<ざっくり言うと>
  • 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」で、「昭和天皇の写真を燃やす映像が芸術作品として展示された」という話が広がっているが、それは誤解である。
  • 正確には、「昭和天皇の写真をコラージュした大浦信行の作品を焼却する映像」であり、「昭和天皇の写真を燃やす映像」と言う話ではない。
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目次

「芸術と言い張って天皇の写真を燃やした」は誤解


「あいちトリエンナーレ」で、「天皇の写真を燃やす映像が芸術作品として展示された」という話が広がっています。どうやら「反天皇」の意味で天皇の写真を燃やしたと思い込んで、「反日だ!」とか「政治プロパガンダだ!」とか言ってる人が多いようです。例えば産経新聞は、このように報じています。

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 開幕からわずか3日で中止が決まった「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」。元慰安婦を象徴する「平和の少女像」のほか、昭和天皇の写真を燃やすような動画作品に批判が殺到するなど議論を呼んだ。「不快に感じた」「趣旨には賛同できる」。“最終日”となった3日も、来場者から賛否の声が上がった。

 軍歌や朝鮮民謡などが流れ、昭和天皇の肖像写真がメラメラと燃えていく-。今回の展示で、批判の多かった動画作品のひとつだ。画面の前には人だかりができ、写真が燃える場面では、顔をしかめたり、スマートフォンで撮影したりする様子も見られた。
2019年8月3日、産経新聞
これを読むと、まあ、間違いなく、反天皇で写真を燃やしたと受け取りますよね。


しかし、これは嘘とまで言えないものの、多分に誤解を招く記事です。すでに各所で取り上げられてはいるようですが、あんまりにも誤解が広がっているので、ここでも取り上げておきます。

燃やされたのは、30年以上も前に作られた、天皇の写真をコラージュした大村信之のお蔵入り作品


問題となったのは大浦信行氏の『遠近を抱えて(4点組)』という作品。公式HPの作品説明には、このように書かれています。
本作は1975年から10年間ニューヨーク滞在中に制作され、1986年、富山県立近代美術館主催「86富山の美術」で展示される。1993年、大浦は制作の意図を次のように語った。

「自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。それをそのまま提出することで、画面の中に自分らしきものが表われるのではないかと思ったのです。」(大浦信行「自分自身の肖像画として―作家の立場から」、1993年6月6日、富山近代美術館問題を考えるシンポジウム)

本作は展覧会終了後、県議会で「不快」などと批判され、地元新聞も「天皇ちゃかし、不快」などと報道し、右翼団体の抗議もあり、図録とともに非公開となる。93年、美術館は作品売却、図録470冊全て焼却する。その後、6年越しで争った作品公開と図録再版の裁判も敗訴する。2009年沖縄県立博物館・美術館「アトミックサンシャインin沖縄」でも展示を拒否されている。

事件後、大浦は映像作品のなかで「遠近を抱えて」の図像を繰り返し用いる。本展覧会を契機に制作された『遠近を抱えてPartII』においては、作品を燃やすシーンが戦争の記憶にまつわる物語のなかに挿入され、観る者に「遠近を抱える」ことの意味をあらためて問うものになっている。(小倉利丸)
早い話、燃やされたのは、大浦信行の作品なんですよ。


その作品の中に、昭和天皇の顔がコラージュされていたって話であって、写真を燃やしたわけじゃないです。正確には、「昭和天皇の顔がコラージュされた、大浦信行の作品を焼却処分する映像」なんです。


(追記:より正確には、「昭和天皇の顔がコラージュされた、大浦信行の作品を焼却するシーンを含む映像」です。焼却する映像だけが流れるわけじゃありません)

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↑公式HPに掲載されている写真。たしかに昭和天皇がコラージュされており、この作品の焼却される映像が展示されたのだが、「天皇の写真を焼いた」という話ではない。


長尾敬とか和田政宗とかフィフィとかいつもの連中は、「御真影を焼く映像」とか言ってるけど、全くの的外れ。「御真影」なんて言葉自体時代錯誤ですが、ちゃんと調べてから発言してもらいたいものです。特に政治家連中は。長尾敬なんか、「問答無用!」って言ってるけど、政治家が問答しなくてどうする!! ほんまに信じがたいレベルのアホですね、長尾敬。政治家の知的劣化の代表的存在ですな。

「御真影を焼く行為」は「問答無用」で「断じて認められない」とか、完全に不敬罪の発想だな、これ…。大日本帝国の亡霊か、北朝鮮の回し者か。


(「憲法第二十一条? それよりも第一条を心得よ!」という発言も意味不明。第1条は天皇制を定めてはいるが、天皇に対する不敬を禁止するものではないんだが。もしも長尾が「憲法で定められている天皇制を否定することは表現の自由として認められない」と言いたいのだとしたら、憲法9条を批判してる長尾も表現の自由として認められないことになるが…?)


エリザベス女王に不敬しまくりの、ピストルズの『God Save the Queen』が大ヒットする英国とはえらい違いですね。有本香なんて、「愛知県知事と津田大介を国会招致しろ」とか言ってますが、国会招致して何を聞くんですかね? 不敬罪でつるし上げようって言うんでしょうか?

「天皇の写真を焼く映像」ではなくて「天皇の写真をコラージュした大浦氏の作品を焼く映像」だということを理解したうえで、それでも「天皇陛下に対する不敬だ! 許せん!」と言うのなら、まあそれはそれで一つの意見ですが、ちゃんと調べてから文句言いましょうね。

追記1:「天皇の写真をコラって焼いた」わけではない


どうも、この記事を読んでも、「芸術という名目で気に入らない人間が写っている(作品をあえて選んで)ものを燃やした」とか「故人の写真をコラってそれを焼くって時点で倫理的に問題」「『作品を燃やす映像が芸術です』とかいわれても理解不能」とかいう誤解がなかなか解けない方もいらっしゃるようなので、もう一回簡単に説明しますね。


燃やすためにコラージュして作品を作ったんじゃないんですよ。コラージュ作品自体は、30年以上も前に作られたもので、1986年に一度展示されたものです。ところが、それが右翼団体の抗議などもあり、図録とともに非公開。図録は焼却処分。作品公開と図録再版を求めた裁判でも敗訴。2009年にも展示を拒まれたというものです。


最初から燃やす映像を取るつもりでコラージュして焼却したんなら、「芸術という名目で気に入らない人間が写ってるものを燃やした」という批判が当てはまりますが、そういうものじゃないんですよ。30年以上前に作った、人の写真をコラージュした作品が、「表現の不自由」によりお蔵入りになり、今回の焼却映像はそのコラージュ作品なんですよ。


詳しいことは、 月刊『創』編集長の篠田博之氏が記事を2つも書いているので、そちらをお読みください。

「表現の不自由展・その後」中止事件と「天皇の写真を燃やした」という誤解

美術家・大浦信行さんと天皇コラージュ事件

少なくとも、「芸術という名目で気に入らない人間の写真を燃やした」とか「故人の写真をコラって焼いた」とか、まるで焼却すること前提でコラージュを作って、それを焼いて「芸術だ!」ってキャッキャしてるかのような認識は完全に誤りです。

追記2:新作展示とお蔵入り作品展示では意味が違う


どうも、この展示会の趣旨を根本から勘違いしている人が多いように思います。


この展示会で展示されている作品は、基本的にどれもどこかの展覧会とか美術館とかで、政治的理由等でお蔵入りになったものなんですよ。お蔵入り作品を規制された理由とともに世間の目に触れさせることで、表現の自由や規制について考える契機にしたいって展示なわけですよ。


今回の展示会のために、意図的に問題作品を作って、「表現の自由だ! 何やったっていいんだぜ! ヒャッハー!」ってやってるわけじゃないんですよ。どうもそこを勘違いしている人がすごく多いように思う。


例えば、黒人差別に関する展示をやるとするじゃないですか。


そこでわざと黒人に差別的と受け取れる作品を新しく作って展示するのと、「差別的だ」とされてお蔵入りになった作品を集めて、「こういう作品がお蔵入りになった。これは本当に許されない差別表現なのか、それとも過度な表現規制なのか、考えてほしい」という展示会を開くのとでは、全然意味合いが違うと思うんですよね。


彩図社って出版社から『消されたマンガ』っていう単行本が出てるんですが、この本は、戦争とかロボトミーとか差別とか、何らかの外的要因によって、作者の意志とは無関係に市場から抹殺されてしまった「消されたマンガ」を60本超取り上げています。

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新しく問題作品を描くのと、こういう風に封印作品を集めて「こういう理由でこの作品は封印された」と取り上げるのとでは、全然意味が違うと思うんですよね。これを出版した彩図社が人食い人種表現やロボトミー手術に賛同してることにはならないでしょ。


作品を作った作者に政治的な意図があるとしても、そういう作品を集めた展示会がその政治的な意図を主張していることにはならんと思うわけですよ。


各作品については批判があるのは当然です。どんな作品でも、発表すれば、称賛も批判もあって当然です。


でも、どうも展示会への批判を見ていると、そもそも展示会自体を誤解している人がすごく多いように思う。「表現の自由だから何やったっていいんだぜ、ヒャッハー!」って言って新作を展示したわけじゃなくて、各所でお蔵入りになった作品を、お蔵入り理由とともに展示して、「こういう理由でお蔵入りになった。表現の自由と規制について考えよう」って話なわけですよ。どうもそこんところを勘違いして批判している人がほとんどのように見えます。


そして、「芸術と政治は分けろ」「芸術の名で政治主張をするな」と言う人もいるけど、それも少々暴論だと思います。


例えば、かの有名なドラクロワの『民衆を導く自由の女神』だって7月革命をテーマにした政治的な絵画ですし、ゴヤの『マドリード、1808年5月3日』も、ピカソの『ゲルニカ』もそうです。現在世界のあちこちで話題のバンクシーも政治主張そのものです。チャップリンの映画『独裁者』なんて政治主張そのものですよね。ベートーベンの『英雄』はもちろんのこと、第九だって政治的ですよ。(事実、ベートーベンは当局の介入を恐れて、第四楽章の合唱の内容について事前に何の申告もしなかった) 
反戦歌なんて世界中に何万曲あるかわかりません。

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「政治的だから駄目だ」では、本当に検閲になってしまいます。


表現の自由と検閲の問題については明確な答えはありませんが、どうも今回の「表現の不自由展・その後」への批判の多くが、勘違いしたまま行われているように思えてなりません。


理解したうえで批判するのはもちろん自由なんですが、あたかも表現の自由を笠に「表現の自由だから何やったっていいんだぜ! 天皇が嫌いだから燃やしてやるぜ、ヒャッハー!」みたいなことをやったんだと誤解したまま批判するのはおかしいと思いますね。

追記3:維新の発言のあまりの的外れ


維新の松井一郎とか、吉村洋文とか、名古屋市長の河村たかしとか、盛んに大村愛知県知事を非難し、吉村なんて「大村知事は辞職相当」とまで言ってるわけです。つまり、大村知事は大浦信行の映像とか慰安婦像とかの展示を拒否するべきだったと言ってるわけですけど、いったいどういう理由で拒否しろって言うんですかね?


大村信之の映像について、どういう理由で拒否するんですかね? どうやったって、「不敬だから」しか理由がなくないですか? でも、天皇への不敬を理由に作品展示を自治体が拒否したら、検閲になっちゃいますよ。


「天皇陛下の御真影を焼くなんて公共の福祉に反する」なんて言ってる人もいるみたいですが、いくらなんでも無理があるでしょう。公共の福祉は個人の基本的人権を擁護するための理論だから、「天皇陛下の御真影が焼かれることで、私の基本的人権が傷つけられた」なんて主張はいくら何でも無茶苦茶です。


慰安婦像はどういう理由で拒否するんでしょう? 政治的だから? 日本政府の見解と反するから? でも、政治的理由で自治体が作品展示を拒否したら、完全に検閲ですよ。


日本人へのヘイトだから拒否? でも、日本人を「チョッパリ」とか「ジャップ」とか「イエローモンキー」とか呼ぶことを意図した作品ならともかく、慰安婦像はそのような明示はありません。慰安婦問題ってのは歴史認識問題なわけです。これを「日本人へのヘイト」と解釈して展示拒否したら、やっぱり「日本政府の歴史認識と異なるから作品を拒否した」ってことになってしまいます。政治的理由で自治体が作品展示を拒否したら、検閲と言われても仕方がないでしょう。


逆の立場に立って考えてみましょう。日本人が広島への原爆投下を非難するモニュメントを作って、アメリカの美術館に持っていったとしましょう。それがアメリカで「アメリカ人へのヘイトだ」って言われて展示拒否されたら、「はあ?」って思いません? 慰安婦像を「日本人へのヘイト」とか「人種差別」とか言って展示拒否するのは、やっぱり無理があると思います。


松井一郎とか、吉村洋文とか、河村たかしとかの言ってることって、どうしたって「政治的に間違ってるから、作品の展示を拒否しろ」ってことになってしまう。人種差別とか犯罪推奨とかならともかく、公権力が作品に対して「歴史認識が間違ってる」とか「不敬だ」とか言って展示を拒否したら、やっぱり検閲したってことになってしまいますよ。


これに関して、大村愛知県知事が記者会見をしているので、見てもらいたいです。


 「憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか。憲法21条には、『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』『検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない』と書いてある。
 
 最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、それは、全く真逆ではないかと思いますね。公権力を持ったところだからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思いますよ。そうじゃないんですか? 税金でやるからこそ、公権力がやるからこそ、表現の自由は保障されなければいけない。

 分かりやすく言えば、「この内容は良くて、この内容はいけない」というのを公権力がやるというのは、許されていない、ということではないでしょうか。

 むしろ、民間企業さんとか、個人なら、社の方針として「この範囲に」「うちはこうだよね」ということでやるというのはあってもいいのかなあ、というふうに思いますが、公権力が -国だけじゃなくて県も市もですね― 「この内容は良くてこの内容はだめだよ」と言うのは、憲法21条からして違うのではないか。

 一番ひどいのは、「国の税金貰うんだから国の方針に従うのは当たり前だろう」と平気で書かれているところがありますけど、みなさんどう思われます? 私は全く真逆だと思いますよ。税金でやるからこそ、憲法21条は守られなければならない。
私は、至極真っ当なことを言っていると思います。


「税金が使われているイベントだから、特定の政治的主張が含まれた作品は認められない」として作品展示を禁ずると、やっぱりどうしたって検閲になっちゃいますよ。もしも大村知事が『平和の少女像』や『遠近を抱えて』の展示を政治的理由で中止させて、展示を止められた作者や実行委員が裁判を起こしたとしたら、多分大村知事は敗訴すると思う。


作品の作者や、監督である津田大介らへの批判ならともかく、大村知事が展示を拒否しなかったことを批判するのは、完全に間違いだと思います。

追記4:追加のデマ…「白馬に載った昭和天皇のみ燃やされた」はデマ


コメント欄に、この展示に関するデマが追加されましたので、それに応えておきます。

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>>また左翼が捏造を始めていますね。例の映像には「昭和天皇を含むコラージュ」が燃やされたという事は確認できません。「白馬に乗った昭和天皇」のみが確認できる写真が燃やされていますよ。

>>本当に左翼は不誠実ですな。大浦さんの「芸術」を認めるのなら、その内容を把握してからにしましょうよ。あべこべに擁護されて大浦さんも浮かばれませんね。



これ、完全にデマです。


おそらく、この人が見た「『白馬に乗った昭和天皇』のみが確認できる写真が燃やされている」映像というのはこれのことです。



アップなので、「『白馬に乗った昭和天皇』のみが確認できる写真が燃やされている」ように見えたんでしょうけど、燃やされたのは昭和天皇のみ写ってる写真じゃなくて、こちら↓の「昭和天皇を含む、大浦信行のコラージュ作品」です。

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燃えてる映像をよく見ると、この作品だってわかりますよ。昭和天皇の左の黒いなんか丸い物体とか、馬の脚のところの妖精とか。


こっちの映像は、もっとはっきりと、燃やされてるのがコラージュ作品だってわかりますね。



↓燃やされてるのはこれ。
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今から6年前のものですが、大浦氏の作品とコメントがこちらの動画で見られます。ここに、今回燃やされた作品も映っています。



「大浦さんの『芸術』を認めるのなら、その内容を把握してからにしましょうよ」とか言いながら、自分がその内容を把握しないで、「燃やされたのはコラージュじゃない! 白馬に乗った昭和天皇の写真だ! 左翼が捏造してる」とか、よくもまあ恥ずかしげもなく言えるな。呆れて開いた口がふさがらん。


あと、私は大浦氏の作品の芸術性とか、正直どうでもいい。昭和天皇をコラージュして何を言いたいのか理解できないし、興味も持てない。でも、今回ネット上で騒いでいる人たちの批判が的外れなものがほとんどだから記事にしただけ。「大浦さんの『芸術』を認めるのなら…」とか、知ったこっちゃないけど、「人の写真を燃やして踏みつけるのを映像にとってキャッキャしてる」かの如き、バイトテロ動画みたいな、文字通りの炎上商法やってるという認識は間違いだって言ってるんです。


ついでだけど、「大浦さんも浮かばれませんね」とか言ってるけど、大浦さん死んでないからね?

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