<ざっくり言うと>
  • 国民に説明をしない政府は政府などではない。ただのゴミだ。
ダウンロード
↑こんなものはもはや政府と呼ぶに全く値しない、ただのゴミでしかない。
(スポンサードリンク)

民主主義とは、十分な情報公開があってこそ成り立つ。そうでなければ国民は政治家の行動の是非を判断することができない。


国民に説明しない政府は政府などではない。ただのゴミだ。したがって、菅政権は政府などではない。ただのゴミだ。


2020y10m16d_182504799
時事通信2020年10月16日


学術会議の任命拒否から2週間ほどたつが、菅義偉はいまだに任命拒否の理由を何一つ明らかにしていない。政治家も官僚も、壊れたレコードのように「総合的俯瞰的判断」という中身の何にもない空っぽな意味不明な言葉と、「答えを差し控える」という回答拒否の言葉を繰り返すだけだ。


独善的・恣意的な決定を行い、その理由を何も説明しない。安倍政権の時の経験で、「言ったら突っ込まれる」「言わなければ突っ込まれない」ということを学習したのだろう。そして、取り巻きは勝手に政権の行為の正当化理由を作ってくれる。今回も、菅義偉自身は任命拒否理由を何一つ説明していないにもかかわらず、甘利明長尾たかし長島昭久などの自民党議員や、平井文夫上念司高橋洋一櫻井よしこなどが、次々とデマを用いて任命拒否を正当化している。


日本では、日本政府はどんなことあろうと、たとえそれが違法だとしても、ただバカのように「答えを差し控える」と言えば、何でもできるようだ。そして、記録が出てくると困るので、公文書を改竄する手間さえ省き、そもそも記録を残さない。実際、安倍政権は、検察庁法改正案の時に「口頭決済も正式な決済」などと言って、文書として記録を残さないことを正当化した。もはややりたい放題だ。こんなものは政府ではない。


菅義偉は、政権を取りさえすれば何をやってもいいと勘違いしているようだが、民主主義とは選挙で独裁者を選ぶ制度ではない。選挙で政権を取ろうと、ルールにのっとって政治を行い、自分のためではなく国民全体に奉仕をするのが民主主義の政府であるし、意思決定について国民に十分に説明することは民主主義の政府の義務だ。


だが、自民党政権に「国民のため」などという気持ちなど欠片もない。ただ自分がやりたいようにやりたいことをするだけだ。もしも国民のためという意識が少しでもあるのならば、意思決定の理由を国民にちゃんと説明することができ、国民の理解を得る努力をするはずだ。だが、菅政権は、説明拒否を貫き、ただ「総合的俯瞰的判断」だの「回答を差し控える」だの繰り返すだけだ。


ドラマ『半沢直樹』で、「記憶にない」で逃げようとする政治家に対し、「説明できないなら謝罪するのが、政治家として、人として、最低限度の義務だ」というセリフがある。だが、前政権と現政権は、説明しないし、謝罪もしない。政治家として、人として、最低限度の義務も果たせていない。現在の政権は、サル山の猿の集団にも劣る愚物の集まりだ。


学術会議の任命拒否が、合法の正しい判断だと思うのであれば、どういう理由で任命拒否をしたのか、説明するのが政治家として、人として、最低限度の義務だ。だが、現政権はそれをしない。こんなものは政府ではない。ただのゴミだ。いや、もはやゴミという言葉さえ好意的すぎる。日本という国を破壊する毒物だ。


この任命拒否問題は、学術会議だけの問題にとどまるものではない。日本の民主主義が現在進行形で崩れていっている象徴となる出来事だ。「国民に説明する」という、人としての最低限度の義務を守れない人間に国のかじ取りを任せるなど、民主主義国家の自殺行為だ。


民主主義国家の国民として、民主主義を守ることは最低限度の義務だ。日本を愛する気持ちがあるのであれば、自由と民主主義を破壊する自由民主党にだけは、何があっても投票するべきではない。


後になって悔やんでも遅い。

このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村 政治ランキング
(スポンサードリンク)