<ざっくり言うと>
  • 菅義偉、学術会議の推薦制を問題視しするも、なぜ6人の任命を拒否したのかの説明を拒否。
  • DAPPI、門田隆将、首相が全く説明していないのに納得する。
  • 門田隆将、「学者の独善が通じる時代ではない」と言いながら、説明をしない総理大臣の独善を正当化。
  • 菅義偉や門田隆将の「選挙で勝った総理が学術会議に関わるのは当たり前。学者の独善が通じる時代ではない」という考えは、必ず「選挙で勝った総理が科研費に関わるのは当たり前。学者の独善が通じる時代ではない」となり、学問の自由は失われる。
  • 菅義偉は「前例打破」と言いながら、自民党は杉田和博官房副長官の国会招致を「前例がない」として拒否。ご都合主義とはまさにこのこと。
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↑説明せずに結果だけ押し付ける政治は民主政治などではない。

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目次

理由と結論の因果関係がまるでない菅・門田・DAPPI


学術会議任命拒否問題に関し、菅義偉がNHKのインタビューに答え、DAPPIや門田隆将がそれを肯定しています。

この人たちは、原因と結果のつながりというものを考えたことがないのでしょうか。


学術会議の人事はかつて選挙だったのですが、西川伸一明治大学教授によれば、派閥がつくられたり、票集めをしたり、買収に近いようなこともあったりと弊害が多かったため、現在の推薦の形になったそうです。そして、「最終的には選考委員会が、専門分野のバランス、地域性、ジェンダーなどを考慮して会員を選んでい」るそうです。



もし現在の推薦の形式に問題があるというのなら、それを改革を命じるのが筋であり、任命拒否の理由に全くなっていません。


もしも推薦という形式自体に問題があるのならば、推薦された全員を拒否しないとおかしいでしょう。なぜ、105人の中から、その6人が拒否されたのか。なぜその6人なのか。菅義偉は、何ら説明をしておらず、「推薦の仕方に問題がある」と「この6人を拒否する」の間には、何の論理的つながりも説明できていません。国語のテストなら0点でしょう。


にもかかわらず、DAPPIや門田隆将は、「それが任命拒否の理由」などと納得しています。門田もDAPPIも、現代文のテストなら0点でしょう。



菅が言う偏りは本当か


少し話がずれますが、菅は「民間・若い人・地方大学も万遍なく選ぶ改革が必要」と言っていますが、本当に偏っているのでしょうか。こちらに会員の一覧がありますが、菅義偉の言っていることは適当にいちゃもんを付けただけとしか思えません。


まず、学問分野の実績を残している人から選ぶとなると、年齢が高くなるのは当然です。


地方大学については、徳島大とか公立はこだて未来大学とか浜松医科大学とか福島県立大学とか四国学院大学とか尚絅学院大学とか石川県立看護大学とかからも選ばれています。そりゃあ東京大学や京都大学は多いですが、学術分野の優れた実績を残した人物を選ぼうとすれば、東大や京大などが多くなるのは当然でしょう。


民間から、JFEスチールファナック住化技術情報センター古河ファイテルオプティカルデバイス国際電気通信の5つの株式会社の人材が入っています。


大学以外に、国立保健医療科学院とか、長寿医療研究センターとか、東京都健康長寿医療センターとか、豊田理化学研究所とか、様々なところからも入っています。


また、現205人の会員のうち、女性は77人います。


やはり、推薦の段階で、地方大学や民間やジェンダーにも配慮して決めているように思えます。


菅義偉はあたかも推薦により恣意的な偏りが出ているかのように言いますが、ただのいちゃもんにしか思えません。しかも、恣意的な偏りを指摘しながら、自分が恣意的に6人を拒否しているのですから、自己矛盾でしかありません。



政治家の独善を是認する門田隆将:説明しない政治は民主主義ではない


さらに、門田隆将は「学者の独善が通じる時代ではない」などと言っていますが、これは学者の独善ではなく、総理大臣の独善以外の何物でもありません。


総理大臣が6人の任命を拒否し、その理由を何ら説明しない。独善でないのならば、みんなが納得いく理由を説明すべきですが、それをしない。


総理大臣が個人の考えで「推薦形式に問題がある」と決めつけ、個人の考えで105人の中から6人だけ任命を拒否する。理由は何ら説明しない。これが独善でなければ何でしょうか。


学術会議は、およそ2000人による推薦と、およそ100人による選考を経て、105人の最終的な推薦者が選ばれます。学者2000人以上が関わった推薦作業を、学問については門外漢の総理大臣一人がひっくり返す。これが独善でなければ何でしょうか。


門田などは、「選挙で勝ったんだから、総理大臣の判断は独善ではない」とでも思っているのかもしれませんが、選挙でえらばれようが、理由説明をしなければ独善以外の何物でもありません。民主主義とは、選挙で独裁者を選ぶ方法ではありません。門田らの考えているシステム民主主義ではなく、選挙で独裁者を選ぶだけのシステムに他なりません。


門田は、きっと「気に入らないなら選挙で政権を倒せばいい」ということでしょう。しかし、それは違います。門田のような発想では、選挙で次の独裁者が選ばれるだけです。


民主主義とは、国民が主体となるから民主主義です。主体となるためには、国民が考えて判断することが必要であり、考えるためには正しい情報が必要です。ところが、菅政権は、国民に何ら説明をしていません。説明をしないままでは、国民は政治の是非を正しく判断することができません。これは、国民が主体となって判断しているとは言えません。したがって、説明をしない政治は、民主政治ではありません。


自らの行為の正当性を、自らの言葉で説明せずに、結果だけ国民に押し付ける政治は、選挙でえらばれようが何だろうが、独裁政治に他なりません。



政治家に学者を選ぶ能力があるのか


門田にしろ、橋下徹にしろ、この問題で菅義偉の判断を是としている人は、あたかも「選挙で勝って選ばれた総理大臣だから、民意に沿った適切な判断ができる」かのように考えている節がありますが、そもそも総理大臣に学者を適切に選ぶ能力などないでしょう。


総理大臣は政治が仕事であり、学問については門外漢です。どの学者がどのように優れているかなど、判断できるわけがありません。


適切な任命のために、学者が学者を選ぶ形式になっているのに、「学者の独善が通じる時代ではない」などと言う門田の主張は論理性がありません。学者の言うことを実際の政治にどう反映するかは政治家の判断ですが、学問そのものについては政治家は門外漢です。


門田らの主張は、総理大臣が学者より適切に学者の人事を判断できるという前提になっており、前提からして間違えています。



行きつく先はソ連 


あまり知られていませんが、国立大の学長は、形式上、文科大臣が任命をすることになっています。もし、学術会議の任命拒否が認められれば、国立大の学長も任命拒否をされることでしょう。実際、菅政権は、国立大の学長の任命拒否はあり得るとしています。



「選挙で勝った政権だから、学術会議の人事に介入していい。学者の独善が通じる時代ではない」

という考えは、必ず

「選挙で勝った政権だから、税金を使っている国立大の人事に介入していい。学者の独善が通じる時代ではない」

となり、

「選挙で勝った政権だから、税金を使っている科研費に介入していい。学者の独善が通じる時代ではない」

となります。もはや学問の自由は存在しません。日本の学問は政府の下に置かれてしまいます。


学問が政府の下に置かれたら、それはもはやソ連と同じです。門田の考えるような国の行きつく先は、ソ連のような世界に他ならないでしょう。


今、ここで止めておかなければ、いつか必ず日本の学問は政治の下に置かれ、学問の自由は失われます。そうなれば、日本の競争力はますます落ちてしまうことでしょう。


学術会議の推薦のやり方などに問題があるというのならそこを改革すればいいのであり、全く説明になってない6人の任命拒否を許すことは、長期的には必ず日本の民主主義と学問の破滅に繋がります。


結果だけ押し付けて説明しない。こんな政治を許してはいけません。



追記:「前例打破」なのに「前例がない」で杉田和博官房副長官の国会招致拒否 


菅義偉は、繰り返し「前例打破」と言っています。(もちろん、「前例打破」は「6人の任命拒否」の理由に全くなっていないんですが)



それにもかかわらず、6人の拒否に関わったとされる杉田和博官房副長官の国会招致は、「前例がない」として拒否しています。



ご都合主義とはまさにこのことでしょう。

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