何たるかということすら理解しない者も多く、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」と激昂する者までいるという始末だった。最終的に天皇機関説の違憲性を政府およびその他に認めさせ、これを元に野党や皇道派[1]が天皇機関説を支持する政府・枢密院議長その他、陸軍統制派・元老・重臣・財界その他を排撃を目的とした政争であった
(引用以上)
天皇機関説、明治憲法、教育勅語は、天皇個人が能動的執行者と想定していない。
教育勅語は、天皇個人崇拝でも、キリスト教的唯一絶対神ではない。
君民一体が国体である。その根拠に最後に朕は臣民とともに守っていくと宣言しています。
天皇主権説は、天皇の御意志を無視し、軍部が議員から権限を奪い、帝国憲法を死に追いやった説です。
■憲法の目的・奥義について、伊藤博文、井上毅の記録から。
井上毅
https://kenpou-jp.norio-de.com/meiji-kenpou-tennou/
(引用)
大日本帝国憲法の草案を作った人物、
「井上 毅(こわし)」なる男がいました。
この1条について、彼が作った草案ではこう記されています。
第1条(草案)
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治ス所ナリ
実際の1条と殆ど変わりはありませんが、
「統治ス」と「治ス」が違います。「治ス」とは「シラス」と発音しますが、
これは「古事記」に出てくる古語です。
「治ス」とは、天皇統治の公共性を表す言葉で、
天皇個人やその一族のために国を統治するのではなく、公平に納めるという統治
形態を集約した言葉になります。
この「治ス」と対概念になるのが「領(ウシハ)ク」です。つまり、
「支配する」ような意味合いですね。
これが一般的にいうところの独裁、中世ヨーロッパや、
現在でも世界中に存在する独裁国家に近いニュアンスだと考えて差し支えないでしょう。
(引用終わり)
伊藤博文
(参考)https://www.kokutaibunka.com/archives/2916
伊藤博文枢密院議長時代の発言
「抑(そもそも)、憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり。故に若し憲法に於て臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし」(百地章先生著より)
と発言している。
コメント50,51と内容が同じなので省略させていただきます。
焼き鮭様、ご質問に対する回答を続けます。
>違憲状態で憲法が死んだと考えるなら、9条だの13条だのよりも、一票の格差問題における14条と44条を持ち出すべきです。すでに判決が出てます。
違憲と違憲状態の違いは知りませんでしたが、御説明と、後はぐぐって一応理解できました。
一票の格差問題に抜けている視点、それは憲法の奥義、国体という視点と自分は思っています。
・憲法制定時、農業が主流で、現在は際限のない都市化、都市経済中心です。
・国が国政選挙を自治体に委託する限り、行政単位での選挙区割りになる。
・人口動態とは別に、離島、北海道道北など軍事的重要地域、水源地など、
国土面積である程度、分散している必要がある。
・憲法も国の制度も、国民の理解が重要。人口動態に応じて、
激しく議員の数を動かした場合、反発が生じるでしょう。
さて長年、国民の財産(領土)を奪われ、そして拉致問題は多くの方の生命と自由を奪われた状態です。
他の条文よりも、優先順位は随分高いと思いますが、焼き鮭さんはどう思われますか?
>大日本帝国憲法は、君主権の強いプロイセン憲法を参考にしました。憲法草案はドイツ人顧問ロエスエルの指導を受け、作られたのです。
>近代日本が欧米視察するなかで、君主のいない米仏や、君主権に制限のある英国よりも、強い君主権と軍でプロイセンを中心に統一を進めていたドイツを手本にしたことは、天皇を中心に、近代化を進めたい日本に受け入れやすかったのでしょう。
ここは補足させてください。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/明治十四年の政変
(引用)
1882年(明治15年)、伊藤はドイツ(プロシア)の憲法事情を研究するという名目でドイツを訪問するが、それもあくまでも岩倉の意に沿ったというだけではなく、単にイギリスやフランスの事は自由民権派の人達が研究するだろうから、彼らが研究しないドイツを選んだ(末松謙澄充ての書簡など)という選択に過ぎなかった。伊藤がプロシア式の憲法導入の決意を固めたのは、現地で指導を受けたロレンツ・フォン・シュタインの助言(シュタイン自身はドイツの立憲体制を批判してドイツを追われた学者であったが、日本の国情を研究した上でむしろ日本の方がドイツ本国以上にプロシア式の条件に符合していると説いた)によるものであるとされている。伊藤は1883年(明治16年)に岩倉の死に合わせるかのようにして帰国して、本格的な憲法制定作業に取り掛かることになった。
(引用終わり)
憲法を「安保法案」に適用させる――中谷防衛相の発言に「憲政史上最悪」と非難の声
https://www.bengo4.com/c_18/n_3217/
弁護士ドットコムニュース
あの世の伊藤博文が、中谷さんの発言を知ったら転倒するでしょうね。現在の自民党の改憲派は、明治の政治家が知ったら失神しそうなくらいのひどさです。
それをふまえて個人的感想は、”憲政史上最悪”でググったら大安売りのフレーズで無数に使われています。よりによって国会議員が連呼するのは、歴史を知らないか、知っていて確信犯か、どちらにしてもひどいと思います。
申し訳ないが、>52の書き込みで数点確認したいのだが
>国体という視点
ここで、言う"国体"とは具体的に何でしょうか?
>長年、国民の財産(領土)を奪われ、
>そして拉致問題は多くの方の生命と自由を奪われた状態です。
>他の条文よりも、優先順位は随分高いと思います
え…と具体的に、どの条文が、上記に対して、どう違憲で、
貴方は具体的に、どう行動するべきだと?
>ここで、言う"国体"とは具体的に何でしょうか?
御存じのとおり、国体とは、一般的に国の形や国家体制を指すので、日本の国体とは、君主制立憲国家、国民主権であるとともに、以下だと考えます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/国体
(引用)
【國】とは政体の下に属する土地・人民、地理上の区画、首都、封土、ふるさとの意。【體】とは典型または規範などの意[3]。
一般に国体とは、日本神話の、皇室は万世一系の天照大神の子孫であり、神によって日本の永遠の統治権が与えられている(神勅)[4]天皇により統治された、人民や古里の決まりといった意義。国体論では、とりわけ他国との対比において、王朝交代・易姓革命・近代においては市民革命が起きなかったことを、日本の国体の表れとして重視する。論者の大部分は天皇による国家統治を国体の不可欠の要素として主張する。
(引用終わり)
最高裁の結論は、例えば東京の世田谷区と北海道が同じ人口なら両方とも同数の議員、予算配分でいいとなる。
国民の生命と財産の中には、国土・ふるさとの文化的軍事的保全も含まれる。
日本全体を俯瞰し、均衡のとれた政治をおこなうなら、人口完全比例ではなく文化歴史産業面積も含めた指標も加味するべき。
現状、国体に沿わない憲法なら、見直すべきだと考えます。
>え…と具体的に、どの条文が、上記に対して、どう違憲で、
>貴方は具体的に、どう行動するべきだと?
■条文
日本国憲法第3章、とくに日本国憲法第13条、16条と、憲法前文
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(Wiki 憲法前文)
■違憲事例
3例とも国民の生命と財産を守るのが国家であり、守らせるのが憲法ではないのか?
1.拉致被害者を救うため、国家が最大限の努力をしなければならないがずっと放置してきた。
2.韓国軍はライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕し、日本人44人を死傷(死亡者数は不明)させ、3,929人を抑留した。韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。(wiki 竹島)
→財産侵害もそうだが、50人超の殺害、4000人余りの抑留と、日本国憲法が高らかに宣言した数年後に、
諸国民の公正と信義が崩壊する事態に及んでもなお、憲法改正するわけでもなく、ただ抗議のみに終始して70年。
3.北方領土問題 1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定し翌15日に玉音放送によって国民に降伏を告知、自発的戦闘行動を停止した後の1945年8月28日から9月5日にかけて、赤軍(ソ連軍)が北方領土に上陸し占領した。(wiki 北方領土問題)
→1945年時点ですでに、北方領土問題およびシベリア抑留は、諸国民の公正と信義が存在しないことを証明しているにも
かかわらず、あの日本国憲法が作られた。その後70年以上も硬性憲法として変えずにきた。
■どう行動すべきか
国家として、具体的に国体を守り、国民の生命と財産を守るための憲法改正を、国民的議論をしたうえで改正するべき。
国体をWikiから引用しているけどさ。
何故、そこで引用が終わるの?
"後史"から先を削除した理由は?
国体論争を引用しなかった理由は?
https://ja.wikisource.org/wiki/教育勅語等排除に関する決議
こういった事を載せなかった理由は?
更に
憲法を改正すると
どうして拉致被害者が帰ってくるの?
どうして竹島が返還されるの?
どうして北方領土が返還されるの?
因果関係を説明して下さい。
日本人44人を死傷(死亡者数は不明)⇒ 50人超の殺害...この飛躍は何?
50人以上が殺害されたと言う証拠を提示出来るの?
このコメント欄は字数制限がありますし、
一般的に引用も長いなら、URLと箇所を示して終わりにしないと読むほうも大変ですよね。私の文章の分かりにくさは仕方がないとしても。
今回”ここでいう”というご質問だったので、私の思う国体を説明しました。
>"後史"から先を削除した理由は?
>国体論争を引用しなかった理由は?
>https://ja.wikisource.org/wiki/教育勅語等排除に関する決議
wiki 国体、だけでなく、教育勅語等排除に関する決議
もWiki 読んでいただけたのなら、私のこれまでの主張が理解しやすくなったかと思います。
・伊藤博文、井上毅が憲法起草の中心。井上毅が教育勅語草案を作った。
・帝国憲法第1条の、西洋の支配の意味の統治ではなく、治(し)らす(反語はウシハク)
・その証拠に、教育勅語の君民一体を表す朕なんじ臣民とともに・・の部分。
ならびに帝国憲法第3条。
・昭和10年、天皇主権説(反語は天皇機関説)をとる勢力が天皇機関説排撃事件を起こし、明治憲法、教育勅語制定時の憲法の奥義、根本原理、国体がの意味がまるっきり変質した。
・戦後、GHQは軍部の暴走が明治憲法と教育勅語の天皇主権説とみなした。
・これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に従い(wiki教育勅語等排除に関する決議)
主権在君、神話的國体観(天皇主権説)を許す解釈の憲法・勅語の難解さにも問題が若干あるが、そもそも天皇主権であれば、天皇機関説を支持し、伊藤や美濃部を擁護し、全ての戦争に反対だった天皇の御意志を尊重するはずである。
98条は、天皇機関説、起草当初の理念であれば本旨に沿うので問題にならない。
・吉田茂の発言を参照 (Wiki 国体 後史参照)
>憲法を改正すると
>どうして拉致被害者が帰ってくるの?
>どうして竹島が返還されるの?
>どうして北方領土が返還されるの?
>因果関係を説明して下さい。
憲法を単純に空文に変えただけではかわりませんが、我が国の、政府、国民、国際社会、国防、国体、様々な要素のありかたを国民的議論で考えた結果の憲法が、リアルに機能すれば解決できるものが多い。
憲法が9条以外にもたくさん問題があるのに、共産党や社会主義勢力が外国からの必死な工作で憲法改正反対に必死なのがその証拠です。普通の国になる憲法改正は、略奪・侵略志向の近隣国家にとって、とても困るのです。
私は貴方が教育勅語を復活させたいと言うのは理解した。
しかし
>https://ja.wikisource.org/wiki/私の履歴書/金森徳次郎
を見る限り、天皇機関説の立場からみても批判して問題なしとされているようだが?
で、貴方の言う国体とやらの説明はコレだ
"【國】とは政体の下に属する土地・人民、地理上の区画、首都、封土、ふるさとの意。【體】とは典型または規範などの意[3]。
一般に国体とは、日本神話の、皇室は万世一系の天照大神の子孫であり、神によって日本の永遠の統治権が与えられている(神勅)[4]天皇により統治された、人民や古里の決まりといった意義。国体論では、とりわけ他国との対比において、王朝交代・易姓革命・近代においては市民革命が起きなかったことを、日本の国体の表れとして重視する。論者の大部分は天皇による国家統治を国体の不可欠の要素として主張する。"
この日本神話云々は、天皇機関説を批判した人々が使った言葉だけど
貴方はそこに矛盾を感じないの?
具体的に、貴方の言う国体は何なの?それをどうしろと言いたいの?
それと教育勅語をどう絡めて、いきたいの?
そうすると日本の社会はどう変わると言うの?
貴方の言う教育勅語や、国体とやらは
現状定義が曖昧過ぎて誰にも支持を受けられないと断じざるを得ないね。
昔は良かったとか酒場でくだまく老人と何も変わらないよ
>>憲法を改正すると
>>どうして拉致被害者が帰ってくるの?
>>どうして竹島が返還されるの?
>>どうして北方領土が返還されるの?
>>因果関係を説明して下さい。
>憲法を単純に空文に変えただけではかわりませんが、我が国の、政府、国民、国際>社会、国防、国体、様々な要素のありかたを国民的議論で考えた結果の憲法が、
>リアルに機能すれば解決できるものが多い。
>憲法が9条以外にもたくさん問題があるのに、共産党や社会主義勢力が外国からの
>必死な工作で憲法改正反対に必死なのがその証拠です。
>普通の国になる憲法改正は、略奪・侵略志向の近隣国家にとって、とても困るのです。
まず第一に、
>日本人44人を死傷(死亡者数は不明)⇒ 50人超の殺害...この飛躍は何?
50人以上が殺害されたと言う証拠を提示出来るの?
ここは回答しない理由は?
第二、
国体や教育勅語よか、ここの貴方のコメントは曖昧かつ理解不能だ。
>国民的議論で考えた結果の憲法が、リアルに機能すれば解決できるものが多い。
具体的にどう解決出来るの?
神様にすがれば救われると何が違うの?
憲法を変える、それにかかる時間は?
憲法を変えた結果、法律や社会の制度が変わる。
そのプロセスは?
それで社会システムを変える
そのプロセスは?時間は?変える目的は何で、その目的に対して間に合うものなの?
拉致被害者を救えるまでのプロセスを説明してみてください。
北方領土が返還されるまでのプロセスを説明してみてください。
>普通の国になる憲法改正
普通の国って何?その尺度は何?
具体的に説明して。
竹島の件は、私の間違いです。58で引用したWikiのとおりです。
>私は貴方が教育勅語を復活させたいと言うのは理解した。
いってません。
>>https://ja.wikisource.org/wiki/私の履歴書/金森徳次郎
>を見る限り、天皇機関説の立場からみても批判して問題なしとされているようだが?
文章の意味がわかりません。
金森氏は天皇機関説に近く、戦後、日本国憲法も同じで、国体は戦前もずっと一貫していると答弁しているので私の示した認識と同じですが?
>この日本神話云々は、天皇機関説を批判した人々が使った言葉だけど
>貴方はそこに矛盾を感じないの?
感じません。天皇個人は人間です。皇室の存在は、日本人にとって日本を象徴しています。
それと天皇主権説は違います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天皇機関説#天皇主権説との対立点
>具体的に、貴方の言う国体は何なの?それをどうしろと言いたいの?
>それと教育勅語をどう絡めて、いきたいの?
>そうすると日本の社会はどう変わると言うの?
ここでいう国体って何?と聞かれたので答えただけですが。
何かと絡めていきたいとも、国体で日本の社会をどう変えるとも言っていないのですが?
>憲法を変える、それにかかる時間は?
>憲法を変えた結果、法律や社会の制度が変わる。
>そのプロセスは?
>それで社会システムを変える
>そのプロセスは?時間は?変える目的は何で、その目的に対して間に合うものなの?
本論からだいぶずれていますし、そういう主旨で発言していません。
あえていうなら
憲法改正議論は、白熱するほどいいと思います。しかし技術的には、1年未満でも9条加憲のみの改正は可能、それでも効果はあるでしょう。本格的な改正は国民的議論を2,3年してから。
個人的に変える目的を言うなら、現実の国際社会、日本の国体、事情、国民性を正確に反映した内容の憲法に変え、憲法を機能させることです。
教育勅語にも良い点はある、、復活させたい。
この意思がなきゃ、この書き込みでないだろ。
リベラル装うんじゃないよ。
アンタがしたいのは、日本に軍隊を復活させて、韓国、北朝鮮、中国、、ロシアと言ったを"略奪・侵略志向の近隣国家(具体的に書かないのが実に卑劣ダネ。現代日本の政治への暗喩とでも言いたい気なのか・・・)"火の海にしたい
こいつらを土下座させてやりたい。
そうだろ?
それが下品だとか、ネトウヨだとか言われて、貴方はそれを嫌がるからリベラル風な言動をまとうんだ。
卑劣というものを絵に描いた人間だよ
アンタは。
じゃなきゃ、殺傷人数の誇張なんてしないよなぁ?
人の生命に関わる所を軽々に扱うなんて出来るわきゃない
29 は、教育勅語は良いところもある、とそもそもかいていません。思い込みです。
教育勅語は、こういう解釈もある、と提示したのです。
良い悪いの判断はまた別でしょう。
あなた自身はリベラルだと思っているようですね。
私は、リベラルに見られたいとも思いませんし、装うつもりもありません。
>火の海にしたい こいつらを土下座させてやりたい。
>それが下品だとか、ネトウヨだとか言われて、貴方はそれを嫌がるから
火の海にしたい、土下座しろ、下品 → ネトウヨ
とすれば、反語的に使われている
リベラル風の言動、ってなんですか?
ネトウヨが、リベラルを装う、それが卑劣だということですか?
そもそも「自分は保守だ」「リベラルだ」って名乗っている時点で滑稽。
殆どの人は経済とか国防とか皇室とか元号とか
いろんな領域で保守っぽかったりリベラルっぽかったりする訳で
全てにおいて保守的な考えをする人も
またその逆も殆どいない。
そいつの考えが保守かリベラルかなんて
そいつの言動を聞いた第三者が判断すればいいだけで
自分で名乗ってる奴ほど胡散臭いものはない
と思ってる。
俺は「自分は右でも左でもない」なんて宣言してる奴も信用しない。
そいつの言動を見て右とか左とか感じるのは第三者の自由だし
自分が絶対「右でも左でもない」と言い張りたいなら
普段の言動でそれを示せばいいだけ。
それもせずに
前提条件として「私は右でも左でもありません」なんて
自分の言動に責任も持てない奴の逃げもいいところ。
だからは俺は自分でわざわざ
「右です」「左です」「どっちでもありません」
なんて宣言は絶対しないし
管理人も含めここに来ているユーザーの殆ども
そんなん名乗ってるの見たことない。
一部の人はそうでもないようだけど。
同感ですね。
「右だ左だ」、「保守だリベラルだ」なんてものは他人からの評価であって自分で名乗るものではありません。
それでも敢えて名乗るのは、自分の主張に自信が無いからなのでは?と推測します。
自分の主張に確固たる自信があれば、他人からどういう評価を下されようが一蹴できる筈です。
こう言っておいて、何言っているんだよ。
教育勅語を復活させても問題を感じている所をお前何か指摘したか?
してないだろ。地政学だの略奪・侵略志向の近隣国家だのと
ほざいておいて、今更何言ってんだ。
ヌラリクラリとスタンスを明示しないで、チラチラと安っぽい本音を見せる。
俺に言わせりゃアンタは典型的な冷笑系のネトウヨだ。
ああ、俺は自身をリベラルだなんて思ってないよ。
アンタみたいな下衆な人間を小バカにしたい同等の下衆とは思っているが
こちらのコメントの主旨には興味もなければ理解もしていないが、議論は勝ち負けが全て、えげつない言葉の暴力、それも複数でよってたかってでも気にしない、という価値観のようです。
初めて書き込みしている私にお前呼ばわりはまあいいとして(良くないが)、よくもそこまで敵意をむき出しにできるなとびっくりします。
こちらの質問に答えず、更にこちらが言っていないことに反論してくるので、普通の人はまずその悪意に心が折れます。
話が通じないので、同じレベルで応戦して泥仕合する気がなければ、得るものがなく消耗するだけなので、放っておくのが最も最良の選択ですが、思い直してこちらの気持ちを述べてみます。
考え方や認識が違う方々と議論するのは、勝ち負けというより、見方考え方が違う意見に触れ、色々な気づきがあると、楽しいと思います。
議論は気づきがあれば、お互いに進化するものだと思います。
でなければ、不毛なマウントの取り合いに終始してしまう。
だからこそ認識が間違っていたと気付いた点があれば、相手が好戦的であっても認める。
相手を言い負かしたいだけであれば、詭弁を駆使し、声の大きい、好戦的でしつこいタイプが強いでしょう。
このブログのエントリー記事を知ったのは、偶然検索にひっかかり、なかなか扇情的なタイトルだったので興味を引いたのがきっかけです。
自分の認識と違うので、敬愛する小室先生の一文を紹介し、コメントしたのが
29 です。
それに対するコメントの指摘で、自分の認識不足に気づけるのは、ありがたいです。
議論でお互いに高めあえれば有意義だと思っています。
議論に勝つためだけの詭弁の応酬は勘弁願います。
ネトウヨを勘違いしすぎ。アイツらが求める日本は、戦中の大日本帝国であり今の日本は違う。だからネトウヨの言う「日本が嫌いなら出ていけ」は物の見事にブーメランとして帰ってきているんだよな。
最前線で兵士()たちに命令するぞ。まあ、その兵士たちも全員揃って命令する立場と勘違いしてる奴らだろうが。