<ざっくり言うと>
  • 「ハングルは日本人が広めた」という言説が広がっているが、誇張とご都合主義解釈が過ぎる。
  • 井上角五郎ら日本人の努力もあったが、金允植ら多数の朝鮮人の努力もあり、併合前に学校教育が始まり、公文書にハングルが用いられ、ハングルの新聞や小説が発表されていた。
  • 併合後、小学校で朝鮮語は必修であったが、週3時間程度で、全体の約9割の授業は日本語で行われた。最終的にはその週3時間の朝鮮語授業も廃止された。
  • 朝鮮語の正書法の作成は、併合前から始まっていた。
  • 最初の朝鮮語辞典は1920年に朝鮮総督府が作ったものだという言説が広まっているが、朝鮮総督府が作った朝鮮語辞典は韓日辞典であり、朝鮮語の国語辞典ではない。
  • 朝鮮の学校教育は朝鮮人を「天皇の忠良な臣民」にすることを目的に行われた。
  • 支配末期には朝鮮語学会の弾圧も行われた。
  • 朝鮮人が自主的に開いた夜学での識字教育が行われていた。


目次

「ハングルは日本が広めてやったんだ、有難く思え」理論は正しいのか?

前回は、「日本が朝鮮半島を併合したとき、うち捨てられていたハングルを見つけた」というのはデマだという話をしました。今回はその続きです。
百田によると、朝鮮人のほとんどが文字が読めなかったそうです。別のツイートでは「文盲率90%」と言っています。

百田が言っている文盲率90%が何を根拠にしているのかはわかりません。根拠を知りたいところではありますが、当時識字率調査なんか行ってるわけがないんで、意味はないでしょう。


日本の嫌韓に相当強い影響を与えたであろう山野車輪の『マンガ嫌韓流』でも、ほぼ同様の主張がなされています。私が「嫌韓」という言葉を聞いたのはこの漫画が初めてでしたし、私と同じように、この漫画で初めて「嫌韓」に触れたという人も多いでしょう。

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さて、「日本がハングルを普及させてやったんだ、有難く思え」理論ですが、果たして本当なんでしょうか?  今回は、『マンガ嫌韓流』を使って検証してみたいと思います。



ハングル普及に努めた朝鮮人には全く言及しない『マンガ嫌韓流』


活論から言うと、「日本がハングルを広めた」という主張は、その大半がご都合主義の曲解によって構成されています。


まず、『マンガ嫌韓流』では、「井上角五郎がハングルを普及させた」と主張します。

井上角五郎

1886年に『漢城周報』という、ハングルを用いた最初の新聞が発行され、当時朝鮮政府の顧問になっていた井上角五郎が関わっているのは事実ですが、実際には『漢城周報』は韓国の政府機関である博文局の発行で、金允植ら朝鮮人と井上角五郎ら日本人の共同作業です。


『漢城周報』はエポックメイキングな出来事ではありましたが、これは朝鮮政府の発行物ですし、『嫌韓流』は金允植ら朝鮮人の努力を無視して井上の手柄にしてしまっている上、「この新聞によってハングルが普及した」も事実ではありません。この新聞は2年半で財政難のため廃刊されてしまっているのですから。


また、1894年にはハングルが公文書に用いられるようになり、1896年にはハングル専用新聞『独立日報』が刊行されます。20世紀にはいるとハングルの小説も刊行されるようになりますが(この辺のことは前回記事参照)、『マンガ嫌韓流』はそれらのことには全く触れていません。


『マンガ嫌韓流』では、ハングル普及に尽力した朝鮮人たちのことは一切描かれることなく、「すべて日本人のおかげ」というスタンスになっています。卑怯この上ないです。



学校教育は全て日本語。朝鮮語は科目の一つに過ぎず、最後には廃止された。


次に、『マンガ嫌韓流』は「学校教育で朝鮮語が必修科目になった」ということを持って、日本がハングルを普及させたと主張します。

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>>「併合(1910年)語、日本は学校教育で朝鮮語を必修科目とし、ハングルの普及は急速に進んだ」
>>「日本はハングルを弾圧して日本語を強要したんじゃないんですか!?」
>>「まったく逆さ。日本によってハングルは広められたんだ!」



『マンガ嫌韓流』を読むと、それまでハングルは使われていなかったのを、日本がハングルを発掘し、あたかも日本人が朝鮮人や朝鮮語を尊重した教育を行ったかのように読めますが、そんなこたぁありません。


まず、日本の併合前に既に朝鮮では教育諸法令が出されていました。1895年に小学校令では、以下のように定められています。

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>>小学校ノ尋常科教科目ハ、修身,読書,作文,習字,算術.体操トス ル 。時宜ニヨツテ体操ヲ除キ, 本国地理,本国歴史,図画 ,外国語ノー科又ハ数科ヲ加ヘ、女児ノ為二裁縫ヲ加エルヲ得。

この時、授業の総時間数の48%が、読書、作文、習字と言った朝鮮語教育に宛てられました(参照)。庶民に対する朝鮮語教育は併合前から始まっていたのです。


ところが、併合後、状況が大きく変わります。まず、学校における授業は、基本的に全て日本語で行われました。1910年の「朝鮮教育方針」では、


>>日本語の普及を以て当面の急務とし全力を此事に注ぐ事,其方法は
>>(一)初等教育には諺文(ハングル)及漢文を廃して,日本語を以て教授する事



と書かれています(参照)。それまでハングルが用いられていた授業を廃して、授業を日本語に代えてしまったのですから、「日本がハングルを普及させた」などと言うのが事実と異なることがわかります。


朝鮮語は確かに必修科目でした。しかし、それはいくつもある科目の一つにすぎません。しかも、


>>「常二国語(=日本語)ト連絡ヲ保チ時トシテハ国語(=日本語)ニテ解釈セシムルコトアルヘシ」


とされています。朝鮮語授業は朝鮮語や朝鮮文化の保全のためなんかではなく、常に日本語を意識し、時には朝鮮語を日本語で解釈させることとなっていたのです。あくまで日本語理解のためにすぎず、日本が朝鮮語を守ったかのように言うのは大嘘です。


さらに授業時間数も多いとはとても言えません。1922年の「第二次朝鮮教育令」では、小学校6年生の1週間当たりの授業数は、30時間中、朝鮮語は3時間だけです。

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他の科目の授業は全て日本語で行われるわけですから、学校の授業における日本語と朝鮮語の割合は9:1だったわけです。朝鮮語はあくまで日本語理解のための補助に使われるものでした。これで「ハングルを広めたのは日本」とか言われてもねえ。


もともと少ない朝鮮語の授業の割合でしたが、第三次朝鮮教育令でさらに減少します。1938年の第三次朝鮮教育令では、朝鮮語が必修科目から外され、授業時間数も、小学6年生では34時間中2時間にまで減らされます。小学校全体を通しても、朝鮮語の授業に充てられたのはわずか8.7%で、残りの授業はすべて日本語で行われました。しかも、朝鮮語は必修から外されているわけですから、朝鮮語の授業がなかった学校もあるわけです。

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さらに、この僅か3年後1941年の第三次朝鮮教育令一部改訂(第四次朝鮮教育令と呼ぶ人もいる)で、朝鮮語の授業は本当に廃止されてしまいます。「朝鮮語は加設・随意科目として名目上は残存させられたが,その教授要旨等は全面脱落させられており,さらに課程表上からも全面欠落している」そうです(参照)。名目上は廃止ではありませんが、廃止同然だったわけです。『マンガ嫌韓流』では「必修から外され随意科目になった」ことは書かれていますが、朝鮮語の授業が廃止されてしまったことには全く言及していません。うーむ、卑怯。


小学校における授業時間数は以下のようになっています。朝鮮語の授業は少しずつ減らされ、最後にはゼロになってしまいます。

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参照

ハングルが公文書で用いられるようになり、ハングルの新聞が発行され、ハングルの小説が書かれ、ハングルの庶民教育が始まった段階で、日本が乗り込んで、授業を全て日本語で行い、朝鮮語を科目の一つレベルに下げ、最後にはその授業さえなくなってしまうのに、これで「ハングルは日本人が広めたんだ」「朝鮮人に文字を教えるために5200の小学校を建て、ハングルの教科書を東京で印刷したんだ」とか、ご都合主義が過ぎますね。


結論を言うと、『嫌韓流』や百田尚樹の「ハングルは日本人が広めた」という主張は大嘘だと断じざるを得ません。



天皇の「忠良な臣民」になるための同化政策教育が行われた。


もう一つ、百田や『マンガ嫌韓流』は無視していますが、そもそも朝鮮における教育の目的は、教育勅語に基づき、朝鮮人を天皇の「忠良な臣民」にすることにあります。1910年の第一次朝鮮教育令第二条は


>>教育ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キ忠良ナル国民ヲ育成スルコトヲ本義トス


と書かれており、同年の「朝鮮教育方針」でも


>>教育勅語の意味を普及し,日本と朝鮮とが,古来特別なる関係を有せるを以て,両国の併合は当然 の運命なる事を了解せしめ,且つ日本の臣民として文明の舞台に樹つ事は,朝鮮人民の発展の為め, 有益なりといふ希望を与へしむる事


と書かれています。どう読んだって、朝鮮人の文化や言葉を尊重する気なんかないですよね。さらに、1938年の第三次朝鮮教育令では朝鮮語の授業の注意事項に


>>常二国語ト聯絡ヲ保チ皇国臣民タルノ信念ヲ涵養センコトヲカムルヲ要ス


と書かれています。朝鮮語授業さえ、あくまで日本語と連絡を保ち、皇国臣民の精神を涵養することが目的とされたのです。


百田や『マンガ嫌韓流』の作者の山野車輪なんかは、「日本人が朝鮮を発展させた」「日本人は朝鮮人を平等に扱った」とか言いますが、「日本人が決めたルールに一方的に従え」ってのは平等でも何でもありませんよ。被支配層からしたら弾圧でしかない。


日本が朝鮮に支配されたと想像してみりゃわかるでしょ。もしも、日本が朝鮮に支配され、「今日からお前らは朝鮮人だ。天皇じゃなく、朝鮮王に忠誠を誓え」と言われたらどう思うか。政治も日本人は参加できずに、朝鮮政府が決めたルールに従う。学校の授業は全て朝鮮語。でも、日本語の授業も週に2、3時間だけ確保されている。授業目的は「朝鮮臣民としての信念を涵養」すること。それで朝鮮政府に「日本語の弾圧なんかしてないよ。ちゃんと日本語の授業も行ってるよ」と言われて、納得する日本人がいるかって話ですよ。


日本統治時代の朝鮮の日本人人口はわずか3%ほど。にもかかわらず、学校の授業は全部日本語。校長は日本人。朝鮮語授業は週2,3時間。最終的にはそれも廃止。学校の教育目的は天皇の忠良なる臣民の育成。


今、駅の案内にハングルが書いてあるだけでも「文化侵略だ」「朝鮮語なんていらない!」ってギャーギャー言ってるような連中が、「日本は朝鮮で日本語の強要なんかしてないよ」「ハングルを広めたのは日本だよ」とか、なんというご都合主義でしょうか。



「朝鮮総督府が朝鮮語辞典を初めて作った」というのも嘘


「学校の授業でハングルを教えた」と並んでよく言われるのが、「初めての朝鮮語辞典を作ったのは朝鮮総督府」「ハングルを体系化させたのは朝鮮総督府」という話です。


『マンガ嫌韓流』ではこのように書かれています。

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百田や山野車輪は、日本が「文字を統一した」だの「標準語を作った」だの「正書法を作った」だの言い、日本が朝鮮語を保護し、発展させたかのように言います。


しかし、「大正9年(1920年)に朝鮮語辞典を最初に作ったのも朝鮮総督府」というのは嘘です。この話はものすごく広まっていて、私も最近までそう思っていたんですが、実際には違います。1920年に朝鮮総督府が発行したのは、『朝鮮語辞典』という名前ですが、実際は韓日辞典なんです。


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(↑1920年、朝鮮総督府発行の『朝鮮語辞典』。ハングルの見出しに日本語の説明)


ごらんのとおり、英和辞典みたいなもんですよ。こんなんなら、1880年の時点ですでに『韓仏辞典』がありました。総督府が作った『朝鮮語辞典』が最後の朝鮮語国語辞典だと主張しているサイトは多数存在しますが、内容が日本語で書かれてるって確認してないんじゃないですかね。


ちなみに、こちらの論文によれば、朝鮮語で書かれた最初の近代的な朝鮮語辞典は、沈宜麟が編纂した1925年の『普通学校朝鮮語辞典―附漢字字典』だそうです。


正書法については、確かに最初のハングル正書法が作られたのは併合後の1912年の「普通学校用諺文綴字法」です。しかし、そもそも併合前の1907年に朝鮮政府は国語研究所を設置し、正書法づくりに着手していました。1912年の綴字法はそれを引き継いだものです。


また、周時径という人物は併合前から「朝鮮文同式会」を作り朝鮮語表記の統一と研究に着手し、『国語文典音学』(1908),『国語文法』(1910)などを著しています。現在の韓国や北朝鮮のハングル表記は、彼が考案したものがもとに彼の弟子である朝鮮語学会が作り上げた「朝鮮語綴字法統一案」がもとなっています。


また、他の植民地でも、フランス人はベトナムでクォック・グーというベトナム語表記法を作り、現在ではそれがベトナム語表記として正式に採用されています。じゃあ、ベトナム人が、フランスに対して「正書法を整えてくれてありがとう」「支配してくれてありがとう」と言うかって話ですよ。


ついでに言っておきますけど、嫌韓流では「欧米列強の植民地では、植民地の住民に教育を施すことなどありえなかった」とか言ってますけど、これも大嘘ですからね。ベトナムでもフィリピンでもアルジェリアでも小学校や大学を建てて現地住民を教育していますし、イギリス植民地インドなんて、ノーベル賞受賞者を2人も出していますからね。詳しくはこちら

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手かせ足かせをされて奴隷化された絵が描かれていますが、どうやら山野車輪の脳内では、「植民地」=「奴隷化」という図式のようですね。植民地にもいろいろあって、香港もイギリスの植民地だったんですが、山野車輪の脳内では、香港も民衆は奴隷化されていたんですかねえ? 「植民地の住民に教育を施すなどありえなかった」という発言は、あまりに無知が過ぎる。


何なんでしょうね、この「植民地」=「奴隷」という発想。ここには小林よしのりの『戦争論』に見られたような、「白人に奴隷化されていたアジアを日本が解放した」という歴史観が反映されているように思えてなりません。


山野車輪が自分に都合のいい事だけ調べて後はテキトーに妄想並べ立てているだけなのは明白です。



東亜日報・朝鮮日報の廃刊と朝鮮語学会事件


『マンガ嫌韓流』では全く触れられていませんが、1940年には東亜日報と朝鮮日報が強制的に廃刊に追い込まれます。これはどちらかというと朝鮮語弾圧と言うより言論弾圧だったとは思いますが、これで民間による朝鮮語新聞がなくなってしまいます。


そして、1942年には、前述の「朝鮮語綴字法統一案」を作ったり、機関紙『ハングル』を発刊するなどしていた「朝鮮語学会」が治安維持法により弾圧されます。『ブリタニカ国際大百科事典』では、以下のように説明されています。
 1942年朝鮮総督府による朝鮮語弾圧策の一つとして計画された事件。
 朝鮮語学会は「ハングル表記法統一案」を作成し,機関紙『ハングル』を発刊するなど,朝鮮語の啓蒙,普及活動を盛んに行なっていた。
 しかし,臨戦体制への移行が進むにつれ,朝鮮語使用に対する弾圧が強まった。 41年太平洋戦争の勃発を機に,弾圧は露骨になり,翌年 10月,治安維持法違反を理由に語学会員を大量検挙し,洪原警察署留置場に1年間留置し,咸興に護送した。拘束されていた約 30人のうち 13人が公判に付されたが,2人は公判中に拷問により獄死,11人の被告は2~6年の懲役という判決を受け,語学会は解散した
こういうことがありながら、あたかも日本のおかげで朝鮮語が発展したかのように言うのはご都合主義が過ぎるってもんです。


「日本はハングルを禁止して弾圧した」みたいな考えも間違いですが、「日本のおかげでハングルが普及したんだ」と、あたかも日本が朝鮮語発展のための善行を施したかのような言説も誇張とデマだらけです。どうも百田尚樹とか山野車輪とかの脳内では、日本が併合していなかったらハングルの普及なんてなかったかのような言い方ですが、併合前にすでに朝鮮人によるハングル普及は始まっていましたし、併合後も周時径ら朝鮮人の自主的な努力は続いていましたし、実際、現在の綴字法は朝鮮語学会が考案したものがもとになっています。


「日本がハングルを普及させた」と言うより「ハングルの普及・近代化の途上で、日本の朝鮮統治が始まった」程度の認識の方が正しいと思います。少なくとも、「ハングルは日本が広めたんだ」なんて主張は卑怯な嘘というしかないです。


『嫌韓流』は自分に都合のいい事だけ並べ立て、併合以前からハングル教育が始まっていたことや、ハングルは日本語理解の補助のためでしかなかったことや、最終的に朝鮮語の授業が廃止されたことや、朝鮮語学会が弾圧されたことなど、都合の悪い事には一切触れていません。


卑怯にもほどがあります。

追記:朝鮮人の自主的な夜学があった


機会があれば別記事としてまた書きたいですが、当時朝鮮半島には朝鮮人たちが自分たちで作った「夜学」というものがありました。昼は働くなどしている人が、夜に学んだ私塾です(参照)。


この夜学というのは特に識字を重視していたようで、こういう様々なハングル普及、識字率向上の努力が、併合前から、併合後も、ずっと続いていたわけです。


途中で併合して「ハングルが広まったのは日本のおかげ」なんて言っていいもんじゃないと思いますね。

追記2:詳しいサイトご紹介

詳しく解説しているサイトがありましたのでご紹介しておきます。こちらもご参照ください。



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