<ざっくり言うと>
- 「自分が批判されるのは、自分が正しいから、真実を広められると困るやつらが攻撃してきているのだ」という発想はカルトの危険な発想であるので気を付けよう。
- この記事では尊敬する百田尚樹大先生のツイートを紹介していますが、記事内容とは一切関係ありませんとも。
このブログでは「愛国カルト」という言葉を用い、タイトルにも使っています。カルトと言えばオウム真理教ですが、私がオウムについて非常に興味深いと思っている点に、1990年の衆議院選挙後の対応があります。
ご存知の方も多いでしょうが、オウムは1990年に衆議院選挙に立候補しますが惨敗します。しかし、オウムは自分たちは本当は十分な票を取っていたのに、選管が得票数を偽って、国家ぐるみでオウムを潰しに来たのだ、と考えました。しかし、どうして国家が選管を巻き込んでまでオウムを潰そうとするのでしょう? その時のオウムの考え方はこういうものでした。


(『ザ!世界仰天ユース』2018年7月17日放送)
>>オウムの教義が本物だから
>>怖いんじゃないでしょうか?
「自分たちが攻撃されるのは、自分たちが正しいからで、真実を広められると困るやつらが恐れて攻撃しに来ているのだ」というわけですね。(この時は攻撃自体が妄想だったわけですが)
称賛されれば、自分が正しいから正当な評価を受けたと考え、自分が正しいという自信を深める。
批判されれば、自分が正しいことを言っているから、真実を広められると都合が悪い連中が恐れて批判しに来ているんだ、と考え、やっぱり自分が正しいという自信を深める。
どっちに転んでも自分が正しいという自信を深めるわけです。批判を全く受け付けないわけですから、当然どんどん過激な方向へ進んでいくことになります。それが「カルト」というものになっていくわけですね。批判を受け付ければカルトにはならないでしょうから、批判を受け付けないというのがカルトの第一条件と言ってもいいでしょう。
私が「愛国カルト」という言葉を使う理由の一つはこれで、愛国カルト連中はデマは吐くけど批判は受け付けず、批判されたら相手を在日認定するなどして「真実を言っている自分を在日が妨害しに来た」などと思うわけです。無敵理論ですね。
もちろん、世の中にはデタラメな批判もたくさんありますが、自分が批判されたとき、
「自分は真実を言っているから、真実を広められると都合が悪い奴らが自分を恐れて攻撃してきているのだ」
などと考える人間は、上記のようなカルトに染まっている恐れがありますので警戒したほうがいいですし、自分がそういう人間にならないように気を付けたいものです。
なお、下のツイートは、尊敬する百田尚樹大先生の感動的なツイートを紹介しているだけであり、この記事内容とは一切関係ありません。ええ、関係ありませんとも!
それにしても『日本国紀』に対する攻撃は凄かった。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2019年5月17日
「パクリだ」「ミスがある」と一斉に叩かれ、サヨクの弁護士、大学教授、ジャーナリストたちからは、私がサイン本を作った書店の不買運動まで起こされた。
極めつけは、中国共産党の機関紙から非難されたことだ。
そこまで恐れられた本だったのか😅
それもありますが、『日本国紀』には戦後のサヨクおよび朝日新聞の悪行を書いているので、とにかく百田尚樹と『日本国紀』をこの世から葬り去りたい、という思いが強いようです。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) June 3, 2019
あ、それと中国共産党の機関紙「環球時報」も『日本国紀』を批難したので、余計に使命感に燃えているのかもしれません。 https://t.co/HU70Muq3jJ
……。百田尚樹大先生が批判される最大の理由は、都合が悪いとかじゃなくて、単純に事実関係が間違ってるからだと思うんですけどね…。
普段から「普天間基地周辺は田んぼで後から住民が住み着いた」とか「民主党がエボラ対策の審議を妨害した」とか「マイク・ホンダは朝鮮系」とか「『保育園落ちた日本死ね』は山尾志桜里の自作自演」とかデマを吐きまくってる上に、文献資料に基づかず想像や類推で歴史事実を語っていいと考えている人間ですから。そりゃあ文献資料に基づかず自分の想像や類推で構築した話を、「自分の想像や類推です」と断らずに「通史」の中で歴史的事実として記述すれば批判されるのは当然だろう…。
あと、百田大先生の理屈だと、百田大先生が「沖縄の2紙はつぶさんといかん」と発言したのは、沖縄の2紙が正しいからってことになっちゃうと思うんですけどね。
ちなみに、百田尚樹大先生は、ツイッターで批判されると即ブロックします。批判を全く受け付けず(それどころか見もせず)、「俺が攻撃されるのは俺が正しいからだ」と思う人間がどうなるかは、某真理教を見ればわかりますよね。某真理教はテロ組織化して、被害者の会の弁護士や会長、立ち退き裁判担当の判事、最終的には日本政府という敵を潰していく方向に進んでいきました。
ちなみに、下のツイートは、尊敬する百田尚樹大先生の素晴らしいお考えを紹介しているだけであり、記事とも真理教とも一切関係ありません。ええ、ありませんとも。
もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) April 13, 2017
北朝鮮のミサイルで、北朝鮮に復讐するんじゃなくて、国内でテロ活動するって、もうただの犯罪者やん…。


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コメント
百田先生のツイートを拝見するに間違いを指摘するのは朝日新聞と中国とサヨクだと思い込んでるようで、統合失調症にみられる妄想性障害がみられますね
自分は正しいと思い込み周りが見えないのでしょう
次いで統合失調症の症状に
不安や緊張感、敏感さが極度に強まり、幻覚、妄想、興奮といった統合失調症特有の陽性症状が目立ちますとあるので百田先生病院を受診されるといいかと。
自分以外の考えは間違いであり指摘する人間は殲滅対象と認識する人間が昨今多いように
思えます、勿論自分の考えを持つのはいいですが他人はあなた自身ではないし
その考え方に共感しなくても仕方ないと理解しないと危険思想に足を踏み入れるかもしれません。特にデマ情報などで自分の身勝手を増幅し相手側を貶めようになるとカルト的になり
やがてカルト思想の集団になるかもしれないですね。
1.自分を天才だと考えている。
2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考え、そのような自分をガリレオ・ガリレイやジョルダーノ・ブルーノといった、異端であるとして不当に迫害された偉人になぞらえる。
4.最も偉大な科学者や確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
ただ、百田にはトンデモさんのおかしみがない。
例えば、かつて在特会に属していた人達も、会に違和感を感じながらもヌルい仲間意識の心地良さに浸ってしまっていた、と告白していました。結局、少しの間の気持ち良さを優先して、マトモな人からは見放されていくだけですよ。
障害に向き合い葛藤することで人は深みを増していくと個人的には思っています。
ですから自分の都合のいい解釈ばかりしてたら薄っぺらくてキャパシティの少ない人間にしかなりませんよ。
似てると思うの俺だけ?
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/48481
健康になるためのブログ
若者の多くは、安倍さんを支持しながら韓国に対して親しみを感じているのかもしれません。安倍さんは愛国カルト的なタイプの与党支持者よりも、もっと穏健な人たちを味方につけるべきだ。まあ無理だろうけどね。
人権意識でさえも時代と共に変化するからね。
だから今の自分の価値観でラインを引いて「ここまでセーフ!おまえはアウト!このクズめ!」なんてことは言うべきじゃないんだよね。
朝生でパヨク(笑)学者共を完全論破(笑)し、
ぐうの音も出ない程の無双っぷりを見せつけて下さいましたね。
その後ツイッターで勝利宣言をなさっていましたが、
あれを見てパヨク(笑)共はさぞかし恐れおののいた事でしょう。
出来る事ならまた生放送の討論番組に出演なさり、
パヨク(笑)共がもう再起できないように徹底的に論破(笑)してほしいものです。
出れば確実に勝てる戦い(笑)なんて大先生には面白くないかもしれませんが、
日本の敵(笑)を仕留めるためにもう一肌脱いでいただきたいものです。
文句や批判を言えば「顔真っ赤、図星だから怒っちゃった?」
こういう奴はもはやどうしろと?
何を言っても都合良く考える本人の事はもういいので、せめてそれを見た第三者がデマとわかるように、デマをデマだと指摘していけばいいと思います。
俺もそう思う
それで諦めて相手にしないでいると
仲間内でどんどん増長してくる。
もはや手のつけようがない。
高須某も同じレベルです。
こんな感じで。
>ネットde事実 ネットde事実 ネットde事実 ネットde事実
>救済は成功した! やったあー!
ちょっと笑えませんね・・・
よく言われるようにネット右翼って本人の思想の問題じゃなくて、精神病の症状の一つなんじゃないですかね
◯された引きこもりのネトウヨも精神病を発症していたみたいだし
本当に統合失調症なら
ツイッターどころじゃないけどね……。
被害妄想なら一理あるかもしれないけど
素で思ってるかもしれないですし
確信的なことは言えないです
「ハッハッハー相変わらずやのう!」と酔っぱらって流すのが正しい対応。
「アベちゃんって本物のバカ」というマツコさんに一票(-_-)/ハーイ
ちゅうか、日本国の行政の長(х立法の長)が、それ、というのは、そりゃ、諸外国からナメられるよね~(ー_ー;)アンタン
高須院長も相応にひどいと思いますが、百田大先生とは一つちがうところがあります。高須院長は自分と考え方が合わない人をある程度理解できる頭脳と、現場に足を運ぶ行動力があります。高須院長の肩を持つようなコメントになってしまいますが、殉愛事件でたかじんのファンを傷つけた百田大先生は高須院長を見習った方がいい。
国民・原口一博議員が高須院長と辺野古の海を視察!想像以上の”美ら海”に高須氏が涙!ローラさんに対する理解も?「サンゴ可哀そうに…」「ローラさんにはローラさんの考えがある」
https://yuruneto.com/haraguti-takasu/
ゆるねとにゅーす
口では「反論があるなら言ってみろ。俺は反対の立場の意見も聞き入れる」
とか言ってるのに、否定されたら烈火のごとくキレ散らかす
指摘されて初めて気づくっていう・・・
まあ気づいてもブロックしちゃうからやっぱりネトウヨの耳には届かないんですけどね。
自分は絶対的に正しくて批判するものは全て敵だと思い込んどる
あと記事とは関係ないけど戦争発言にスポット当てておっぱい発言をスルーするのはアカンで穂高くん
「立憲主義」の解釈は間違ってない
https://yoshinori-kobayashi.com/10076/
小林よしのりオフィシャルwebサイト
と言うか百田先生を始めとしたツイッター著名人は何でブロックするんだろ。反対意見は認めないっていう悪い印象を持たれるだけの気がするけど
>>28
百田先生病は百田大先生一人の持病じゃないんですよね
思想や立場の右左にかかわらず、カルト純度が高まった人々はみんな患ってる
思うに、ネット(SNSやツイッター)で極論を言って賞賛されたり、
『いいね』が付くことに精神安定・承認欲求を依存してるから、じゃないでしょうか
『インフルエンサーごっこ』というか、『界隈の英雄ごっこ』というか、『時代の寵児ごっこ』とでもいうか
右にしろ、左にしろ、そういった極論を語る人に大量に付く『いいね』の発信者たちは
本人に似て社会的にはまともとは言い難い信奉者の集まりになっていくから、一種の新興宗教みたいになる
始めは、ネット上で明らかにおかしいとわかる変な振る舞いや極端で偏った言動をわざとして
衆目を集める『炎上商法』『売名』を、狼少年のごとくやっているうちに
次第に集まった賞賛に本気になり、自分が時代の寵児、一廉のコミュニティの主になったかのように錯覚していって
そしていつしか『承認欲求モンスター』が誕生する
この状態が現在の百田尚樹大先生で、まともな意識が残っているのか疑わしいまでに症状が進行し
もはや引き返せないところまできているのかもしれません
そして、彼だけではなくて、他のネトウヨ系インフルエンサーや、その逆のサヨク系インフルエンサー
そして、政治的思想が絡まないビジネス系・意識高い系インフルエンサーも、同様に
『極論を言って“いいね”を集めて時代の中心になりたい』注目集め病を全員患ってるように感じます
肩書きが作家なのにSNSでの注目集めが主な話題性になってるインフルエンサー気取り、という点で
百田尚樹と、ブロガーのはあちゅうなんかはすごく類似してると思うし
はあちゅうやお仲間のイケダハヤトも『批判する者はアンチ』『反対意見はすぐブロック』
といったプチ独裁者・カルト教祖的な行動の特徴が百田尚樹と共通してるので
そうやって心を養うようにすれば、おそらく殉愛事件のような失敗はもう繰り返すこともないです。
>与党の改憲派は、ごく一部の例外を除けば明らかにカルトだからイヤですね。
あの改正案は明らかなアナクロニズムですもんね・・・
あの界隈は「教育勅語」というか戦前時代をユートピアと見做していますが、管賀江留郎『戦前の少年犯罪』(築地書館、2007年)や大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど―戦前のマナー・モラルから考える』(新評論、2013年)などの戦前時代を検証した本を読んだことがあるんでしょうか?
読んでいないのなら勉強不足ですし、読んでそう主張しているのであればトンデモないウソつきです。
ただ自民党、2013年以来一強状態を確立しているにもかかわらず、論議を殆ど進めていないところを見ると、改憲にあまり乗り気でないのかと思います。
仮に憲法改正の国民投票が否決されたら、現憲法に国民の信任というお墨付きを与えることになって、憲法改正を掲げる安倍首相の政治生命が危機に晒されるのと、「自主憲法の制定」を党是に掲げる自民党にも破滅的な影響を与えかねませんし。
議論が煮詰まっていない以上、自分も現状では反対ですね。
反日とか左翼的な思想があるかどうかはともかく、ネット上でジャップだのジャップランドだの連呼してウキウキしてる連中は、ネット上でだけ好き放題罵詈雑言を並べ立てて自己満足に浸っている、という点で「逆ネトウヨ」と言えるように思います。
あとは最近だと某よしもとの芸人さんなんかは、「反権力カルト」に近いんじゃないかな、と思ったりもしてます。
彼がデマや排他的な言動を垂れ流しているとは思えないので、カルトというのは言い過ぎかもしれませんが、>>29でSさんがおっしゃているように、ネトウヨ著名人と同じような「インフルエンサー気取りたい病」を患っているようには見えます。
長文失礼いたしました。
それを言うならその某よしもと芸人を無批判にヨイショしている某ネットメディアも「反権力カルト」と言っても過言ではないと思います。彼らもまたデマや排他的な主張をしているわけではないですが、だからといって「自分たちの『正義』に対してもう少し謙虚になったらいかがでしょうか」と言いたい記事も見られるので・・・。
>「自分たちの『正義』に対してもう少し謙虚になったらいかがでしょうか」
それ大事よね。
管理人さん含めここの人達に足りないのはソレだと思うよ。
そうやな
例えば敵対的報道効果やっけ?
右派左派問わず、ほとんどの人間は、自分と対立する派閥に優位な報道がなされていると感じてしまうってあれや
しかも当該問題に知識があるやつほどそうなるっていうタチの悪いトラップ付きやから始末におえんで
けど、そう言っとる君自身はどうなん?
それらの認知バイアス的な効果から完全に自由であると胸を張って言えるん?
そのうえで、「ここの人達に足りないのは〜」とか客観的な第三者気取りの台詞が吐けるん?
すべての人間にバイアスはかかっとるんやから、それを折り込んだうえで議論を戦わせるしかないんやで
そういうとき、ワイらは相手の言い分の方を7割減くらいにしか見られんから、それも勘案してな
ワイらはみんな、根本的に、自分が思っとる以上に無能なんや
君の言い分は、自分を特権視しとるようでワイは好きやないで
月の輪の雷蔵さん
謙虚さがない! 反権力はケシカラン! と言いたい訳では全くありませんが、「俺はお前らとは違うんだ」って態度を感じてしまうとその正義に共感できない、ということはままあったりします。
もちろん、デマを垂れ流したり、差別的な発言を繰り返したりしてるか否かという点において、ネトウヨとそういったアンチネトウヨをDD論で比較しようとは思いません。
上から目線で評するのも難ですが、ここの方々は(稀に例外もありますけれど)基本的に、「自民党支持はやめましょう」と諭すことはあっても、「自民党支持してるような奴はもれなくクズ」と短絡的に攻撃することはないので、自分たちの正義に謙虚だなあと私なんかは思ったりしています。
かなり賛成します、
あと、貴乃花も、その典型に入ると思います、周りの怪しい取り巻きたち、弟子力士に超高価なギターをプレゼントする人たちとか。
周囲に怪しい人たちが集まっている、貴乃花自身にそういう人を惹き付ける素因、暗さや嘘がある、と思います。
そんな貴乃花を政界に!?など、一切、煽らないでほしい。アホで無責任で軽佻浮薄な芸能テレビとか。
角界みたいにズタボロにされますよ。
私が言いたいのもまさにそれなんですよね
最近、オードリーの若林さんが、相方の春日さんの浮気騒動についてこんなコメントしてたり
『俺さ、今までそういう(人の不倫に偉そうにコメントしたりする)の、避けてきたんだよ。
すっと断ってきてんの。なぜって、俺はみ出し者だから。学校とかで、いつも和を乱す側だったから。
そんな立派な人間じゃない、って思ってるから。自分の正義に自信がないから。
善悪とか、俺判断できないから』
『アウトサイダーは、所詮アウトサイダーである』って謙虚さは、大事だと思うんです
昔、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーというロックバンドのボーカルがいたんですが
彼はそれこそ、ウーマン村本氏のように政治や社会問題に一家言を持ちつつ、こういうことも仰ってました
『世の中は間違いだらけだが、だからって俺が正しいわけじゃない。俺は昔マリファナもヘロインもやってたし、俺はイカれ野郎の不良だ。
世の中は俺みたいな間違ったやつだらけだから、間違いが起こるんだ。
だから俺が言いたいのは、俺がやり直したように、人の間違いにも寛容になれ、ってことだ。
間違ったやつに立ち直るチャンスを与えるんだ。それが社会さ』
“自分も間違いだらけ、欠陥だらけの人間なのだから、そりゃあ社会や他人だって間違いだらけだろう”
このブレーキって大事だと思うんです
このブレーキこそが寛容さの源だから
でも今、たぶん世の中ではこのブレーキが壊れてる人が増えてる
『社会が間違ってて、自分が絶対正しい』
こう踏み込んで、暴走しちゃう人がいる
だから社会が寛容になんかなるわけがないんですよね、お互いに排他・排斥を好むのだから
それが『正義の暴走』『正しさの私刑』の原因じゃないかあ、と思うんです
そしてこの『自分の正しさを疑わない』傲慢は、まさに百田尚樹大先生が患ってる病気
『尊大病』『独善病』だし、同じ病を患っちゃったら、批判する資格や説得力を失っちゃうと思うんですよね
そして、人を叩いたり、指弾することで『自分が正しい人間になったかのように錯覚する』
この『正義の快楽』に、右左問わず酔ってしまってる人が多いんじゃないかと思うんです
正しさを御旗にすれば、人を叩いて、自分の正しさを見せつける快楽に酔いしれられる
だから『クレーマー』も増えたと思うんです
自分が被害者で、相手に落ち度がある
この大義名分があれば、さも自分は立派な人間になれたかのように錯覚できる
ここを解決しない限り、無くならない現象なんじゃないかと思うんです
ひえいさんへ。
>ここの方々は(稀に例外もありますけれど)基本的に、「自民党支持はやめましょう」と諭すことはあっても、「自民党支持してるような奴はもれなくクズ」と短絡的に攻撃することはないので、自分たちの正義に謙虚だなあと私なんかは思ったりしています。
全くおっしゃる通りだと私も思います。私が以前よくいたサイトは二言目には、「ジャップランド」という罵声が飛ぶようなまるで発言の過激な方が正しいといった空気のサイトで、ベクトルが違うだけでネトウヨのサイトとあまり変わらない場所でしたから・・・。
なるほどそういった意見もあるのですね勉強になります
カルト的までいくと病的にみえる部分もあるのかなと思えることもありますね
勿論専門家ではない自分には診断しようがないですが。
>>21
色々皮肉も含めた表現でしたがなんか申し訳ないです
軽はずみな言動はよくなかったですね御不快になられたらすいません。
単純な話最近の世論の傾向として極論が好まれるのが
「自分が批判されるのは、自分が正しくてそれを相手が恐れているからだ」
に繋がってるように思いますね、なので支持の数が多く稼げる手法を利用する論客者が多いのかなと。極論で振り切ればある一定の支持は多く獲得できるし、頭を使う作業ではないので楽なのかと考えますね。
さらにデマや適当な言論で惑わせて誘導する集団が
「自分が批判されるのは、自分が正しくてそれを相手が恐れているからだ」
で信者を獲得した後に施す催眠的な手法なのでは。
余命事件の内情をみるに管理人さんの指摘はカルト集団にはよく使われる手段ではないですかね。
慎重な言論や論理的な物言いは最近の世論に合致しにくいのかなと
左右どっちかに振れた極論が最近の受けがいいトレンドになってるのかなと考えてしまいます。
でも、「絶対的間違い」はあると思っている。
そして、デマと差別は絶対的間違いだと思っている。
デマと差別は、「どっちの立場もあるよね」みたいなものじゃない。
「中立的な視点」みたいに、デマで差別を拡散するやつはボロカスのメチャクチャに言われて、人間のクズ、社会のゴミ、宇宙の害悪扱いされて当たり前だと思う。
お怒りはすごくよくわかるのですが、デマと差別にデマと差別で返したり
殴り合いに殴り合いで返したり、罵倒に罵倒で返したり、憎しみに憎しみで返したり
それじゃ火に油を注ぐだけで、解決にならないと思うんです
実際、ヘイトにヘイトで返すカウンターでは、この状況は悪化するだけで
現在まで何も解決しなかったわけですし
いじめられたら、いじめられた対象はキレるのが当たり前だと思う
いじめておいて都合よく『お前はキレるな』なんて抑圧は通らない
いじめられてる対象を、見かねて他者・第三者が手を貸すのも、当たり前で立派だと思う
でも、いじめへの反撃が新たないじめでやり返すのだったら、いじめが連鎖するだけで何も解決にならないんですよ
ヘイトへの反撃手段が新ヘイトじゃ、ますます憎悪が社会に充満するだけで、ヘイト問題は何も解決しない
それではもう、どっちもどっちなんて段階を通り越して、完全にミイラ取りがミイラです
ニーチェが語るところの、『怪物と戦いながら、己も怪物になった者』です
何より、それじゃ日本と韓国のお互いの政府と、民度の低い人たちが、お互いに売り言葉に買い言葉で、罵りあってる状況と何も変わらないし
罵り合い憎しみ合いを否定も批判もする資格を失うわけです
本当に解決しなければならないのは、この『怒りや憎しみに酔う』人間の性質の繰り返しだと思います
ここを解決しない限り、排除や他者不寛容、指弾、排斥が延々と続いて、人間はみんな毎日
バッシングや指弾の対象を探して、見つけて、見つけたら私刑する、を繰り返す
まるで魔女狩り社会みたいに
それが今このSNS社会の状況です
そういう『怒れる人々』を、煽って利用したのがアドルフ・ヒトラーだし、現在のドナルド・トランプだし
ネトウヨインフルエンサーたちのやり方でしょ?克服しなければいけない危険は、そういうことだと思うんです
学べる人だったら、なおさら正義に酔っちゃあ不味いと思うんです
間違ってる者を叩く快感に酔いしれると、自分が正しい人間になったかのように錯覚する
百田尚樹も、(どう見ても間違いだらけな人間なのに)本人なりにその正義に酔ってるからこそ
『自分の主張は絶対正しい』と思い込んで、批判を受け付けなくなるし、信奉者と極めて狭いカルトコミュニティを形成して精神依存するし
独善性と傲慢で俺様化して踏ん反り返る
確かに麻原と同じです
ヒトラーとも、今のトランプとも同じでしょう
彼のようになりたくなかったら、コツは『自分が正しいわけじゃない』って自覚を捨てないことだと思うんです
相手が間違ってる、だから自分は正しい
こうなると、百田尚樹病の第一症状だと思う
相手や社会には間違いだらけなことがいっぱいある
当然だ、自分も間違いだらけな人間なのだから
こう思うことが、百田尚樹病へのアクセルを踏まないコツ、ブレーキをかける方法だと思うんです
そして、過ちを犯した人間に寛容になる
『許す』ってこと覚えていかないと、社会の誰も受け入れられなくなって、
許せない人間を排除する、といった行動の繰り返しになる
それじゃ実際には、多様性や寛容な社会なんか遠のくばかりでしょう
ネトウヨ自身も、正義のつもりで異分子を排除しようという連中なのだから
怒りや正義で間違ってる人、ものを排除する攻撃に酔いしれるのか
それとも、怒りや憎しみを抑制して、他者を受け入れる努力をするのか
その分かれ道で、本当はこのどちらかを選ぶ人(ヘイトが好きな人と、寛容を目指す人)の
対立じゃないかとも思えます
>>殴り合いに殴り合いで返したり、罵倒に罵倒で返したり、憎しみに憎しみで返したり
具体的に何に対して言ってるのでしょうか?
なんか良いこと言おうとしてるなーとは感じつつも抽象的で何を指してるのかいまいち分からないです…
例えば今回の百田の件の何を問題視しているのでしょう?
口下手なのでうまく伝わらなくて申し訳ないですが
私は本来『反対意見の役割』って、『一方向へ暴走するのを止めるブレーキ』だと思います
与党に対する野党もそうですし、私はカウンター参加経験があるんですが
本来カウンターの役割は『ヘイトスピーカーのような急進集団の暴走を止めるためのブレーキ』ですよね
ですが最近危惧してるのは『カウンター側もアクセルを踏んでる』という点です
憎しみ対するブレーキとして機能するはずなのに、カウンター側も怒りのアクセルを踏み込んで
ヘイトとヘイトのぶつかり合いになってしまってる
百田尚樹に対して感じる問題点もそこです
百田尚樹は『反対意見というブレーキを受け付けない人物』なんです
だからあんなに暴走する
ブレーキが壊れたまま突っ走る、壊れた事故車なんです
最近、通り魔事件に対する松本人志のコメントが炎上しましたが、この記事に書いてあったことが私が言いたいことです
https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_12544/
>メディアで事件、ニュースを話す人はある程度「嗜み」が必要となり、ヒートアップした視聴者を冷ます役割があると思います。
>が、近年煽る人が増えています。それに乗っかるネットの存在。
>今回の事件に限りませんが、自分を律する必要がテレビに限らずコメントする立場の人にはあると思います。視聴者はバカではありません。
そして『ブレーキは冷静じゃなきゃいけない』
人の頭を冷ますために、現実的で冷静な見解を述べて、『水を差す』必要があります
煽ることとは逆なんです
煽りを期待してる人が、つまらない、退屈な意見だと感じるくらいに、冷静でいないといけない
なのに、今は『反論者、反対側も、ヒートアップして感情や憎しみを煽る』
憎しみを煽る意見の方が大衆受けがいいから
だから世の中が憎しみムード一直線におかしくなる
世の中全体が、ブレーキが故障したまま蛇行運転を続ける、事故寸前の車みたいな状態です
『過激なことを言った方が視聴率が取れるし、面白おかしく感じた人間が群がるし、極論の方がまとめサイトやYouTubeのPVが稼げる』
ネットもメディアも、こんなことを続ける限り憎しみなんか無くなりゃしないでしょう
今のヘイト充満状況を利用して阿漕に稼ぐ人だらけなのだから
そしてSNSのインフルエンサーたちも、人の怒りや憎しみ、不満を煽動して、そのリーダーになろうとする
それってドイツの大衆を憎しみで狂わせたヒトラーがやってたことや、ドナルド・トランプが今現在やってる
アジテーション(大衆煽動)と、手法がまるで同じってことです
そういう人間にこそカウンターを浴びせて、水を差して、大衆を冷静にさせて、憎しみのヒートアップの祭りは解散させる
それこそが、本来のカウンター意見者の役割だったはずなんです
つらつらと書いてるけど、要するに「煽るな」ってこと?
具体的にどう言った行動を問題視してるのですか?
百田を煽るなってこと?
いや、相手が暴力的でも暴力的に返すなというのはわかるんですが、難しいですよ、それ…。あの「中立的な視点」みたいなやつ相手だと…。
百田にしろ中立君にしろ、本人に語りかけるのではなく第三者に語りかけるイメージで行けばいいんじゃね?
「おまえは間違ってる!」じゃなくて「彼は間違ってると思うけどみんなはどう思う?」みたいな。
それだけで幾分かソフトな口調になるでしょ。
ついでに絶対善とか絶対悪について。
絶対善が存在しないのならその対極たる絶対悪も存在し得ないんじゃね?
少なくとも悪を叩く行為は絶対善ではないでしょ。
悪との戦いを善なるものと認識してしまった瞬間からそれは「聖戦」になってしまい、オウムやISと同じになってしまうよ。
デマと差別だけは、絶対悪だと思うなあ。
『るろうに剣心』の志々雄編のラストでも、
「何が正しいかは時代時代が後世の歴史に書き残す」
として、「絶対正しい」というものを否定しつつも、
「強ければ生き弱ければ死ぬという弱肉強食の時代だけは、絶対に間違っている」
として、弱肉強食の社会を絶対悪としていたのを思い出す。
僕は自分が善だとか正義だとか思ってやってるわけじゃない。「悪と戦ってる自分は善」とか思っていない。悪との戦い方にもいろいろあって、正しい戦い方や間違った戦い方もあって、「こいつは悪だから殺してしまおう」というのは間違った戦い方だと思う。「悪と戦う者」=「善人」ではないことぐらい百も承知。どっちも悪ということもある。
それでも、デマと差別だけは絶対悪だと思う。正しいデマ、正しい差別なんて存在しない以上、絶対悪と考えるべき。デマと差別が人類に幸福をもたらすことなんてないのだから。
あ、言っておくけど、ここで言う「差別」は「無差別殺人」などで用いられる「区別」の意味の差別ではなく、人を理不尽な理由で貶める方の差別ね。
紹介されていた記事、読みました。私がその記事から感じたのは
①無責任に煽るな
②バラエティーでよいしょされている芸人からまともな論を期待するな
③今回みたいなことはよくある、騒ぐな
の三つです。
これ、主にまとめサイトや、ヤフー記事などのコメント欄に対して言っているのではないでしょうか。議論を吹っ掛けられて、それに応戦する人たちは対象にしていないと思います。私の憶えている限り、管理人が
「テレビ番組を見てタレントが「こんな事言った」と書き起こすものです。それは編集側の意見が入らず、抗議が来た時は「この人がこういう事を言っただけ。それを『事実』として載せただけ」というエクスキューズで逃げられる」
https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_12544/
といった行動をしたことはないと思います
冷静な言葉は焼け石に水である事が往々にしてあります。
殴り返す様な激烈な言葉が事態を変えることもあるでしょう。
私見を述べさせていただきました。
百田が煽り屋だからこそ、百田を真似してはいけない、と思います
私が気がかりなのは、ヒトラーを否定していたはずの人たちが
自分も結局ヒトラー的なやり方をする(大衆の憎しみを煽る)って点なんです
その悪影響がある種極まってしまった現象が『上級国民』デマだったと思います
あの上級国民ヘイト加熱の時、ヒートアップして加害者に憎しみを向けていた人には
普段ネトウヨ的言説をしていた人にも、逆に反体制・反安倍政権的言説をしていた人にも、両者に等しく目立っていた
右左どちらの心にもヒトラーのようなヘイト感情は巣食ってしまってる、ということが
露わになったのがあの一件だったと思います
実はイデオロギーの違いは表面的なもので、根本では両者は憎しみで共通してるんです
そして今は、川崎の通り魔事件でも再び右左どちらの心にも巣食ってる他人への怖れ、
不信感、排他性、攻撃性、敵意、憎悪が露わになってしまってる
ネトウヨ側に優性的な思考で松本人志の言説に同調するものが多々いるのはもちろんのこと、
普段人道主義を掲げてたはずの人でさえ、自分が子持ちで、相手が自分にとって感情移入できない怖い相手(引きこもりの中高年男性など)だと
途端に加害者のような孤独な男性は地域社会から排除したり、安全の遠ざけたいと主張する(無理もない面もありますが)
これって、フェミニズムをこじらせすぎて痴漢を撃退するためなら相手の手を刃物で刺していい、という憎悪的な思考に至ったり
ヘイトスピーチには反対できるのに、自分にとっては気持ち悪い男性などが相手だと
排除や差別、ヘイトや偏見を肯定してしまう、といった左派のダブルスタンダードと同じ現象なんだと思います
こういう『自分の正義を疑わない』現象って、まさに百田尚樹が抱えてる現象だし、
ネトウヨがヘイトスピーチを自己肯定する主張(正義でヘイトと暴力を正当化)と、まるで同じでしょ
私もここのブログが好きなので、ここのブログのことを言ってるのではないですよ
もう一つ、この『ヘイトとフェイクニュース』シリーズを読んでみてほしいです
これを読んでいただくと、私も危惧してる『正義の暴走』現象の怖さがわかると思います
https://tablo.jp/archives/12244
https://tablo.jp/archives/12303
https://tablo.jp/archives/12353
https://tablo.jp/archives/12373
暴走する正義は、新たなヘイトの源になって、結局はヘイト問題は解決しない
いつしか、自分もヘイト加害者側になってしまう怖さ、ってことです
>ガンジーとかキング牧師みたいな人でないと、このブログで取り上げてるレベルの連中に対しては、「ぶちかます」か「無視する」の2つしかない
まさに、『その二人になるしかない』んだと思います
なれなくても、少なくとも見習ったり、真似したり、学ぶしかない
まさに私も、その二人が残した著作からは影響を受けました
そして、
>『るろうに剣心』の志々雄編のラストでも、
>「何が正しいかは時代時代が後世の歴史に書き残す」
>として、「絶対正しい」というものを否定しつつも、
>「強ければ生き弱ければ死ぬという弱肉強食の時代だけは、絶対に間違っている」
>として、弱肉強食の社会を絶対悪としていたのを思い出す。
志々雄誠の『所詮この世は弱肉強食』思想を肯定できないなら
なおさら『相手の暴力やヘイトを、自分の暴力とヘイトで塗り替える』のは
やっちゃいけないことなんです
それって、まさに志々雄のやり方そのまんまですからね
強い者が力で勝って、負けた者の論理を力で潰す
幕末はまさにそういう時代だったから、志々雄はそういう考え方、
『極端な性悪説者、悲観主義者』みたいなペシミズムに染まって、
現実の史実でも、会津戦争に負けた会津には、150年経っても未だに長州(山口)を憎み続けてる人がいる
これって、70年前の恨みを持つ韓国の憎しみより、もっと根強い怒りです
腕づくで物事の解決を求めてしまうと、結局恨みは後世まで残り、憎しみと復讐心が燻り続けると思います
記事を読ませていただきました。問題提起的な記事ですね。この前、ピックアップされた佐藤浩二問題なんか、まさにこれだと思います。
おそらくですが、「蔓延するヘイト問題」に対して、Sさんは友愛をもって解決に至ろうとし、管理人さんは抗戦(デマに騙され、差別するような人間にならないでほしい。話が通じる限りそのことに気付いてほしい。この場にふさわしくないなんてことはない、と主張していることから、友愛の精神も多分にあると思いますが)をもって解決に至ろうとしているのだと思います。ただ、
この記事に書いてあったことが私が言いたいことです
私もここのブログが好きなので、ここのブログのことを言ってるのではないですよ
なおさら『相手の暴力やヘイトを、自分の暴力とヘイトで塗り替える』のは
やっちゃいけないことなんです
いまいち、Sさんが何を言いたいのか、わかりません。矛盾とまでは言えませんが、主張の位置づけがよくわかりません。無理やり説明を付けると「このブログのことを言っているわけではない、なんとなく関係のある記事からSさんが読み取ったことによると、管理人のスタイルには改善の余地がある」といった感じでしょうか
あと、これ、私の経験からなんですけど、コメントは長いより短い方が返信を貰いやすいですよ。私も大概長文を書いてしまうのですが、短く書くよう心掛けた後の方が、会話に参加しやすくなった気がします。まぁ、Sさんの長文を読んでいて、読むの面倒くさいなぁ、と思い、そういえば、長文を多く書いていた時、返信がない場合よくあったなぁ、と今思い至ったのですが
追記)投稿ボタン押した後、愕然としました。これ、たぶん、ほとんどの人が読み飛ばすと思います
どうしてかと言うと、荒れない、ためです。
そして今思うのは、ネトウヨさんの無知やとんでも理論を 嘲笑ったり、けなしたりしている場合ではもはやなく、
百田氏や櫻井氏、長谷川豊や丸山穂積のような人達が跋扈しているのは、自分達の責任である。
ネトウヨってバカだなぁー、と人ごとのように考えるのではなく、彼等のような人達が増えているのは自分達のせいだ、と、我が事として捉え
彼等のような人達を国政に出してしまうのは、彼等のような人達をメディアにのさばらせてしまっているのは自分達の怠慢のせいだ、と
もっと真剣に、もっと必死に
選挙でも、意見の発信でもしていかねばならない
もう「日本の中に一部バカな人がいるなあ」で済ませてはいけない。 そう思っています。
「暴力やヘイトに、暴力やヘイトで対抗する」ことの是非も、私には答えがありません。
ただ、平然と知性のかけらもない差別用語を羅列して荒らそうとする輩に対しては、淡々とブロックするよりも徹底的に論破した上で、「お前の言動や思想は、今の社会倫理に照らして『ゴミクズ』と称されても仕方ないものだ」とあえて明示する方が、同じ轍にはまる人が少なくなるのではないか、と私は思います。
勿論、俺は偉人2人どちらにも当てはまりませんけど、最近では、どんな人が相手でも「ぶちかます」「無視する」以外の対応を心がけてるつもりです。
以前、ここに書いた事ありますが、俺は本来、マウントとるだけでなくパウンドでボコボコにして締め落としたいタイプ。
今でもスタンスは同じですが、方法を変えました。
荒い言葉使いは、相手を怒らせるだけ。しかも第三者に目くそ鼻くその印象を抱かれる危険性があるからです。
あくまで冷静に丁寧な口調で相手の主張に突っ込みを入れる。
論理的矛盾点を一つ一つ潰して逃げ場をなくすのが目的ですが・・・
返信してもらえない事が多いです。
罵倒語の選択も芸術的というか、ユーモアセンス?みたいなのも感じられるし、もはや罵倒"芸"の域に達している、ような。
誰も煽っている、とは思いませんね、孤高の武術の達人技?を見ているようです。
いつも楽しく読んでおります。
とても為になるブログだと思います。
ところで思ったのですが、事件を起こしたオウム真理教の信者の多くが
私なんどよりも、遥かに高学歴で、頭の良い連中なのに
「超能力で空中浮遊できる」とか誰でもありえないとわかることをなぜ信じてしまったのでしょうか?
管理人さんの見解を教えて下さい。
よろしくお願いします。
>>いつも楽しく読んでおります。
ありがとうございます。
>>「超能力で空中浮遊できる」とか誰でもありえないとわかることをなぜ信じてしまったのでしょうか?
僕はオウム事件のころ、まだニュースに興味がなく金曜日の『ドラえもん』の方が楽しみな年齢だったので、当時の空気というものをリアルタイムで理解していないので、以下は、あくまで報道やオウム特番などから僕が考えた内容としてお読みください。
どうも、当時は2つの風潮が同時に存在していたらしいんです。
1つはバブルに浮かれた楽観的な空気。
もう1つは世紀末終末思想の悲観的な空気。
オウムに入った若者たちは、前者に乗れず、後者に乗っかったらしいんですよ。
「金を儲ける奴が偉い」「どんどん金を使え」「騒げ」というバブル景気の空気になじむことができず、
「人を追い落として金を得るなんてことしたくない」
「物質的な豊かさより、精神的な豊かさを求めたい」
事件を起こした幹部連中は、どうも共通してこういう考えを持っていたらしいんです。
同時に、当時は終末思想というのが流行っていたらしいんです。「1999年7月人類滅亡」という五島勉の『ノストラダムスの大予言』が大ヒットしてしまうような時代で、冷戦が終結しても、核戦争への漠然とした不安があった。麻原は、繰り返し「20世紀末から21世紀にかけて核戦争が確実に起きる」と予言して(ハルマゲドン)、不安をあおっていました。
事実、麻原は『ノストラダムスの大予言』に傾倒していて、オウムはフランスまでノストラダムス研究に行き、実際に麻原はノストラダムス関連本を出版しています。(もちろん自分が救世主として予言されていると解釈しているわけです)
その終末思想の中で、「精神世界」というものが大流行りしていたらしいんですよね。スピリチュアリズムと呼ばれるものでが、オウムはもともとヨガ修行から始まっており、オウムは精神世界ブームにまさにマッチしていたんです。
また、今では超能力なんて信じている人は珍しくなっちゃいましたが、当時、ユリ・ゲラーなんかも大流行りしていたことからもわかるとおり、超能力ブームで、「修行したら超能力が身に付く」というのは、今よりもかなりリアルに信じていた人が大勢いたみたいなんです。
・バブル
・終末思想
・精神世界
・超能力ブーム
この辺がキーワードですね。
バブルの物質的豊かさになじめない、言ってみればナイーブで心優しき若者が、精神的豊かさを求め、ヨガで修業を積めば超能力が得られて、精神世界で高度な人間になれて、超能力が得られ、終末の世を救済できる。
どうも、こんなふうに考えたらしいんです。
どうやら、『ノストラダムスの大予言』やユリ・ゲラーの超能力を信じている人が大勢いたその時代の空気が、麻原の「超能力」も信じてしまうことに繋がったらしいですね。
なんか「らしい」ばかりですみませんが、どうもそういうことらしいんです。
横から失礼、
頭がよい、というより、「入試含むテストの回答テクニックを、子供時代、受験生時代に、(ほとんどの場合周りの大人の多大なサポートを受けて)狭視野的に磨いて、入学した」人たち、だから、ではないでしょうか?
たぶん、ほだかという人も、そういう類いの人なのではないか、と思っています。
東大京大含む難関大学にも、一定の割合で、そういう感じの人はいるなあ、と思います。
一方で、難関大学にも、私学にも、本当に頭が良いなあ!視野が広くて人格も!、と思う人もいて、
でもそこはやはり、難関といわれる大学ほど、知識や理解力など地頭良~い!と思う人の割合は高い、と、感じます。(でも人格分布はどうかな?どこも一緒かな?コミュ力は私学のほうが偏差値高そう?)
でも本当に優秀な人ほど、悪目立ちしないんですよね、ちゃんとその界の仕事で忙しいので。
一方、
・カルト宗教にはまったり、
・オレがオレが、とネットやマスコミで目立ちたがったり、
・過激な発言を得意になる議員
は、
実は同根のところがあるのでは、と思います、
「教祖様に認められたオレ世間から尊敬されたい」
「ネットで認められたオレ世間から尊敬されたい」
「総理様に認められたオレ世間から尊敬されたい」
結局オレ、の「そういう類いの人」が多い、百ちゃんとか話題のほだか氏とか、鳥取大出身のもと維新の女性国会議員みおさんとか、足立議員とか、、それがまたよく維新とかアベサンの周りに集まるんですよね~~!(ー_ー;)アーヤダヤダ
あと、上祐史浩(現「ひかりの環」代表)も村岡達子(アレフ元代表)も言っていたのですが、オウムに入信する際、「神秘体験」をしたらしいんですよ。
半信半疑だったのが、入信の際、麻原に触れたら、不思議な体験をしたと。僕には何のことか全然わからないんですが、なんか、この世の真理を理解したとか、悟りを開いたとか、そんな感覚に襲われたらしいんです。
この神秘体験が、オウムに傾倒する大きな原因だったそうです。
あと、麻原は言葉が巧みだったらしいですね。なんかすごく説得力があるらしいです。ヒトラー演説みたいなもんなんですかね?
そうそう!ノストラダムスの大予言、ありましたね~!
私、1999年の9月9日に、個人的祝イベントを予定していたのですが、6月頃に友達に言うと
「あ~、それ(人類滅亡後だから)来ないな、気の毒に」
と言われました(^^;
(当然、滞りなく迎えられました)
麻原については
http://serial.jakou.com/god.htm
このサイトのオウム真理教のところが参考になるかも(一番下の項目)
生い立ちがかなり特殊な上、弱視だったために人の機微を感じ取るのに長けてたのかもしれませんね
https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12434770907.html
「『日本国紀』が売れなかったのはサヨクの妨害のせい」。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1124952055922155520
マジレスすると現在も普通に書店に並んでいるし、店によっては未だに新品の第1刷が売れ残っています。単に百田派以外の保守・右派受けが悪かっただけでしょう。たとえサヨクの妨害があったとしても、買う人は買うでしょうし。
現実を受け入れられないから陰謀論に走る典型ですね。そういえば『日本国紀』にもWGIP陰謀論が登場しています。
丸山穂高みたいなのはそういう感じがしますが、オウムは違う印象ですね。
今でも「ひかりの輪」なんてやってる上祐とか、最期まで麻原に傾倒していた新実とか、「俺様は麻原尊師の側近だぞ」という態度だった村井秀夫なんかはともかく、林郁夫とか広瀬とか土屋とかは、全く違う印象です。
オウムって、人の心の隙間に入り込むのが上手かったみたいなんですよ。例えば土屋はラグビーに青春を捧げるはずが怪我で退部し、高校時代からの彼女にフラれ、目標を見失って将来に不安を抱えていた時にオウムに出会い、そこに心の癒やしを求めてしまったんです。
林郁夫は最初に自供して自首が認められ、裁判でも号泣して反省していましたし、広瀬は被害者遺族への謝罪の手紙を書くために獄中でペン習字を習うなど、かなり誠実な印象です。
オウムの人たちは、ネトウヨや丸山穂高なんかとは違って、「俺様は偉い」じゃなくて、むしろ真逆で、「俺なんか無価値なんじゃないか」という心の弱っていた時に、「救われたい」という一心で、オウムに居場所を見出してしまった人たちなんです。
これは心が弱っているときには、誰にでも起こりうることだと思います。オウム事件は、「頭のおかしなやつがおかしな事件を起こした」というものではなく、麻原以外は、真面目で悩みの多い謙虚なタイプが多かったように思います。
カルトって「自分が批判されるのは、自分が正しいから」というよりは、「自分たちが批判されるのは、自分たちが正しいから」って考えてる人たちって印象があります。
自分の所属している集団と同化している人たちっていうか。
でも、自分の所属する集団に一人で異議を唱えるのって、自分で自分を疑うことより、難しいことだったりする。言ったところで意味がないかもしれないし、危険かもしれないし、怖い。
だから、都合の悪いことは見て見ぬふりをして、集団の決定に流される。楽だから。
そうして間違いを重ね続けるうちに、その集団以外には居場所がなくなってしまう。引き返せなくなる。
そうなると集団を盲信するしかなくなってしまう。それがカルトだと思います。
「教祖様から認められたいオレ」
と
「世間から尊敬されたい教祖様」
と、パッションが別人格で、
それらの共同作業だった、ということでしょうかね。
でも、「教祖様(=実は自分の投影!自分を一体化している)を、世間は尊敬すべきだ」という心情は、犯罪に走った信者にも、あったと思う。一段階おいての、世間に対する自己承認欲が、信者の深層心理にもあったというか。麻原に全部操られただけじゃなくて。自覚していないでしょうけど。
オレ自身は栄誉を求めない、みたいな、自分認識ピュアっぽいところが、ますます、行動を尖鋭化したのではないでしょうか。
別にここのブログのことを言ってるのではないんですが
最近、左派(所謂ネトサヨ、ツイサヨと呼ばれるようなクラスタ)も
『暴走』が目立つから、危機感を持つに至ったわけです
特に、決定的だったのが『上級国民』事件での暴走でした
あれなんてナチスが『ユダヤ人の富裕層=上級国民がこの国を狂わせた元凶だ』
と扇動していたこととなんら変わらないのに、噂やデマに乗っかっちゃってた左派アカウントがかなり目立った
ヘイトは左も抱えている、って証左です(そしてそれこそが、吉田豪さんがいうところの『自分の正義を疑わなくなった人たちの暴走』だと思う)
私が何に危機感を持っているかは、私の最初のレスが>>29で、>>16と>>28への返信であることから読み取ってもらえるかと思います
私も以前カウンターデモに参加していたのですが、最近は距離をとってます
理由は、カウンター側にも暴力的な態度、挑発、暴言を笑いながら楽しんでしまっている人たちがいる現実を目の当たりにしてしまったから
実は両者は同根なんじゃないか、と最近は距離を置いて分析しています
両者に共通するのは、実は『憎しみ』で、フラストレーションの発散が一番の目的になっている面があるんじゃないかと、お互いに
そして、そういう人たちが抱える『憎しみ』の導火線に、煽って焚き付けて英雄(インフルエンサー)になろうとする人たちがいる問題です
百田尚樹の教祖気取りもそういう例だし、同様の『教祖』はカウンター側にもいる
一番の問題は『憎しみや何か・誰かへの敵意で人々を束ねようとする問題』(アジテーター問題)なのだと思うんです、右も左も
百田尚樹も典型的なアジテーターですし
右に非科学的な親学などのスピリチュアル思想や、百田尚樹のような史実を無視する歴史修正主義者が蔓延してるのは皆さんご周知だろうし
左にもスピリチュアル思想が侵食しちゃってるのが現状です
最近も山本太郎議員がスピリチュアル勢力の支持は借りないと断った例が記憶に新しいですし
立憲民主党の党勢が早くも萎んでしまったのも、おしどりマコなどのスピリチュアル系、
科学的根拠に基づかない放射能デマ常連の自然派カルトと手を結んじゃった影響も大きいと思います
なぜ引っかかるのか、といったら『人間は地味で退屈な事実より、刺激的な嘘(デマ)が好き』だからです
世界で最も稼いでる映画は、事実に基づいたリアルなドキュメンタリー映画や学術的な記録映画じゃなくて
荒唐無稽なアベンジャーズやスターウォーズですよね
逆に、事実しか教えない学校の授業は退屈で仕方なくて、多くの人にとって苦痛です
オウムのノストラダムス神話に理系や多くの大卒・高学歴者が引っかかったのも、
『大学での地道で退屈な研究作業より、オウムの教義・活動のほうが娯楽性が高かった』からだと思います
だから百田も支持を集める(本は売れてますし)
なんだかんだで幸福の科学も潰れない
まとめサイトも『地味な事実を掲載するより、大げさな嘘、フィクション、デマを載せたほうが稼げる』からデマを拡散する
数年前、『帰ってきたヒトラー』という本と映画が話題になったのですが、その作品の中でも
ドイツ国民がヒトラーに煽動されていった理由は、『ヒトラーはエンターテイナーだったから』と結論付けています
(実際、イギリスのロック・スター、デヴィッド・ボウイは生前、ヒトラーの大衆煽動術を研究していて
『彼は世界で最初のロックスターだった』、とコメントしてたり)
『劇場型政治』ってやつです
そしてこの手法は、政治じゃなくても応用できる
事実より架空性が強いほうが、『人間の感情(喜怒哀楽)を喚起する』
ポピュリズム、劇場政治ってそういうものですよね
刺激が強い情報(嘘)のほうが、人の興奮を刺激できる娯楽性が高い
だからです
そして、スポーツ観戦とかでもよく問題が起きますが、人間が最も興奮状態に陥るのって、相手への敵意でしょ、それも集団での
だからSNSでもネットリンチが常態化するし、『大衆のフーリガン化』が加速する
カルト宗教と、人を熱中させるカラクリは同じ
オウム問題は終わってなくて、SNS中にオウムビジネスの後継者がいる状態です
彼らの手法は『憎しみを刺激して熱狂させ、群させること』
オウムが社会への敵意を煽ったのと同じです
極めて危険だと思います
>>大学での地道で退屈な研究作業より、オウムの教義・活動のほうが娯楽性が高かった
いや、百田あたりはともかく、オウムは娯楽性はないんですよ。土屋なんかは結局オウムに入ってからも地道なサリン研究をやったり、村岡達子は地道な翻訳作業をやったりしているでしょう?
オウム信者の話を読んでみると、やはり心の救済を求めている。
例えば、岡崎元死刑囚は、もともと営業の仕事をしていたんですが、当時の心境について
「数字で人の価値を決めてしまう社会につくづく嫌になった」
と述べています。そして、オウムに出会った時、麻原に
「私は嘘をついたものを売ったことがある、穢れた人間です」
と言ったら、麻原は
「そう思った時から、貴方の罪は消えている」
と答えたそうです。それで心が救われたと思って、オウムに入信してしまうんです。彼の場合は幼少のころ虐待も受けていたので、麻原に理想の父親像を見出してしまったみたいなんです。上祐も、自分の父親を尊敬できなかった分、麻原に理想の父親像を見出したと言っていました。
岡崎は高学歴じゃありませんが、高学歴信者を見ても、彼らは「オレ様は高学歴のエリート様だ」という意識はなく、むしろ「オレは勉強ばかりしてきて、それを何にも活かせていないじゃないか。オレは誰の役にも立っていない駄目な奴だ」という劣等感を抱いていたんです。同じ高学歴でも、丸山穂高あたりとはむしろ真逆と言っていい。
オウムはエンターテインメント性というより、「安心」があったように思います。
オウムの場合、バブルの時代の乗れず、自分自身の価値が見いだせず、将来への不安を持っていた若者たちが、「お前は価値がある人間だ」と言われて心のよりどころをオウムに見つけ、さらに「自分で考えなくても麻原尊師にすべてをゆだねれば間違いはない」と思い込むことで、自分自身で考えなくて済むから、自分で自分の将来を心配しなくていい。ただついていくだけでいい。これは楽ですよね。
自分で考えないって楽なんですよ。自分で考えないっていう点ではネトウヨと共通しているんですが、ネトウヨと求めているものが違う。
ネトウヨが百田に惹かれるのはエンターテインメント性になんでしょうけど、オウムの場合は、エンターテインメントみたいな「楽しい」じゃなくて、「安心」に惹かれたのだと思います。
ネトウヨにしろオウムにしろ、そのようなものに取り込まれないためには、「自分で考える」ことが何よりも大事だということです。ネトウヨはSNSで流れてきたものを、自分の脳みそ使わないで「そうだったのか!」と鵜呑みにするというところが問題なわけですね。
助言として受け取らせていただきます
確かに、こういった場所で論ずるとき、昂揚感がないと言えば、嘘になります
ただ、時代を代表するハリウッド映画として、スターウォーズとアヴェンジャーズの間に、タイタニックがあります。ヒット映画はその時代の何かを考察する手がかりにはなるかもしれませんが、人類の傾向の証左にはしにくいのではないでしょうか
ついでに、デジタル大辞林には、スピリチュアルの説明として
[形動]精神的な。霊的な。宗教的な。
とあります
ですが、ガンディーの言葉に『神だけが実在する』『政教分離が可能だという者は宗教をまったく理解していない』など、宗教的、精神的、霊的なものが多々あります。また、ガンディーが尊敬するトルストイの『人生論』にもいわゆるスピリチュアルな言葉がよく出てきます。
スピリチュアルと偉人は切っても切り離せない関係にありますが、これこそ、インフルエンサーなどの落とし穴が大量にありそうで怖いですね
>丸山穂高あたりとはむしろ真逆
というご見解についてですが、私は、
丸山穂高も、実はすごい劣等感を持っている人じゃないか、
と思っています、
たぶん、足立くんも、百ちゃんも。
オウム信者との違い?は、彼らは劣等感や罪悪感を素直に出せないタイプで、
劣等感の裏返しの強がり、虚勢が、彼らの突飛な行動につながっている、
その哀愁?みたいなの、を、ネトウヨさんたちは敏感に感じて惹かれてる面があるのではないか?と思いますが、
どうでしょうね?
私はそうも思いつつしかし、彼らのおかしな行動は、世間に迷惑だと思います。
そういう人には大勢を任せてはいけない、責任ある地位につけるべきではない、と思います、なぜなら判断を間違うことが多い不安定なメンタルだから。
(間違って国会議員などやらせてはいけませんよね!)
管理人さん、Lanさん、ご意見ありがとうございます
ちょうどタイムリーに、少し前のニューズウィークジャパンが百田尚樹の特集記事を組んでいたので
ご紹介したいと思います
https://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2019/05/post-285_1.php
もちろん、この記事は百田を肯定したりもてはやす記事ではなく、
『百田現象(と、よく似たトランプ現象)』を分析して
『誰があんな暴言王を支持してるのか』
『誰が百田の本を買っているのか(驚くべきことに、あれでもそれなりに売れてはいる)』謎に迫る、という内容です
ここで私がすごくピンときたのは、ニューズウィークジャパンの編集部も危機感を覚えた
百田支持者の『リベラルは面白くない』って風潮なんですよね
百田は『(間違ってるけど)面白い』
リベラルは『(正しいけど)面白くないから支持されない』
帰ってきたヒトラーでも分析されてた
『ヒトラーはホラ吹きエンターテイナーだから支持された』という結論と
案の定同じことが現在進行形で起きちゃってる、と
(ジョジョの奇妙な冒険でいう所の『悪には悪の救世主が必要』ってヤツですね)
は確かにあると私も思いますが、やっぱり『空中浮遊』とかの数々の超能力演出、
音楽の利用、アニメ制作、アニメを参考にしたSF的で壮大な筋書き(嘘)、
人類滅亡に立ち向かう戦士たちみたいな荒唐無稽な設定とか、信者じゃない人からすれば
客観的に見たら珍妙で笑えてくるんですけど、当の本人たちは真面目にその世界に浸って
ヒーローごっこに染まっちゃってたと思うんですよね
それらの演出、脚本は、必ずしも当事者が安心を覚えるためのもの、というより
まるで演劇みたいに高揚するためのもの、というか『夢中にさせるためのコンテンツ要素』というか
実際、信者じゃなくてもサブカルとしてオウムを持てはやして、面白がって、遊んじゃってた著名人はかなりいて
例えば大槻ケンヂやみうらじゅんなんかも当時オウムウォッチャーだったことを告白してますし(からかい半分でしょうが)
香山リカや雨宮処凛なんかも、当時はオウムに好意的だったことを反省の弁として述べてたり
当時から面と向かってちゃんと批判してたのは、小林よしのりですね
吉田豪も幸福の科学がアイドルグループをやりはじめた時に、『オウムで学んだと思いますが、世の中には面白がっちゃいけないものもあります』と
幸福の科学への警戒心が緩むことを危惧するメッセージを発信していました
『面白いか、面白くないか』
で支持されるポピュリズムって、本当に危険だと思います
百田も、類似する『インフルエンサー』たちも
麻原や、ヒトラー、トランプと同じで『パフォーマンスで支持されている』
さらに、左派にもこのやり方を覚えちゃう、真似しちゃう人もいる
正しい情報の発信や、冷静な発信で、大衆の熱狂に水を差すより
火をつけ、煽ったほうが支持されやすいから、『大衆煽動』に手を出しちゃう
支持されるためならデマも誇張も多少は仕方ない、みたいな風潮が蔓延する
煽り屋になっちゃうんですよね
百歩譲って、その煽りが『憎しみ』とか『怒り』を煽るのでなければ無害だとは思います
(オウムも社会への憎しみ=ポアを煽らなければ、そこまで害はなかったと思う)
確かにガンジーもキング牧師も同じく宗教家でしたが、彼らも憎しみを煽動はしなかった
でも百田も、ネトウヨインフルセンサーも、左派側の問題あるインフルエンサーたちも
『憎悪と敵意を煽って大衆に支持されるポピュリスト』になる道を選んじゃうんですよね
憎しみや怒りを喚起するほうが、人を煽るのが簡単だから
だから、百田とその周辺もオウムの反社会性に似るのだろう、と思います
(あっママズイ!)
バブルの享楽的な雰囲気に流されるかどうか、は、当時、自分で選択できたわけですよ、怪しいスピリチュアルに走るかどうか、も、超能力ブームに乗るかどうか、も。
バブルの当時でも、豊かになった社会を感謝、享受しつつ、自分を見失わず、コツコツと仕事をした人もいたわけで、
例えば、スポーツ界では野茂とかね、科学界でも後にノーベル賞受賞者が続出したのも、社会が豊かになった時に研究もしやすかったおかげが大きいと思うし、
競馬なんかも、あの頃一気に欧米に引けをとらないレベルアップしましたし、
今、フィギュアスケートの羽生くんとか、大谷くんとか、陸上選手とか、世界に通用するスポーツ選手が日本人から続々出てくるようになったのも、彼らの親世代がちょうどバブラーくらいでしょう、その親や指導者などの人たちは、バブル期に豊かになったので例えば海外旅行にも行きやすくなった、海外で勉強などもしやすくなった、その機会に世界の見聞を広げて、センスを磨いた、そしてその地力で子供を選手に育てた、のではないかな?、と思います。
バブル期だって、浮かれるかどうか、浮かれた反動でスピリチュアルや新興宗教に走るかどうかは、人それぞれだった、という実感です。
浮かれてバカ騒ぎしていた人たち、環境もあったのでしょうが、反面、真面目な地に足のついた人たち、環境も、全然ありましたし、真面目な環境は、おそらく今より良かった、と思います、社会に余裕があったのでね。
という管理人さんの印象は、ちょっと現在の厳しい社会の色眼鏡がかっているのではないか、と思います。
バブル時代は、生活がかかっているという実感はなく、もっとお気楽で無責任な、日本は豊かになったから少々何やってもやんちゃしても大丈夫だー!みたいな、油断があった、
その緩みがケシカラン!と、新興宗教に走るのも、ファッション的な軽さだった、
と思います。
だいたい、将来の不安といって、ノストラダムスの大予言、というところから、子供っぽい、不真面目でエンタメチックでしょう?
エリート?医師の例は、真面目だからオウムに行った、というより、深層ではやはり医学という真面目フィールドで努力するのが嫌になって、エンタメに走った面があっただろう、と思われます、Sさんのご見解の通り。
(「エリート」といっても実は医師の中では浮いていたのではないか?ところがオウムでは「超エリート」と呼ばれるでしょうから、そりゃ心地いいでしょう)
岡崎はwikiを見ましたが、ちょっと違うようですね、彼は独自にヨガの探究をしている過程で、オウムに関わってしまった、だから「違う」と気づいたらオウムから逃げている、
もしも、彼が別の探究フィールドに出会っていたら、別の人生があったかもしれない、と思いました。
自分以外は全て悪
>特に、決定的だったのが『上級国民』事件での暴走でした
私はあの騒動に、管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか―冤罪、虐殺、正しい心』(洋泉社、2016年)に登場する「市民の間に盛り上がる囂々たる空気」(p.370)をダブらせました。
義憤や正義感などの感情を利用すれば、人(自分を含めて)はいとも簡単に扇動されるんだなと改めて戦慄を覚えましたね・・・
愛国カルトとは見事な表現だ。彼らは「踏み外している」感が強い。
今からでは印象地味なので分かりづらいですけど。
そして真面目フィールドも、今よりも、経済的環境が良く、やりやすかった、ですね、たぶん、どこでも。
経済的貧困家庭や片親家庭でも、生活保護を受けつつ親が真面目に働いて子どもが真面目に勉強して国公立の大学に行けば、大学もなんとかなる道は開けていた。奨学金も、国公立の学費が安かったので、返済するのに今ほどは大変ではなかった。私の知り合いにもいますし、今、東大の先生をしている阿古さんも、そうらしい(「でも私は現在の社会状態だったら、大学には行けなかったかもしれない」と阿古さんは書いていられます。今のほうが若者を取り巻く環境は厳しい面がある、バブル期のほうが若者に優しかった面がかなりある、と思う)
でもたしか大学進学率は3割くらいでしたっけ、高卒で働くのも、まだ普通にありましたね。大学はみんな無理して行くところ、ではない、勉強したい子が行くところ、という感じ。
野茂も、高卒で新日鉄に就職した。でも、しっかりしていてバブルで浮かれなかった人のだろうなぁ、と思います。
今はみんな大学行くせいか、昔より大学生が幼稚だと感じます。大学生になっても先生や大人に管理されたがっているような。
「思考停止」「他者に判断を依存する」=幼稚 ≒ 自己認識"ピュア"とか"純粋"(←その方がコントロールしやすいので麻原などはそうなるようおだてて利用する)
という図式があるかもしれませんね。
てことはネトウヨさんたちもある意味"ピュア"で"ナイーブ"で"純粋"なのかも(((^^;)ヒク
(よし子ばりに「○ソがッッ!」と言いたくなりますが)
正義っていうより、『独善』になってしまうからですね
正義と独善の区別も、そこに怒りや憎しみといった感情・私情(エゴ)が混ざるか
混ざらないかで区別できると思います
私情(エゴ)を混ぜない正義というのは、冷静でいないとできなくなる
そして、私情(エゴ)を混ぜない冷静な正義って、本人は何も楽しくない、むしろストレスや重圧になるんですよね
(例えば、冤罪を出せない立場の裁判官とか、警察官・検察なんかは、いつもそのストレスと向き合い、戦って仕事してると思う。
判断を間違っちゃったら大問題だから、私情を殺して冷静で居続けないと務まらない)
裁判員制度への反対意見や、実際にやってみてものすごくストレスになった、という意見がよくありますが
自分の怒りを抑えて、冷静に考えてジャッジを下す、ってよほどの精神力と我慢が要る
何かの義務じゃないととてもやっていられない
でも、自分の感情の発散って、楽で気持ちがいい
怒りや憎しみを爆発させるのって、思いっきりサンドバッグを叩くのと同じだから
冷静さの『我慢』をする必要がない
しかも、ネットリンチは義務でも仕事でもないですからね
だから多くの人は、自分のエゴを抑える我慢がきかなくなって、自分の弱さに折れて、暴走を始めるのだと思います
大阪の母子家庭の高校生を、大阪府知事の橋下が、侮辱的に罵倒して悔し泣きさせた💢事件、動画が象徴的ですが、
公が💢そうしていることもある(橋下、維新は府立大を詐欺的手法で補助金増額し、それを中間搾取した事実もある💢)
若者、そして真面目フィールドでやってきた人たちもバブル期よりずっと苦しい、展望も暗い、
その事が、管理人さん(真面目フィールドでしっかりやっている普通の人だと思う、バブル期にオウム幹部になったような人たちよりもずっと)のような、普通の人が、今、「オウムに惹かれた人の気持ちがわかる」と言うようになっている理由ではないか?
と、思うと、
おいおい日本、チョー危ないんじゃないの?(TДT;)
と思います。
>今はみんな大学行くせいか、昔より大学生が幼稚だと感じます。大学生になっても先生や大人に管理されたがっているような。
>「思考停止」「他者に判断を依存する」=幼稚 ≒ 自己認識"ピュア"とか"純粋"(←その方がコントロールしやすいので麻原などはそうなるようおだてて利用する)
>という図式があるかもしれませんね。
アニメの話になっちゃいますが、一昔前の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』というアニメで
主人公のシン・アスカという少年が、ギルバート・デュランダルという大人の指導者のいいなりになって
スターウォーズの皇帝パルパティンの傀儡になったアナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)よろしく
主人公から悪役(ダークサイド)へ、という衝撃の転落劇になるんですけど、放送当時この主人公のシンの転落と扱いに
脚本家への批判や、シンへの同情(そしてシンを倒した前作主人公のキラ、アスラン、ラクスへのヘイト)が殺到したんですね
でも私は、今再評価すると、このシンを通じて描かれた若者像、って結構的確な現代の若者批評だったんだな、とも感じてます
シンの行動って、本来のシリーズだったら、逆襲のシャアのシャアにたぶらかされたクェスとか
ガンダムUCの、フロンタルを崇拝するアンジェロのような、悪役側の行動なので
Sさんのコメントは管理人さんに向けてのものではないかもしれませんけど、もしもそうなら、
多少の口喧嘩、は人生のリクリエーションですよ、管理人さんの罵倒なんて、爽快感とユーモアと、(これいっちゃうとドッチラケですが)愛✨を感じますから、私的にはオッケーですけど。
管理人さんはネトウヨさんの言い分も感心するくらいちゃんと聞いてはりますし。
アマンダラ・カマンダラという、黒幕の戦争商人の悪役が
『私が予定していた通りの行動をしていれば、いい暮らしができたものをな』と
主人公のダバ・マイロードに自分のコントロール通りの人生を歩むことを強要し
『他人に人生の枠を仕組まれて、何が面白いものかよ!』と返されるシーンがあって
当時の若者は、レールからはみ出て自由になることへの憧れが確かにあって
主人公の条件は実際に枠組みからはみ出て冒険をすることだった
でも、20年が経って、終身雇用のサラリーマン社会が崩壊したからか
『主役が大人の仕組んだ計画通りの行動をする』作品が現れたり、そこに同情や共感が集まったり
昔は一億総中流のサラリーマン社会だったから、はみ出すことへの憧れ、自由への渇望があって
(だから昭和は不自由で窮屈なサラリーマンや所帯持ち、宮仕えの悲哀を描いたドラマや映画、
逆に渡世人みたいな流浪のプータロー自由人主人公が憧れから人気だった)
今は逆に、自由への不安が強くなって、強力な指導者に導かれたい、組織の歯車でいたい、っていう保守的な気持ちが強くなって
(それこそ主人公はイデオロギー=立場に属してればいいから、兵隊のように自分で物事の善し悪しを考える必要がない)
若者の憧れ、共感できるヒーロー像も変化したのかな、とはちょっと感じます
もちろんこの掲示板や管理人さんのことではないですし
むしろこのサイトでも上級国民デマの一件は厳しく批判されていたし、観点が冷静だと思います
問題は、そうなれずに今も『上級国民』に憎しみを向けて、暴走しちゃう一部の右派と左派なんですよね
思想の右左は表面的なことでしかなくて、結局社会に溜まったこの憎しみ、怒り、不満のガスで連帯しちゃってる人たちの問題なのだと思う
ポジティブな感情じゃなくて、ネガティブな感情で繋がってしまう人々の怖さ問題ですね
社会格差の拡大でこうなったのだろうし、完全にユダヤ人迫害ムードが出来上がった頃のドイツと同じ方へ進んでるように見えるので
実はこの上級国民憎悪で連帯してる人たちって、右左共にいるので、いつ一個の塊になってもおかしくはないというか
相手を倒すになりふり構わず、では戦争とかですものね、ガンダムみたいな?(観たことないですが(^^;)百ちゃんとか?
他人を機械的に裁く