<ざっくり言うと>
  • 産経新聞、3月29日の「産経抄」にて、韓国系の京都国際高校の甲子園敗退を「本当に良かった」と書く。
  • 京都国際高校の韓国語の校歌に「동해(東海)」という単語が出てくるが、産経抄はこれを「高校野球に政治を持ち込んだ」と妄想非難をする。
  • 韓国語では日本海を「동해(東海)」と呼ぶだけのことであり、政治を持ち込んだことになるはずもない。
  • 興味もないのに高校野球に政治を持ち込んでいるのは産経抄を書いた記者であり、その自己矛盾にも気が付けず便所の落書き未満のコラムを書いてしまう産経新聞は新聞を名乗るに値しない

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前から産経新聞は「バカから優先的に採用しているのか?」と思えるほど頭の悪い記事を掲載してきましたが、3月29日の「産経抄」は頭の悪さと下劣さはとてつもないものでした。

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 週末、のんびりと流行のリモートワークをしていると(といっても競馬中継を横目に見ながらだが)、携帯電話の着信音が鳴った。電話番号を見ると無視するとうるさい知人からだった。仕方なく出ると「いやぁ、本当に良かった」と、高揚した声が飛び込んできた。
 
 ▼最近、良いことがないので黙っていると「高校野球見てないの? 東海大菅生がサヨナラで勝って、あの校歌を聴かなくて済んだんだ!」とまくしたてられた。あの校歌とは、ネットで話題の京都国際高校の校歌である。

 ▼同校は、韓国人学校が前身の私立学校で、校歌は今も韓国語のまま。歌詞の冒頭に「東海(トンヘ)」が出てくるが、トンヘとは、日本海をこの呼称に変えろ、と韓国政府が世界各国に強要しているいわくつきの単語なのはご存じの通り。知人は「高校野球に政治を持ち込んだ」とご立腹なのである。

 ▼韓国メディアは、京都国際が初戦を勝ったときには「韓国語の校歌が日本全国に鳴り響いた」と大騒ぎだった。球児そっちのけの盛り上がりに困り果てたNHKが、歌詞の日本語訳を「東の海」としたのはご愛嬌(あいきょう)だったが。

 ▼もしソウルで、高校生が日本語で「竹島が…」と歌ったらどうなることやら。日本は本当に寛容な国なのである。それが証拠に、自衛隊基地や原発の周辺など安全保障上重要な土地が、外国資本も自由に買えるのだ

 ▼政府は、ようやく重い腰をあげて重要なインフラ施設周辺の土地利用を規制する法案を国会に提出したが、なぜか公明党が気乗り薄で、法案も骨抜きにされた。同党と中国は、仲が良く寛容な政党であるのは、よくわかる。でも、寛容も度が過ぎると、非寛容な人々につけいられるのは、歴史が教えるところなんだけどねぇ。
よくもまあここまで低俗な文章を書くことができ、それを活字にして新聞に掲載できるものです。こんなものを新聞の顔ともいえる一面のコラムに載せてしまえる産経新聞は、もう新聞を名乗るのをやめて便所の落書きとでも名乗るべきでしょう。



高校野球に政治を持ち込みながら自分の矛盾に気が付かない産経記者の頭の悪さ

特定のチームが負けて「本当に良かった」と書いてしまうクズっぷり


まず、自分が応援していたチームが勝って「本当に良かった」ではなく、特定のチームが負けて「本当に良かった」というのを活字にできてしまう記者の神経に愕然としてしまいます。それも、選手は高校生です。選手や家族や京都国際高校を応援していた人たちが、この産経抄を読んだらどう思うでしょうか。こんな言葉を新聞掲載できる記者と、それを通した上司の神経の低劣さには吐き気がする思いです。

高校野球に政治を持ち込んだのは産経新聞


次に、京都国際高校の校歌の歌詞は韓国語で、以下のようなものであるそうです。

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このコラムを書いた記者の知人は、韓国系の学校である京都国際高校の校歌の歌詞に「東海(トンヘ)」という言葉が出てくるために、「高校野球に政治を持ち込んだ」とご立腹なのだそうですが、ここまで頭が悪い人間がいるのかと驚かされます。


韓国が日本海の国際的な呼称を Sea of Japan から East Sea に変える、もしくは併記するように呼び掛けていることは事実です。それで「東海」という名前が出ただけで「高校野球に政治を持ち込んだ!」などと無知丸出しの短絡的な発想をしたのでしょうが、ご覧の通り、別段「日本海という呼称はおかしい」というような政治的主張がなされているわけではありません。日本海は国際的には「日本海」「Sea of Japan」「Mer du Japon」などですが、韓国語では「동해(東海)」です。韓国語の歌詞で「동해(東海)」と歌うのは当たり前のことです。


国際的な地名とローカルな地名が違うことは珍しくなく、例えば対馬海峡は国際的にはKorea Strait です(Tsushima Strait は対馬海峡の東側のみを指す)。「ペルシア湾」は国際的には Persian Gulf ですが、アラブ諸国は「アラビア湾」と呼びます。なにもローカルな言語の表現まで国際的な名前に変えなければならない理由はなく、韓国語の歌詞に「동해(東海)」という言葉が出てきても、「政治を高校野球に持ち込んだ」なんてことになるわけがありません。(そもそも高校野球の為に作った校歌じゃないんだから「高校野球に政治を持ち込んだ」という認識が根本的におかしいのだが)


もしも産経抄のとおり、「동해(東海)」という言葉が歌詞にあるだけで「高校野球に政治を持ち込んだ」ことになるのであれば、「日本海」という言葉が歌詞に使われている場合でも、「高校野球に政治を持ち込んだ」ことになってしまうはずです。例えば新潟県立新潟商業高校の校歌には「渺茫ひらくる日本海」と歌詞に謳われていますし、新潟県立能代高等学校の校歌にも「空にひびく日本海」とあります。これらの歌詞は、「日本海という呼称が正しい」という政治的主張を持ち込んでいるのでしょうか? もちろん、そんなわけはなく、日本語ではあの海を「日本海」と呼ぶから「日本海」と歌詞に出てくるにすぎません。同様に、韓国語の歌詞に「동해(東海)」とあっても、それは韓国語ではあの海を「동해(東海)」と呼ぶだけのことであり、政治を持ち込んだことにはなりえません。


「동해(東海)」という言葉が出てくるだけで敵視し、その高校が負けて「本当に良かった」などと言ってしまう産経新聞こそ、高校野球に政治を持ち込んでいますし、高校野球の話を足掛かりに「中国がー」「公明党がー」という政治ど真ん中の話をしだすのですから呆れてしまいます。その自己矛盾に気が付かない知能の低さはさすが産経新聞です。



球児そっちのけで時系列さえ間違える産経新聞 


産経は以下のように書いています。
韓国メディアは、京都国際が初戦を勝ったときには「韓国語の校歌が日本全国に鳴り響いた」と大騒ぎだった。球児そっちのけの盛り上がりに困り果てたNHKが、歌詞の日本語訳を「東の海」としたのはご愛嬌(あいきょう)だったが。
しかし、時系列からして産経の認識はおかしい。


「韓国メディアは、京都国際が初戦を勝ったときには『韓国語の校歌が日本全国に鳴り響いた』と大騒ぎだった」というのはおそらく中央日報朝鮮日報の記事のことを言っているのでしょう。




産経抄の書き方だと、「京都国際高校が1回戦突破」→「韓国メディアが騒ぐ」→「NHKが『동해(東海)』を『東の海』と訳して放送」という順番になってしまいます。しかし、実際にはNHKは試合を生中継し、1回裏終了後と試合終了直後に歌詞をテロップで流しています。当然、韓国メディアが試合のことを取り上げたのはNHKが「東の海」と訳した歌詞テロップを放送した後ですので、「球児そっちのけの盛り上がりに困り果てたNHKが歌詞の日本語訳を『東の海』とした」という記述は時系列的に間違いです。産経記者は、自分で書いててこんなあからさまな矛盾にさえ気が付けない程度の脳みそしか持ち合わせていないようです。


それに、産経は一体何を根拠に「球児そっちのけの盛り上がり」などと書いているのでしょう? それに、このコラムの内容をそのまま信じるのなら、記者自身は試合を見ておらず、さほど興味がなかった様子です。この記者こそ、試合に興味もないくせに、「東海」という言葉に反応し「負けてよかった」などと、球児そっちのけで盛り上がってコラムに書いてしまっているわけです。自己矛盾に気が付けないこの頭の悪さは一体何なのでしょうか。ここまで頭の悪い人間に、一面に載せるコラムを書かせる産経新聞はやはり新聞全体がどうかしていると言わざるを得ません。



寛容さの欠片もない非寛容な産経新聞


この産経の記者はこう続けます。
もしソウルで、高校生が日本語で「竹島が…」と歌ったらどうなることやら。日本は本当に寛容な国なのである。
ここで竹島を出してくる時点でこの記者の頭の悪さがよくわかります。「東海」と比べるなら「日本海」でないとおかしい。仮に日本の高校が韓国で日本語で「日本海が…」と歌っても別段どうともならないと思いますけどね。この人の脳内では襲撃でもされることになっているのでしょうか? 一方、この記者は「東海」に反応してこんな便所の落書きコラムを書いて「負けてよかった」などと書いてしまうのですから、寛容さの欠片もありません。


しかし、この記者は寛容であることを否定したいようです。
寛容も度が過ぎると、非寛容な人々につけいられるのは、歴史が教えるところなんだけどねぇ。
外国資本による土地利用は寛容とか非寛容とかの話じゃないんじゃないかと思いますが、寛容も度が過ぎると非寛容な人に付け込まれるということは事実です。


非寛容な人間に力を与えたら国がめちゃくちゃになることは歴史が教えるところです。寛容な社会を保つためには、この産経記者のような非寛容な人間に対しては非寛容でなければなりません。そんなことを再確認させてくれる、産経新聞の便所の落書きコラムでした。

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