<今回のデマ>
  • 辞書によれば「座り込み」は「その場に座り込んで動かないこと」なんだから24時間座り込んでいないと座り込みではない。
<デマ拡散者>
  • ひろゆき
<事実>
  • 「座り込み」とは公民権運動時代のアメリカで黒人たちがレストランなどの白人席に座り込んだ「シットイン(sit-in)」が起源。当然座り込んでいたのは営業時間内であり、当時から24時間ではなかった。
  • 目的のために必要な時間帯に必要な時間だけ座り込んで動かないことが座り込み運動。辞書にも「24時間」とか「途切れることなく」なんて一言も書いていない。
  • ひろゆきは論破王なんて呼ばれているが、座り込みの目的も理解せず、起源を調べることもしなかったのだろう。ひろゆきこそ彼が非難する社会の病理そのものである。
sitin
アメリカ公民権運動時代の「座り込み」(sit-in)の様子。ランチの時間に2時間ほど「座り込んで動かない」活動だった。


ひろゆきのこのツイートがいまだに物議をかもしているようです。
このブログにもこんな書き込みが来ました

2022y10m18d_192620189

>>座り込みというのは座り続けるから座り込みなのであって、
>>無理に座り込みという言葉を使うから
>>日本語としておかしくなる。
>>「抗議継続3011日」にしておけば
>>何の問題も無かったんだよね。
>>ただ単にそれだけのこと(達観)



どうやらこの人らは「座り込み」を24時間でないと座り込みと言わないと思ってるようですね。ひろゆきに同調しちゃってる人も大勢いるようですが、ひろゆきの主張は自らの無知をさらけ出している妄言に過ぎません。


座り込みはアメリカで始まった sit-in で、そもそも24時間ではない


多分ひろゆきは「座り込み」が何か全く知らないんでしょう。


ネットで検索すればすぐにわかることだけど、「座り込み」の起源は1950年代~60年代のアメリカの「シットイン」(もしくは「シットダウン」)と呼ばれる運動にあります。



公民権運動時代、黒人差別に反対する運動として、飲食店のカウンターなどに座り込んだことが始まりです。


例えば有名なナッシュビル座り込みはランチカウンターでの白人専用席に座り込んだものですが、もちろん営業時間内に座り込んでいたのであり、24時間ではありませんでした。



ランチの時間帯に白人専用カウンター席に座り込み、食事が提供されないまま2時間座り込み、ランチの時間が終わると帰っていった、というような運動です。


もともと座り込みは目的時間内に目的の場所で「座り込んで動かない」運動なわけです。24時間やらなければならないなんて定義は全く存在しません。


そもそも目的があって行動するわけなんで、目的に沿わない時間に座り込んでも意味ないわけですよね。


ランチカウンターの黒人差別撤廃運動が目的ならランチの時間に座り込めばいいのであって、誰も来ない時間帯に座り込む意味はありません。


辺野古の工事であれば工事車両の来る時間に座り込んでいればいいのであって、誰も来ない時間帯に座り込む意味はありません。


24時間じゃないから座り込みじゃないなんて思っているひろゆきが、運動の目的も意味も理解せずに、公民権運動の歴史も知らない無知なだけなのです。


辞書にだって「24時間」なんて書いてない


おそらくひろゆきが参照したのは大辞泉かなんかだと思います。



そこにはこう書かれています。
その場に座り込んで動かないこと。特に労働争議などで、自分たちの意思・要求を相手に認めさせるために一定の場所に座り込むこと。「―戦術」
「座り込んで動かないこと」とは書いてありますが、「24時間」動かないとか「昼夜問わず」動かないとか一言も書いてありません。


上述の通り、ナッシュビル座り込みはランチの時間に2時間カウンター席に座り込むというような運動でした。目的のために必要な時間帯に必要な時間だけ座り込んで動かないことが座り込み運動なのです。


もしも24時間座り込んでいないと座り込みでないのならば、「ナッシュビル座り込み」も「座り込み」ではなくなってしまいます。世界中の世界史の教科書を書き直さないといけませんね。


ひろゆきは論破王なんて言われていますけど、いちゃもんつける前に、wikipediaで座り込み運動の起源を調べる程度のことはしたらどうなんですかね。その程度のこともしないで、辞書の記述を都合よく解釈しただけの奴が論破王とかちゃんちゃらおかしいですわ。



追記:自分の妄想定義に固執するバカ、ひろゆき


ひろゆきの知能程度の低さはこの辺のツイートでもわかります。

24時間営業じゃないと「年中無休」じゃないと言うのと同レベルのいちゃもんですね。うちの近所のイオンは9時から21時の営業で、一日の半分は休んでいるんですが、それでも年中無休と言っています。ひろゆきの理屈だとイオンは年中無休じゃなくなりそうですね。


そしてこの発言。

>>「1日に1時間座り、土日は休み」という実態を
>>『座り込み』と誇張する。
>>事実を誠実に伝えるのではなく、
>>誇張して騙される人が居る状況を
>>問題だと思わない大人が多く居る事が
>>社会の病理だと思うおいらです。



「『座り込み』と誇張する」って、誰も誇張なんかしてねえよ。お前が座り込みがどういう運動なのか知らない無知なだけだろうが。


自分の無知を振りかざして抗議活動を嘲笑するひろゆきと、そのひろゆきに追随している連中こそ、社会の病理そのものだと思う。


座り込みの定義は辞書にだって「座り込んで動かない」と書いてあるのであって「24時間動かない」なんて書いていないので、ひろゆきの解釈がおかしいわけです。


もしもひろゆきのような辞書解釈をしたら「連続テレビ小説」なんてどうなってしまうのでしょう? 「連続」を辞書で引くと「切れ目なく続くこと。また、続けること」とあります。


じゃあ、月曜日から金曜日まで、一日15分、土日は休みの「連続テレビ小説」は連続でなくなってしまうのでしょうか?


「『1日に15分放送し、土日は休み』という実態を『【連続】テレビ小説』と誇張する。社会の病理だ」


と言うんですかね?


座り込み運動を24時間ずっと座り込んでいると思っていたひろゆきが無知なだけなんであって、なんでひろゆきは自分の無知を改めるんじゃなくて、自分の無知を他人に押し付けてるんですかね?


公民権運動の座り込み運動も知らない程度の知識しか持ってない奴が、辞書に書いていない定義を勝手に脳内で付け加え、自分の無知を改めるのではなく自分の無知を他人に押し付け、抗議活動を嘲笑する。本当にひろゆきこそ社会の病理ですわ。座り込みが何かぐらい調べてから発言しろ。


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