<ざっくり言うと>
  • ナザレンコ、MeToo運動をした性暴力被害者を「全部レイプでもセクハラでもなく、本人の性格の問題」だと中傷してセカンドレイプ。
  • 性暴力被害者に対して「口があるならNOと言おう」と言うナザレンコは、「NOと言われない限り何をしてもいい」とセクハラ大応援キャンペーンをしているに等しい。
  • 難民を中傷し、人種差別発言をし、デマをまき散らし、セカンドレイプまでするナザレンコ・アンドリーのような人物は、決して公の場に出していい人間ではない。
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↑これほどまでにおぞましいことを言える人間がこの世に存在していることに戦慄する
ナザレンコ・アンドリーは日本語とロシア語に堪能なウクライナ人という珍しい人物なので、今回のロシアによるウクライナ侵略で、色々注目を浴びているようです。確かに確かにウクライナ人と言う点ではこの男は今回の侵略戦争の被害者ですが、被害者=善人ではありません。この男の人格は差別と偏見と悪意に満ちていると言わざるを得ず、決して公の場に出していいような人間ではありません。


この男が難民を中傷したり、黒人差別発言をしたり、在日特権なんてデマに騙されて在日コリアン蔑視発言を繰り返したりいることは、これまでにお伝えしてきました。今日ご紹介する発言は、それをさらに超えています。数年前、女性が性暴力被害について次々と声を上げる「MeToo」と呼ばれる運動が巻き起こった時のツイートです。
>>MeToo系に多いのは…
>>夜は口説かれて同意したが後で考え直した。
>>キャリアのために上司とやったが、
>>レイプ訴えたらまた儲かりそうだからしてみた。
>>自己管理ができないせいで酔っ払って同意したが、朝になって後悔した。
>>全部レイプでもセクハラでもなく、本人の性格の問題。
>>口が付いてるならNOと言おう



おぞましいにもほどがある!!

こんなことを言える人間がこの世にいるだけでもおぞましいのに、そのおぞましい人間が日本にいて、今ウクライナ関連で正義面しているのがさらにおぞましい。


MeTooで性被害を訴えた人たちを何一つ根拠なく

「同意したが後で考え直した」
「キャリアの為に上司とやった」
「レイプ訴えたらまた儲かりそうだからしてみた」
「自己管理ができていないせいで酔っぱらって同意したが、朝になって後悔した」

のだと決めつけ、

「全部レイプでもセクハラでもない」と断言する。こんなことを言える人間がこの世に存在していると言うだけでも信じがたいレベルのおぞましさです。性被害者をまるで加害者であるかのように中傷するこの姿勢は、強姦やセクハラそのものと同じぐらい罪深いと思います。



パワハラセクハラを容認して女性を中傷するおぞましきナザレンコ


先のツイートの前に、ナザレンコはこうツイートしています。

たしかに「強制性交等罪」の定義では「暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交を」することを強制性交(レイプ)としています。ですが、どうやらナザレンコは、レイプの定義に該当しなければ問題ないと思っているようなのです。おぞましい。


例えば「セクハラでもレイプでもない」例としてナザレンコは「キャリアの為に上司とやった」を上げています。普通の神経の持ち主なら、上司が「オレと寝たら出世させてやる」などと言って来たら、もうそれだけでセクハラかつパワハラだと思うと思いますが、どうやらナザレンコの脳内ではこれは問題がないようなのです。ああ、なんとおぞましい。


「一緒に寝たら出世させてやる」ということは、逆に「断ったら冷遇してやる」ということを含意すると取られて当然です。一緒に寝ただけで出世させるほどの権限があるなら、逆に断れば干すぐらいの権限だってあるでしょう。実際にこんな事例があります。
《東京地裁 1997年 2月 28日》
概要 被告 社長/会社
慰謝料として300万円を請求。 会社代表者である被告は、勤務時間中に事務所で原告と二人だけになったとき、原告の尻を触ったり抱きついたりし、また、毎月生理の有無を聞いたりするなどわいせつな事をし、羽交い締めにして背後から抱きかかえたりするなどの行為に及んだ。その後、原告が被告の性的行為を断固拒否する態度を続けたところ、些細なことで怒鳴り、威圧的になり、さらに抗議すると原告を解雇した。

判決 100万円認容

被告の行為は、原告の人格権を違法に侵害するもので不法行為を構成する。また、解雇理由と原告の勤務態度等を考慮すると、解雇権の乱用で違法なものである。 被告の不法行為は職務執行と密接な関連性が認められ、また、解雇は職務執行として行ったものであり、被告会社は連帯して責任を負うべきものである。
性行為を要求され拒否したら解雇されています。こういうことが実際にあるのです。


冷遇されたり解雇されたりすることを恐れて、女性が「合意」したとしても、それは性暴力以外の何物でもありません。ところが、ナザレンコの脳内では、これは合意した女性が悪いのです。何たるおぞましい人間でしょうか、ナザレンコという男は。



飲酒後の準強制性交を容認するナザレンコ


ナザレンコは「レイプでもセクハラでもない」例として、「自己管理ができていないせいで酔っぱらって同意したが、朝になって後悔した」というのも上げています。


しかし、正常な判断ができないほど酔っぱらったのなら、健康管理などの点で落ち度はあるでしょうが、それに付け込んで性行為に持ち込むことなど許されるわけがありません。でも、ナザレンコの脳内では、酔っぱらった女性が悪く、そこに付け込んだ男には問題がないのです。心底おぞましい。


相手が酩酊するなどの状態に乗じて性行為を行うことは準強制性交罪に当たり、これは強制性交罪と同等の重罪です。でも、ナザレンコの脳内では「合意があった」と言い張れば問題ないようです。
刑法第百七十八条 準強制わいせつ及び準強制性交等罪

人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第百七十六条の例による。
2 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。
仮に「合意」があったとしても、女性が酔っぱらって正常な判断ができなくなっているのに乗じて「合意」を引き出して性行為をしようなんて考える時点で人間としてクズだと思いますが、ナザレンコの脳内では、これは酔っぱらった状態を利用した男には問題なく、酔っぱらった女性の方に問題があるらしいのです。ああ、心底おぞましい。ナザレンコは何の根拠もなくMeToo系の女性は「同意した」なんて決めつけてますが、女性を酔わせて強姦しようという強姦魔の片棒を担いでいるようにしか思えません。


恐らくナザレンコ・アンドリーの脳内には、山口敬之による準強姦被害者である伊藤詩織氏のことが頭にあったのでしょう。彼女は酩酊状態で山口敬之にホテルに連れ込まれそこで山口により性行為被害を受けました。山口は合意があったと主張していますが、伊藤氏は合意がなく酩酊状態を利用した純強姦罪だとして、警察に被害届を提出しました。


刑事事件としては証拠不十分で山口は不起訴になってしまったものの、民事訴訟では地裁・高裁ともに、山口敬之が伊藤詩織氏を合意なくレイプしたことが認定されました。



でも、これもナザレンコの脳内では問題ないのでしょう。ナザレンコ理論ならば、酔っぱらった相手ならば、強姦して後で「合意があった」と言い張りさえすれば、男性には問題なく、女性が悪かったことになるのです。なんとおぞましい考えか。


そもそも、酔っぱらった状態の、恋人でもない女性と性交しようと考える時点で男がクズだと思うのですが、ナザレンコの脳内では全く問題なく、女性が悪いのです。ああ、気持ちが悪い。


ついでに言うと、山口が伊藤氏を名誉棄損で訴えかえしたとき、ナザレンコは伊藤氏を「被疑者」だの「容疑者」だの言って攻撃していました。

山口敬之自身を始めとして、同じようなこと言ってる気持ち悪いバカが大勢いましたので言っておきますが、警察は被害届を提出されたら、その様式が整っている限り、どんなバカな訴えでも受理する法的義務があります。そして、受理した以上、書類送検しなければならない義務があります。このことは以前別の時に解説しました。



従って、山口敬之が伊藤詩織氏を訴えた件で、伊藤詩織氏が書類送検されたのは単なる手続き上当たり前のことです。ナザレンコはその辺理解してないのでしょう。


ついでに、この件について海乱鬼など一部のおぞましいネトウヨさんたちが「男と飲んで泥酔するのは性行為の合意の意味」などと言う、人間とは思えない耳を疑うおぞましい発言をしていたので、それに関する記事も載せておきます。





「嫌だと言われなければやっていい」というおぞましい思想のナザレンコ・アンドリー


ナザレンコは、MeToo運動の女性を根拠なく中傷したうえでこう言いました。


>>全部レイプでもセクハラでもなく、本人の性格の問題。
>>口が付いてるならNOと言おう



「嫌だ」と言わなかった本人の責任であり、嫌だと言わなかった以上レイプでもセクハラでもないそうです。逆に言えば、ナザレンコは「嫌だと言われなければ何をやってもいい」と言っているわけです。なんたるおぞましい男でしょうか。


ナザレンコ理論なら、痴漢も「嫌だ」と言われるまで触り放題ですね。怖くて声が上げられない女性なんてのも大勢いると思いますが、ナザレンコ理論では、口がついてるのにNOと言わなかった女性が悪いのです。泣き寝入りする方が悪いのです。ああ、おぞましいにもほどがある。こんな考え方を持てる人間がこの世に生息しているという事実が気持ち悪い。


怖くて声が上げられないだけでなく、恥ずかしくて声が上げられない女性、上司からの行為だから声が上げられない女性など、大勢いるはずです。実際に私も「これまで世話になった上司からセクハラを受けて困っている」という女性を一人知っています。


「セクハラされた」なんてことが同僚に知られるのが恥ずかしいということに加えて、仕事で世話になったことは事実だし、現在も直属の上司で、関係が悪くなると仕事に差し支えるため、どうすればいいのかわからないということでした。


でも、ナザレンコの理論では、これは口がついているのにNOと言わない女性が悪いのです。彼女の性格が問題なのであって、セクハラをしてくる上司の性格には問題がないのです。


心底おぞましい。


それに、NOと言ったらやめてくれる男性ばかりではないでしょう。NOと言っても続ける男性や、先ほど紹介したように、NOと言ったら冷遇してくる上司なども存在します。ナザレンコの妄想と違い、性暴力はNOと言えば済むほど単純なものではないのです。


ナザレンコのように女性に「嫌ならNOと言え」と言い、「NOと言わなければYESと見なす」という発想は、完全に強姦魔やセクハラ男の発想です。すんごく当たり前のことですが、性行為においては、明白なYES以外はYESではありませんからね。実際スウェーデンでは2018年に積極的な同意がない性行為は強姦と見なされるようになりました。



きっと「性行為には積極的な同意が必要」なんて言ったらくつざわ亮治みたいなクズが反発するんでしょうけど、両者の積極的な合意が必要なんて当たり前で、そうでない性行為をしようって奴がクズなだけですからね。


なんでナザレンコはNOと言えない女性の性格に問題があると言う一方で、出世を餌に性行為を求めてくる男や、恋人でもない酔っぱらった女性との性行為をたくらむ男性の性格には問題がないかのように考えるのでしょうか? 全く理解できない。


これまで女性が性被害を訴えることができなかったのは、まさにナザレンコのような人間のせいです。被害を訴えると「枕営業」だの「あんたの性格に問題がある」だの言ってくるナザレンコみたいな人間のせいで、被害を受けても声を上げることができなかったわけです。それでようやく声を上げたら、やっぱりナザレンコはこうやって何の根拠もなく中傷してくる。この男の人格のおぞましさには本当に吐き気がします。


もちろん美人局のような行為が存在しないわけじゃないですが、「全部レイプでもセクハラでもない」と断言するナザレンコの人格のおぞましさは筆舌に尽くしがたいです。彼の理屈ならば、世の中からセクハラなんてものは全て無くなってしまうことでしょう。彼の発言はセクハラ大応援キャンペーンをやっているに等しいです。


ちなみに、ナザレンコが「全部レイプでもセクハラでもない」と決めつけたMeToo運動ですが、この運動が世界的に広がるきっかけになったワインスタイン事件では、加害者であるワインスタインはレイプと性的暴行の罪で禁錮23年の刑を言い渡されています。ナザレンコの脳内では全部レイプでもセクハラでもないのですから、彼の脳内ではこれは冤罪なのでしょうかね。



ナザレンコ・アンドリーにはっきりとNO


これまで何回かにわたり見てきたように、ナザレンコ・アンドリーという男は、難民を中傷するし、黒人差別発言を繰り返すし、在日特権なんてデマに騙されて在日コリアン蔑視発言を繰り返したり、今回見たように性暴力被害で何の根拠もなく女性が悪いと中傷するセカンドレイパーであり、さらにまだ紹介していませんがLGBTに対する差別発言もひどく、差別意識と偏見の塊のような男です。


最近、彼が自民党議員や自衛隊に招かれて講演したりするなどしていますが、この男は決して人前に出していいような人間ではありません。デマや差別、そして今回のような被害者への根拠なき誹謗中傷は、社会に悪影響しかありません。


ナザレンコのような人物には、それこそはっきりと「NO」と言わねばならず、このような人物を起用する政党、組織、メディアにも、はっきりと「NO」と抗議しなければなりません。



追記:なぜ差別主義者は性被害者まで攻撃するのか?


このナザレンコのセカンドレイプ発言は本当に言葉では言い表せられないほど、もう人間だと思いたくないほどおぞましいものでしたが、ナザレンコの発言を絶賛している一人に、あの竹内久美子がいます。

ナザレンコ・アンドリー、竹内久美子、くつざわ亮治はすみとしこ杉田水脈長尾敬花田紀凱門田隆将加藤清隆百田尚樹


なぜこのブログで取り上げてきたデマゴーグや差別主義者たちは、性被害者まで攻撃するんですかね? 黒人差別撤廃運動なんかにも大反対するし。


なんか彼らを見ていると人権擁護全般に悉く反発しているように見えるんですが、もしかして彼らは、人権というものは有限で、他人の人権が擁護されると、自分の人権が脅かされるみたいに勘違いしてるんじゃないですかね? どうもそう思えてならない。


他人の人権を擁護することは、自分の人権が脅かされるどころか、自分の人権を擁護することでもあるんですけどねえ。自分の家族や親しい人が性暴力の被害者になったらとか考えないのかな?

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